『光る君へ』予習の京都旅行その3
最終日に向かったのは下鴨神社です。
ちょっと横の鳥居(↓)から失礼。
堂々たる楼門(↓)がそびえたっています。桜の季節に、大人になった将臣くんとここで再会したんだよな~。現在の楼門は江戸時代前期に建てられたそうです。
葵祭の際、斎王代が禊を行う御手洗池(↓)。ここに湧き出す水の泡をかたどって作られたのが「みたらし団子」だと言われています。
舞殿(↓)にはこの時期、干支にちなんだカラフルな書が飾られています。正面にあるのは八咫烏と辰をあしらった書。
四面すべてに干支が書かれています(↓)。中門の中には干支別のお社があるので、下鴨さんは干支推しが強いですね。
細殿(↓)には大きな絵馬が飾られていました。
そして、下鴨神社に来たらここを訪れないわけにはいきません! 連理の賢木!(↓)あの時の鷹通さんは青かったわ~。
こちらでは源氏物語にちなんだおみくじを引けるのですが、今回は柏木が出ました。光源氏の妻・女三宮と密通して薫の君の父となった人ですね。占いの結果は「波乱の兆し~中吉」。心を乱す出会いがあるそうです。????
次に向かったのは、蘆山寺(↓)。紫式部の邸宅跡です。彼女の曽祖父がこの地に邸宅を構えたのが始まりだとか。ということは、大河ドラマに登場する彼女の実家? 源氏物語はここで書かれたとされています。
蘆山寺境内にある元三大師堂(↓)。この寺を草創した元三大師は、調布の深大寺でもお祀りしているので親しみのある方です。鬼の姿となって疫病神を退散したときの姿を写し取ったお札は、わが家の玄関に貼ってあります。
本堂の入り口には紫式部の座像が飾られています(↓)。夫・藤原宣孝と死別し、藤原道長の娘、彰子の女房として出仕した際に住んでいた場所なのでしょう。
源氏庭(↓)。昭和40年に紫式部の邸宅址を記念する顕彰碑が建てられた際、同時に整備された庭です。桔梗の季節には紫の花が見事に咲き揃うそうです。 「源氏物語」の花散里の屋敷は、この辺りに設定されているとか。
すぐそばにある梨木神社(↓)は、幕末の七卿落ちで知られる三条実美を祭神とする新しい神社ですが、境内に特別なものがあります。
こちらの染井(↓)は京都三名水(醒ヶ井、県井、染井)のうち、現存する唯一の名水なのです(醒ヶ井は源九郎義経の邸の中にあったと言われています)。この地は「染殿」とも称され、宮中御用の染所としてこの井戸が用いられたそうです。
もう一つ、藤原道長が出家後に住んだ法成寺跡(↓)もそばにありました。蘆山寺と近いけど、出家後に道長と紫式部が会うことはあったのでしょうか……。
最後に訪れたのは紫式部の職場、京都御所(↓)です。
現在の御所は当時とは別の場所にありますが、広大な敷地から当時を偲ぶことは可能です。
御所の門の中で、最も格式が高い建礼門(↓)。
土御門弟跡(↓)。(←御所の看板にそう書かれているので、誤字ではありません)藤原道長の邸宅跡で、「この世をば わが世とぞ思ふ
望月の 欠けたることも なしと思へば」は、この邸の宴席で読まれたと言われています。
遙かクラスタには藤姫ちゃんの邸ですが……。
御所の外に通じる境町御門(↓)。幕末にこの門を破って御所内に入ろうとした長州藩士を、会津と薩摩の藩兵が押し戻しています。
以上、2023年末の京都旅行レポでした。
NHKのドラマ館を見に、もう一度くらい京都に足を運びたいですね~。
てきぱきと訪問先を決めて案内してくださったくーさん、本当にお世話になりました!!
今のところ大河ドラマも面白いので、この先の展開に期待したいと思います!
以下、コメントお礼です(友さん、KUさん)。
友さん
コメントお礼が遅くなってしまってすみません。
先日は鎌倉散歩におつきあいいただいてありがとうございました!
また行きましょうね!
私もサイトのほうのリニューアルにも手を付けなければと思いつつ、まずはブログから始めるつもりです。
お互いがんばりましょう!
KUさん
何とかお引越ししました!
が、きっちりしたコメント欄は書きにくいみたいなので、元の形に戻します。
京都旅行楽しかったですね~。
『光る君へ』も今のところ楽しめているので、予習のしがいがありました。
やっぱりここにコメント残すのって度胸がいりますね。もとのボタンに戻した方がいいかな。