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やさしすぎる彼 ( 3 / 3 )

 



「隣りの人と、そんな話していたんですか」

帰り道、球場から駅に向かう人の流れに乗りながら、譲くんが言った。

「譲くんの解説、お金を取ってもいいくらいわかりやすかったからね」

「そんなことは…。ああ、でもそれでわかりました」

「え?」

「隣りの男性……旦那さんのほうですね、洗面所で一緒だったんです。で、席に戻るちょっと前に『後半も頼む』ってぼそっと言われて。あのときはどういう意味かわからなかったけど、旦那さんも奥さんが俺の解説を聞いてること、気づいてたんだな」

「やさしい旦那さんだね! ちょっと不器用だけど……」

私が言うと、譲くんもうなずいた。

「心が通っている感じがして、いいですね」




しばらく黙った後、「ねえ、譲くん」と、私は呼びかける。

「はい?」

「今日、とっても楽しかった。譲くんが知っていて、私が知らない世界を覗くのって面白いね。譲くんはどういう風に野球のルールを覚えて、楽しんできたんだろうって想像するの、すごくワクワクする。好きな人が好きなものって、やっぱり興味が湧くんだね」

「先輩……」

「だから、私にはちょっと…と思うところでも、どんどん連れてってね。もちろん、譲くんが男同士で行きたいところは遠慮するけど、もっともっといろいろ見てみたい。譲くんのこと、もっと知りたい」

「……」

譲くんは黙って赤くなった後、「本当に……先輩にはかなわないな」と、小さくつぶやいた。

「? 何か変なこと言った?」

私の問いに答えないまま少し歩く。

ゆっくり立ち止まると、ようやく口を開いてくれた。




「……あなたが俺に興味をもってくれる日が来るなんて、思いもしなかったから。俺は、一方通行な気持ちに慣れ過ぎてたみたいで……反応に困ると言うか……」

「嫌だった?」

「そんなわけありません!」

私の目を見てきっぱりと言う。

「その、慣れてないだけ、です。加減がわからないというか。先輩が今言ったことって、俺が普段先輩に対して思っていることと同じだから。あの、だから俺、普段から無理なんか全然していないんですよ」

「うん」

「でも、先輩が俺のこともっと知りたいって思ってくれるのはすごくうれしくて……何だか……ようやく気持ちのレベルが近づいてきた気がして……その、感無量と言うか」

「うん」

「だから今、俺はとても……あの、先輩、なんか俺だけしゃべってますよね」

「ううん、もっと話して」

「いや、それ変ですよ、まいったな」




……やっぱり、私の彼はやさしすぎる。

心の中で、そうつぶやいた。

私のことばかり考えて、私の希望ばかり優先して。

でも、今ならその気持ちがわかる。

だって私自身、自分が笑っているよりも、あなたが笑っているほうがうれしいから。

幸せそうなあなたのそばにいることで、こんなにも心が満たされるから。




「ねえ、譲くん、覚悟してね」

彼の目を見ながら、私は言った。

「え?」

「私、譲くんが喜びそうなこと、これからい~~っぱい考えるから。譲くんに笑っていてもらえるよう、全力で頑張るから」

「先輩……?」

「そう! 譲くんの行くところならたとえ地獄にだって、鼻歌歌いながらついていくから!」

「じ、地獄なんて行きませんよ!」




目を白黒させている彼の腕に、私はギュッとしがみついた。

洋服越しに譲くんの温もりが伝わってくる。

いつもそばにいてくれた、でも、当たり前すぎてどれほど大切かよくわかっていなかった、穏やかで愛おしい温かさ。

これからは、与えられるだけじゃなく、自分からも与えられるようになりたい。

譲くんのそばで、譲くんが安らげる場所になりたい。

どちらかが一方的に想うのではなく、お互いを想いあえるようになりたい。




「二人で一緒に、幸せになろうね」

「先輩……」




譲くんは赤くなった後、しっかりとうなずいてくれた。

少し恥ずかしそうに笑いながら。

やさしすぎる彼の、やさしすぎる笑顔を、私はしっかりと胸に受け止めた。






 

 
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