やさしすぎる彼 ( 2 / 3 )
野球を見に行くんだから、やっぱりちょっとスポーティな感じで。
でもデートだから女の子らしさも出したいし。
いつもの通り時間だけはやたらとかけて、結局、いつもとあまり変わり映えのない格好で玄関を出た。
何だか戦う前に負けた気分だ。
「……夜は多少冷えると思いますけど、その格好で大丈夫かな」
譲くんからダメ出しまで来るし。
ちょっと情けない表情で見上げたら、「ああ、とっても似合ってますね、そのブラウス。初めて見る気がするけれど、当たりですか?」と、笑ってくれた。
そう、どうしてもこのブラウスが着たくて、ちょっと軽装になってしまったのだ。
やっぱり着替えた方がいいかな? と迷っていると、
「じゃあ、行きましょう。大丈夫、寒くなったら俺が何とかしますから」
と、軽く肩を抱くように促された。
本当に頼りになるよね、譲くん。
少しだけ頬を染めながら歩き出す。
電車を乗り継いで、降り立ったのは横浜の関内駅。
コンサートや山下公園に向かうとき、横を通ったことは何度もあるけれど、横浜スタジアムの中に入るのは初めてだ。
メガホンとか、チームタオルとか、応援グッズをバッチリ装備した熱心なファンに囲まれて、ちょっとドキドキする。
席に落ち着き、ネットの向こうに顔を向けて、「あれ?」と頭を傾げた。
「? どうかしましたか、先輩」
「あの、キャッチャーの後ろに立っている人、何の係?」
「え?……アンパイヤ……のことですか…?」
「何する人なの?」
「……ピッチャーの投げた球を、ストライクとかボールとか判定するんです」
「え、それってキャッチャーがやるんじゃないの?」
「そ、そこからですか、先輩!!!」
* * *
どうやら私の野球に対する知識はゼロに近いらしい。
目を丸くした譲くんはひとつため息をついた後、「じゃあ、ゆっくり覚えていきましょうか」と微笑んだ。
お弁当を開いて二人で食べながら、基本ルールをわかりやすく解説してもらう。
声が穏やかでちょっと低めなので、周りの人が煩そうな表情をすることはなかった。
「打ったら絶対あっちに走らなきゃダメなの?」
「あれは何でホームランじゃないの?」
「このまま両方とも点が入らなかったらどうなるの?」
といった私の質問を聞いて、たまらずに噴き出す人はいたけれど。
「すぐに戻りますね」と譲くんが洗面所に行くため席を立った後、私たちの隣りに座っていた年輩のご夫婦の奥さんが話しかけてきた。
「とってもやさしいボーイフレンドね。説明もわかりやすいし」
「あ、うるさかったですよね、すみません」
私が謝ると、女性は手を振って「違うのよ」と否定した。
「私は、主人に連れられてよく来るんだけど、やっぱりルールがよくわからなくてね。最初のころはあの人も教えてくれたんだけど、面倒くさくなっちゃったみたいで最近はさっぱり。今日はあなたのボーイフレンドのおかげで、試合の意味がよくわかって楽しいわ」
彼女の隣りは今、空席で、どうやらご主人も洗面所に行っているらしい。
「本当は彼に楽しんでもらいたくて来たんですけど、ずっと説明させちゃって悪いなあ……と思って」
私がそう言うと、彼女はにっこりと笑った。
「男の人は、自分の得意なジャンルについて説明するのは好きなのよ。私なんか、野球でも何でも主人の好きなものについて話を聞くのはサービスだと思ってるわ」
「そう……なんですか?」
確かにとても優しく、丁寧に教えてくれたけど、譲くんの場合はそれがデフォルトだし……。
「あ、でも、それを言うなら奥さんを球場に連れてくる旦那さんも同じですよ! きっと自分の好きなものを一緒に楽しんでほしいんです」
「そうかしら? ありがた迷惑な気もするけれどねぇ」
そう言いながらも彼女はうれしそうに微笑んだ。
その笑顔を見ながら思う。
だって私が奥さんだったら、一人で行かれちゃうより一緒に連れていってくれるほうがずっとうれしいもの。
譲くんが好きなこと、興味のあるものを、たとえ私の関心のない分野だとしても見てみたいもの。
どんな表情でそれを眺めているのか、瞳を輝かせているのか、とっても知りたい。
その気持ちを共有したい。
心をわかりたい……。
「ああ、三者凡退か。えっと、誰もヒットを打たないまま六回裏の攻撃が終わったんですね」
席に戻ってきた譲くんの声に、思わず顔を見上げる。
「? 今の説明、わかりにくかったですか?」
「ううん」
首を左右に振ると、もう一度じっと見つめた。
「……先輩?」
「……えっと…」
何だろう、口に出してうまく言うことができない。
かわりに、譲くんの手をギュッと握った。
「先ぱ……? あ、そうか」
パサッ
譲くんは、抱えていた上着を肩から掛けてくれた。
「そろそろ冷えてきましたよね。気づかなくてすみません」
「ううん、そういう意味じゃ……って、私に着せちゃって、譲くん寒くないの?」
「俺はもともと上着がいらないくらいしっかり着こんでますから。これは薄着の先輩用にと思ってたんです」
(大丈夫、寒くなったら俺が何とかしますから)
あれはそういう意味だったのかと、あらためて気づく。
本当に、譲くんは私のことばっかり考えて、やさしすぎて……。
「あの……嫌だったら何か別にはおるもの探してきますけど」
私の沈黙を取り違えて、譲くんが言った。
あわてて「嫌なんかじゃないよ! うれしいよ!」と応えると、あからさまにほっとした顔。
「?」
「いえ、その……こういうのって何と言うか……」
譲くんは赤くなって目をそらすと、
「つきあってるって感じだな、と思って……」
ぽつりと言う。
「!」
私も一気に頬が熱くなった。
もう、譲くんったら、向こうの世界でも、その前もこのくらいのことしてくれたじゃない!
そんなこと今さら言うなんて……!
でも、何だかすごく特別な感じがするのは、あのころとは立場や気持ちが違うから……?
私はさっきからつないだままの手をぎゅっと握り、コクリと頷いた。
譲くんは赤い顔のまま微笑んで、やわらかく手を握り返してくれる。
そうだね。
物心つかないころから一緒だった私たちだけど、つきあい始めてからの時間はまだほんの少し。
お互いを知るのには、もっともっと長い時間が必要なんだね。
「あ、ヒット!!」
「大きいな、二塁打になりそうですね」
ようやくグラウンドに視線を戻して、私たちはもう一度試合の行方を追い始めた。
隣りの席の女性が、少しクスリと笑った気がした。
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