イタリア旅行に行ってきました(6日目前半)
トリノを発って、ミラノ経由でパルマに向かいます。
実はこの乗り換えが今回最大の懸念事項でした。
ミラノ・ロゴレード駅着10:03 同駅発10:15
「そもそも列車が遅れたらおしまい」
「この短時間に乗り換えできるサイズの駅なのか?」
指定席を取っているものの、乗り換えそこねた場合は11:28発の電車の切符をあらためて買おう、というところまでシミュレーションしてトリノ駅に向かいました。
ほぼ定刻にミラノ・ロゴレード駅に到着! お、駅は小さい!
ホームにいた車掌さんに「Parma行きの列車は?!」と、スーツケース引きずって走りながら尋ねたら、「その階段を下りて4番線!」と教えてくれました。
すごい勢いで階段を駆け下りるわれわれ一同。
「1号車~!!」「あっちだ~!」と乗車位置を確認して、無事に乗り込むことができました。車内がこちら(↓)。ボローニャ行きの電車だったんですね。パルマはその手前なので、11時31分くらいに到着しました。
パルマ駅で見たかわいいペイント(↓)。電車にこういうの描くのね。まあ、日本の電車も相当いろいろなペイントされてるけど(笑)。
私たちが乗ってきた電車(↓)。現在はTRENITALIAという民営会社なのですが、国鉄時代のFSというロゴがそのまま使われています。車体は日立製でした。
パルマの宿は今回の旅行で最も駅に近くて、徒歩3分くらい? スマートな感じでしたが、フロントの職員のクオリティに一抹の不安を感じました……(オーナーのアホ息子だったらしい)。
パルマと言えば生ハムとパルミッジャーノチーズ!
私はまだ中田選手がここのチームにいたころに一度来たことがあるのですが、今回も「御飯がおいしい」という知識だけで来てしまいました。
ほらほら、イタリアの都市を舐めないほうがいいって!
荷物を置いて向かったのは、パルマ国立美術館(↓)です。
法王パウルス3世や複数の枢機卿を輩出した名門、ファルネーゼ家は、後にパルマ公となってこの地を治めました。その宮殿が、現在美術館となっています。
数々の美術品をご紹介する前に、一番印象に残ったこの劇場(↓)を取り上げます。宮殿内にある素晴らしい木造のファルネーゼ劇場は、1628年、マルゲリータ・デ・メディチとオドアルド・ファルネーゼ公爵の結婚を記念して落成しました。
残念ながら1944年の爆撃で大きく損傷し、1965年に再建されたそうですが、創建当時の形式が忠実に再現されています。
見事な客席の仕様(↓)。美しいです。
裏側から見るとこんな感じになっています(↓)。
舞台袖の作りもとても凝っています(↓)。木造の美しさが際立ちますね。
定時に舞台上にプロジェクションマッピングが映し出されます(↓)。現在は劇場として使用されることはないようですが、往時が偲ばれます。
続いて訪ねたのは立派な図書館(↓)。転生令嬢物とかに必ず出てくるので(笑)、資料になりそうですね~。
書籍には埃よけのカバーがかかっていました(↓)。背を見ただけでは、内容までわかりませんでした。
マキャヴェリの書籍などと一緒に、ゲーテのオペラのパンフレットが展示されていました(↓)。『ファウスト』以外に、『ウェルテル』『ミニョン』などがあるようです。
高い位置にある書籍を取るための梯子(↓)。これもなかなか素敵な形状です。
扉の上にも書架が作られていました(↓)。そういえばイタリアの街には書店がたくさんあって、デジタルに押されまくっている日本よりも、出版文化がしっかりと根付いているように思えました。
ロマネスク美術の展示コーナーには、12世紀の彫刻家、ベネデット・アンテラーミによる「アダムとイブの楽園追放」(↓)や
ユニークなフォルムのグリフォンが刻まれた柱頭(↓)が。この辺はミラノのMさんの専門分野です。
絵画館にはいくつか目玉の作品がありますが、こちらの「トルコの奴隷」(↓)もその1つ。パルマ生まれのパルミジャニーノ(本名はフランチェスコ・マッツォーラ)の作品で、彼はルネサンス後期マニエリスム絵画の代表的な画家です。「ラファエロの再来」とも呼ばれたとか。
「春」や「ヴィーナスの誕生」で有名なサンドロ・ボッティチェッリの後期の作品「聖ベネディクト、聖トーマス、聖ジュリアヌスと聖母被昇天」(↓)。ボッティチェッリは、フィレンツェの異教的な風潮を戒めるサヴォナローラの影響を受けて、後期は非常にかた~い感じの絵を描くようになりました。ちょっともったいない。
真打登場です。レオナルド・ダ・ヴィンチによる素描「ほつれ髪の女」(↓)。レオナルドは夕暮れ時に人の顔は最も美しく見えるとしていたので、こういう素描の影の付け方も夕暮れを意識しているように思えますね。
ティッツィアーノ、ヴェロネーゼと並ぶヴェネツィア派の代表的な画家、ティントレットによる「3人の天使が支える死せるキリスト、聖ドメニコと支援者」(↓)。こういう絵にはスポンサーがドーンと描き込まれるのですが、スポンサーの衣装がその時代のファッションを示しているので、そっちばかり見てしまったりします。
イギリスのチューダー朝の王族や貴族の肖像画を数多く描いたハンス・ホルバインによる、「ロッテルダムのエラスムス」(↓)。人文主義の学者として名高いエラスムスの肖像画で、教科書で見た人が多いかも? ホルバインの肖像画は本人公認で多数複製されたので、エラスムスの肖像も結構な枚数が残っているようです。
1670~80年にロレンツォ・ハイリが制作した「受胎告知」(↓)。天使もマリアさまも美しい少女漫画タッチで、お気に入りになりました。
ここからは、スペインのバルトロメ・エステバン・ムリーリョによるイケオジ・ポートレートをお楽しみください。優しい筆致の聖母子像で有名な画家ですが、男性も美しく描いてくれます。
まずは、聖バルトロメオ(↓)。最後の晩餐に参加していたイエスの十二弟子の1人で、皮剥ぎの刑で殉教したとされています(うえええ💦)。
聖パウロはたいてい剣を持つ姿で描かれています(↓)。もともとはキリスト教徒を迫害する側だった彼(当時の名前はサウロ)は、ある日「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」というイエスの声(この時点で、すでにイエスは処刑されています)を聞いて、一時的に失明し、回復した後に熱烈なキリスト教徒になったそうです。
イエスの十二弟子には聖ヤコブが2人いますが、こちらは小ヤコブと呼ばれるアルファイの子(↓)。聖ヨハネの兄弟の大ヤコブに比べると影が薄いのですが、そんな感じが漂っている??
十二弟子の1人、聖マタイ(↓)。斧はマタイを象徴する物の1つだそうです。新約聖書の「マタイによる福音書」を書いた人……と思っていたのですが、近年の研究では十二弟子のマタイと福音書記家のマタイは別人とされているそうです。知らなかった~💦
最後は聖ユダ・タダイ(↓)。やはり十二弟子の1人で、イエスを裏切ったイスカリオテのユダと混同されないように、単に聖タダイと呼ばれることも多いようです。三角定規を持っていますね。「絶望的な状況の人」を守護する聖人とされています。

以上、パルマ訪問の前半でした。
この後、パルマの中心地であるドゥオーモと洗礼堂に向かいますが、それは後半のレポにて。
