おあいこ ( 4 / 5 )
「……神子。そろそろ島に着く。目は……覚めているだろうか」
敦盛の遠慮がちな声が衝立の向こうから聞こえた。
すっかり馴染んだ波のリズムにまどろみながら、望美は両腕を伸ばす。
「うーんっ……! よく寝たっ…!」
見れば、板の間から洩れてくる光は黄色味がかっている。
かなり朝寝坊をしたらしい。
望美はガバッと勢いよく身体を起こした。
「はい、敦盛さん。今、起きました」
敦盛のほっとした声が応える。
「……よかった。先ほどから島影が近づいている。間もなく接岸するだろう」
身支度を整えて甲板に出ると、南国の日差しの下、簡素な桟橋とそばにある小さな集落がよく見えた。
「……お〜〜い!!」
遠くから、声が聞こえる。
視線を巡らせると、湾の突端の岩礁の上で、男が手を振っていた。
見間違えようはずのない懐かしい幼なじみの姿。
その後ろには、もう少し年かさの青年が、穏やかな微笑みを浮かべて立っている。
「あ、兄上!!」
敦盛が甲板から身を乗り出した。
「敦盛〜!!」
温かい声が響く。
船が桟橋に滑り込むまで、将臣と望美、敦盛と経正は手を振り続けた。
* * *
「で、お前、なんで譲と一緒じゃないんだ? 所帯持ったって聞いたのに」
将臣の住む家に落ち着いた途端、遠慮のない質問が降ってきた。
ココナツジュースを盛大に噴き出しながら、望美がむせる。
「げほっ! ごほっ! な、何よ、急にっ!」
「み、神子、大丈夫か?」
敦盛が背中をさすりながら、水の入った竹筒を差し出す。
「何だ敦盛、おまえ、譲みたいだな」
呆れたように、将臣が言う。
「実際、譲くんの名代でしたからね、敦盛くんは」
皮肉を声に交えながら、あくまでにっこりと弁慶が言った。
「そうそう。船にいる間、俺たちを絶対姫君に近づかせなかったんだぜ」
こちらはあからさまに不快そうなヒノエ。
「わ、私は、譲に頼まれた通りに……」
その敦盛の言葉を聞いて、将臣がまた尋ねる。
「で、なんで譲は来ないんだ?」
「……仕事が忙しくて……」
目をそらしながら望美が答えた。
「んなもん、暇になるまで待ってから来ればいいだろう。それとも何か? 一緒じゃまずい理由でもあったのか?」
「「あったんです/だよ」」
こんなときだけタイミングの合う、叔父と甥が声を揃えた。
* * *
「お前、馬鹿か?! かわいそうに、譲の奴。今ごろ総白髪になってるかもしれないぞ」
「や、やめてよ、将臣くん! 譲くん、まだ18歳だよ!」
浜辺を歩きながら、望美が必死で抗弁する。
「私が自分で将臣くんにちゃんと説明するから」……と、2人は邸を後にしていた。
声が聞こえない距離まで離れたところで、望美はようやく顛末を打ち明けた。
それに対する反応が、「馬鹿か?!」である。
「だいたいそんなの、譲はちっとも悪くないじゃないか。お前が日本を半周してまで、家出するようなネタかよ?」
勘弁してくれ……という口調で将臣が言う。
何のかんの言って、この兄は常に弟の味方だ。
「わ、わかってるもん……」
望美は親に叱られた小学生のように、うなだれて足下の貝殻を蹴飛ばす。
やれやれと将臣は空を見上げた。
「……私……自分がこんなに焼き餅焼きだって思わなかったの」
しばらくして、望美がポツリと言った。
将臣が、それを聞いて足を止める。
2人は波打ち際近くに佇んでいた。
「あの瞬間、生まれて初めてなくらいのショックを受けたの。譲くんに触れている女がいる! 裸で、抱きついて、キスまでして……!! そばに剣があったら、絶対斬りつけてたよ。殺したいくらい憎かったもん……」
「……ふうん」
「最低……」
望美はその場に、膝を抱えて座り込んでしまった。
目には涙が浮かんでいる。
「……それがどうしてもどうしても忘れられなくて、ちっとも悪くない譲くんを、このままだと多分責めてしまう。理不尽に当たってしまう……って思って……」
「……逃げてきたのか」
コクンと望美がうなずいた。
ふっと将臣の表情が緩む。
少し寂しそうな、この上なく優しい微笑み。
「……まあ、ようやくお前も本当の恋愛をした……ってことだな」
そう言うと、望美の頭にポンと手を置いた。
そのまま横に座る。
「……? ……どういう意味?」
半べその顔を上げて、望美が尋ねた。
将臣は、砂浜にごろりと横になる。
「恋愛って言うのは、フワフワときれいなことばかりじゃないってことだよ。独占欲や嫉妬、憎しみ、そういうものだってセットで付いてくるんだ。譲は最初からお前一筋だったから、今までお前はそういう思いをせずに済んだんだろうが、普通は、付き合ってても、結婚していても、相手に自分より好きな人ができたんじゃないか、もう愛情が冷めたんじゃないかと怯えたり疑ったりするもんさ」
「……そう…なの…?」
「そうだよ」
将臣は目を閉じる。
「お前に気持ちが通じる前の譲だって、そりゃあ辛い思いをしてたんだ。嫉妬や失望、諦め、哀しみ……。ほかに彼女でも作っちまえば、ずっと楽だっただろうに、あいつはお前以外を好きにはなれなかった……」
「………」
「だから……」
と、目を開けて、望美が滂沱の涙を流しているのに将臣は驚いた。
「お、おい! いきなりどうしたんだよ?!」
慌てて身を起こす。
「……会いたい……! どうしよう、今、ものすごく譲くんに会いたい! ねえ将臣くん、飛行機出してよ! 電話つないでよ! また2週間も旅をするなんて、我慢できないよ! どうして私、一人で離れてしまったんだろう!! 今すぐ帰りたい!!」
「お前、無茶言うなよ!」
泣きじゃくる望美を前に、困惑した将臣は頭をかく。
その視線がふっと望美の背後に流れた。
ザクッ……。
穏やかな色が瞳に浮かぶ。
「ったく……。しょうがねえなあ」
将臣はひとつ溜め息をついた。
「お前のわがままを聞いてやるのは、今回だけだぞ」
「………え?」
意味がわからず、望美が顔を上げる。
ザクッ……。
「もう二度と、譲を置いて家出したりしないな?」
「う、うん! 絶対しない!!」
頭を大きく振って、必死にうなずく。
将臣はまぶしそうに微笑むと、言った。
「じゃあ、振り向いてみろ」
ザクッ……。
砂を踏む足音。
言われるまま振り向くと、
「……望美さん」
今、一番会いたい人が、少し心配そうな顔で立っていた。
夢でも、幻でもなく。
「譲くん!!?」
なぜここにいるのか、どうやってここに来たのか、そんなことを考えるより前に、胸の中に飛び込む。
「の、望美さん?!」
「会いたかった! すごく会いたかったの!! ごめんなさい、私、わがまま言って!」
それだけ言うと、望美は大泣きし始めた。
「……いったい……?」
「お前に会いたくてたまらなかったんだと。好きなだけ泣かせてやれよ」
将臣は背を向けて集落のほうに歩き出す。
後ろから、望美に話しかける譲の声が聞こえた。
「望美さん。そんなに泣かないで。俺はここにいます。どこにも行きません。もう、あなたを離しませんから……」
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