イタリア旅行に行ってきました(9日目前半)
9日目はウフィッツィ美術館を予約していたおじさまたちと別れて、私とくーさんはピッティ宮に向かいました。
オーバーツーリズムなフィレンツェでは、人気の高いウフィッツィ美術館やアカデミア美術館は事前予約が必須。どちらも訪れたことがある私は、そこまでしなくても見られる美術館を狙ってみました。
だって、ほかの美術館にもすごい至宝がゴロゴロしているんですから!
ピッティ宮への道は動画でどうぞ。
ピッティ宮の外に広がるボーボリ庭園(↓)もとても美しいのです。これは美術館の中から撮ったので、シャンデリアの明かりが映り込んでいますね。
チケットを買って美術館の中へ。展示室内は動画禁止なのですが、そこまではOKということで、ピッティ宮の中を歩く動画を撮ってみました。
この美術館もそうですが、最初に最上階まで上らされて、そこから1フロアずつ降りていくパターンが多いです。この最初の階段上りに耐えられるうちにまた来なきゃなあと思いました。足腰の丈夫さ、観光には必須ですね。
ピッティ宮は居城だっただけあって、ウフィツィ美術館(ウフィツィはオフィスのこと)よりも内装が豪華です。貴族の館を訪れて、そこに飾られている絵画を楽しんでいるような気分が味わえます。こういう意匠も凝っていて楽しいです(↓)。
それでは絵画を見ていきましょう。といっても、私が気になったものだけですが(笑)。まず、ルーベンスによる初代バッキンガム公爵ジョージ・ヴィリアーズの肖像(↓左)と、その妻キャサリン・マナーズの肖像(↓右)。このバッキンガム公は、デュマの『三銃士』に王妃の恋人として登場します。17世紀の絵画。
ボッティチェッリによる聖母子と聖ジョヴァンニーノ(洗礼者ヨハネ)と二人の天使(↓左)と若い女性の肖像(↓右)。15世紀の絵画。左で赤い衣をまとっているのが洗礼者ヨハネですね。子供の姿なので、ジョヴァンニではなくジョヴァンニーノと呼ばれています。ボッティチェッリは周囲に描かれる天使や子供たちがとても美しくて、「ルネサンスの少女漫画」と勝手に呼んでいます。
若い女性は、ジュリアーノ・デ・メディチの愛人、フィオレッタ・ゴリーニだと言われています。ジュリアーノはフィレンツェ市民からも愛される若きメディチのホープでしたが、パッツィ家にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂で暗殺されてしまいます。

ボッティチェッリがサヴォナローラの影響で禁欲的な画風になったのが、こちらの作品幼子聖ヨハネと聖母子(↓左)でわかります。ああ、少女漫画じゃなくなってる……。右は「青年の肖像」。モデルが誰かはわかっていません。

ボッティチェッリの師匠だったフィリッポ・リッピの作品、聖母子と聖母マリアの誕生の物語(↓)。こちらも15世紀。トンドと呼ばれるこうした円形の絵画は出産祝いに贈られたそうで、この絵もそれにふさわしく、聖母子を手前に、左奥にマリアの誕生、右奥に聖アンナと聖ヨアキム(マリアの母と父)の再会が描かれています。リッピは破戒僧で、マリアのモデルに自分の恋人を使っていたそうですが、確かにきれいなんですよね。私の大学の神父さんたちの部屋に飾られている聖母子像はリッピ率高かったです。
17世紀のフランドルの画家ヴァン・ダイクによるグイド・ベンティヴォーリオ枢機卿の肖像(↓左)と、イングランド王チャールズ1世と王妃ヘンリエッタ・マリアの二重肖像(↓右)。ベンティヴォーリオ枢機卿は教養豊かな文人で、北方絵画の庇護者としても知られていました。レースの描写が美しいです。イングランド王チャールズ1世は清教徒革命でクロムウェルに敗れて処刑され、イングランドは一時共和制になりました。
ある英国紳士の肖像(↓左)とチャールズ1世妃ヘンリエッタ・マリアの肖像(↓右)。ヘンリエッタはフランス王アンリ4世の娘だったので、清教徒革命の際にフランスに亡命、夫の処刑後、息子のチャールズ2世が即位する際にイングランドに戻りましたが、結局フランスで生涯を終えたそうです。
16世紀の画家、ジローラモ・ダ・カルピによるオノフリオ・バルトリーニ・サリンベーニの肖像(↓左)と、ジョヴァンニ・バッティスタ・モローニによる貴婦人の肖像(↓右)。バルトリーニは当時のピサ大司教でした。
ラファエロの師匠に当たるペルジーノが描いたマグダラのマリア(↓左)と、ラファエロが描いたペルジーノの肖像(↓右)。マグダラのマリアのモデルは、ペルジーノの妻のキアラ・ファンチェッリとされています。ペルジーノは「ペルージャの人」という意味なので、ペルージャ出身。ラファエロはウルビーノの宮廷画家の息子なので、割とご近所でした。15~16世紀に活躍。
ドメニコ・ギルランダイオの息子、リドルフォ・ギルランダイオによる女性の肖像(↓左)と、アンドレア・デル・サルト による少年・洗礼者聖ヨハネ(↓右)。どちらも16世紀の作品。2人もフィレンツェを本拠地として活躍した画家です。
さて、ここから怒涛のラファエロ責めです。ピッティにはラファエロ作品が豊富に収蔵されているので、ラファエロ・ファンはウフィッツィよりこちらを優先した方がいいかも。1505年ごろに描かれた妊婦の肖像(↓左)と、1510年ごろに描かれたトンマーゾ・インギラーミの肖像(↓右)。ラファエロは優しげな聖母子像で知られていますが、肖像画にはかなりリアルな描写を取り入れています。人文主義者としても知られた聖職者、インギラーミの斜視もしっかり描いていますね。
1502~1506年ごろに描かれたウルビーノ公夫妻の肖像(↓)。左がグイドバルド・ダ・モンテフェルトロ、右がエリザベッタ・ゴンザーガです。妻のエリザベッタはマントヴァ侯フランチェスコ2世・ゴンザーガの妹です。フランチェスコ2世はかの有名なイザベラ・デステの夫ですね。このご夫婦はチェーザレ・ボルジアに敗れてウルビーノを占領され、一度亡命しています。
リンゴを持つ青年(↓左)と、ベルナルド・ドヴィーツィ枢機卿の肖像(↓右)。青年のほうは、上のウルビーノ公夫妻の養子となって後を継いだフランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレと言われています。彼はグイドバルドの甥にあたり、結構美青年だったのか、バチカンのアテナイの学堂の中にも美しく描かれています。ドヴィーツィはメディチ家出身の法皇レオ10世の秘書として活躍しました。
やっとメジャーな作品が来ました。小椅子の聖母(↓左)と、ヴェールを被った婦人の肖像(↓右)。小椅子の聖母のほうは、聖母子の右に幼児の洗礼者聖ヨハネが描かれています。ヴェールの夫人のほうは、モデルがラファエロの恋人だと言われているそうです。なかなかのイケメンだったラファエロは、非常に恋多き人生を送ったとか。
1507年ごろに描かれた天蓋の聖母(↓左)と、1518年ごろに描かれたレオ10世と2人の枢機卿(↓右)。天蓋の聖母は正式には『玉座に座る聖母子と聖ペテロ、聖ベルナルドゥス、聖アウグスティヌス、聖ライネリウス』というタイトルだそうで、左から天国の鍵を持つペテロ、シトー派の白い僧服をまとったベルナルドゥス、ピサの守護聖人ライネリウス、『告白録』『神の国』などの著作で知られるアウグスティヌスが描かれています。法皇レオ10世の左にいるのはジュリオ・デ・メディチ(後の法皇クレメンス7世)、右にいるのはルイージ・デ・ロッシで、2人もレオ10世の従兄に当たります。
1505年ごろに描かれた、ラファエロの聖母子像の中で最も有名な大公の聖母(↓左)と、1517年ごろ描かれたエゼキエルの幻視(↓右)。この「大公」は、18世紀にこの絵を所有したトスカーナ大公フェルディナンド3世を指すそうです。エゼキエルは旧約聖書に書かれている預言者の名で、彼が見た幻を描いています。とても小さなサイズの絵ですが、迫力がすごいです。
おまけはこちら(↓)。ラファエロが描いた教皇ユリウス2世の肖像を、16世紀のヴェネツィア派の画家、ティッツィアーノが模写したものです。オリジナルはロンドンのナショナルギャラリーにあるそうですが、模写うまい……。ユリウス2世はチェーザレ・ボルジアを追い落とした人なので言いたいことはいろいろありますが、ミケランジェロを半監禁してシスティーナ礼拝堂の天井画を描かせたのはGJでした。
続けてティッツィアーノの作品をまとめてご紹介。男性の肖像(↓左)と、スペイン国王フェリペ2世の肖像(↓右)。エリザベス女王時代の衣装の資料として、よく参考にさせてもらった絵です。フェリペ2世は政略結婚を繰り返しましたが、そのうちの1人が「ブラディ・マリー」の名前の由来となったエリザベスの姉メアリ1世。彼は後に無敵艦隊を送ってエリザベスと戦うことになるのですから、歴史というのは味わい深い。
ハンガリー風装束のイッポーリト・デ・メディチの肖像(↓左)と、アンドレアス・ヴェサリウスの肖像(↓右)。イッポーリトはロレンツォ・デ・メディチの孫にあたり、フィレンツェの僭主を経て枢機卿となりました。ヴェサリウスは近代解剖学の父として知られるベルギーの解剖学者です。
作家、詩人、風刺作家であるピエトロ・アレティーノの肖像(↓左)と、フェラーラのエステ家と関係のあるモスティ家の一員、ヴィンチェンツォ・モスティの肖像(↓右)。衣装が丹念に描き込まれています。
救世主キリスト(↓左)と、ラ・ベッラ(美しい女性)(↓右)。イエスは30代前半で刑死しているので、ちょうどこの肖像画の年頃だったのでしょう。ただし、白人ではなく褐色の肌だったと思われます。
そして、ティッツィアーノと言えばこの絵!とも言われる悔悛するマグダラのマリア(↓右)と、貴族の肖像(↓左)。マグダラのマリアは美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したという民間伝承のため、ルネサンス以降「マグダラのマリアの悔悛」を主題とする絵画、彫刻が多く制作されたそうです。
ティッツィアーノと同じ16世紀のヴェネツィア派の画家として知られているのが、左のアルヴィーゼ・コルナーロの肖像を描いたティントレットと、右のオオヤマネコの毛皮を着た紳士の肖像を描いたヴェロネーゼです。コルナーロはヴェネツィアの貴族であり、健康長寿に関する著作『養生訓』で知られる人文主義者でした。
16世紀フィレンツェ生まれのブロンズィーノによるウルビーノ公グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレの肖像(↓左)と、17世紀フランドル生まれのユストゥス・スステルマンスによるガリレオ・ガリレイの肖像(↓右)。ラファエロが肖像画を描いたフランチェスコ・マリーア1世・デッラ・ローヴェレの息子が、グイドバルドです。ガリレオは地動説を唱えたことで異端審問に掛けられ、晩年をフィレンツェ近郊のアルチェトリで過ごしましたが、このとき近隣に住んでいたのが画家のスステルマンスでした。
スステルマンスのもう1つの有名な作品が、こちら(↓左)のヴァルデマー・クリスチャンの肖像。デンマーク王クリスチャン4世と、その2番目の妻キアステン・ムンクの間の息子だそうです。鎧とレースの襟が美しいですね。右は17世紀のスペインの巨匠ベラスケスによるスペイン国王フェリペ4世騎馬像。王に気に入られて宮廷画家となったベラスケスは、以後30数年、国王や王女をはじめ、宮廷の人々の肖像画、王宮や離宮を飾るための絵画を描きました。
17世紀スペイン・セビーリャの画家、ムリーリョによる2枚の聖母子画です。聖母子を包む淡い光が特徴ですね。右の聖母子像は、聖母がロザリオを持っているためロザリオの聖母と呼ばれています。
以上、私が気になったパラティーナ画廊の絵画でした。ピッティ宮はこんな感じ(↓)で絵画が飾られているので、プリマヴェーラやビーナスの誕生のような壁一面を覆う大きな絵はほとんどありません。肖像画が多いのもそのためです。
でも、宮殿ならではのこんな佇まい(↓)は素晴らしいですね。
天井のレリーフ(↓)も美しかったです。
トスカーナは一時期、ナポレオンに占領されましたが、その際にナポレオンが妻のジョゼフィーヌのために作ったのがこちら(↓)のバスルームです。豪華……だけどちょっと寒そう? 大きな浴槽という発想はなかったみたいですね。
長くなってしまったので、今回はここまでにしておきます。まだ階下にある近代美術館や庭園などもあるので、もう少しおつきあいください。それにしても本当に豊かな芸術作品に恵まれている街ですね、フィレンツェは。
