「……これが……?」
「はい、私のタイムカプセルです」
スカイブルーと白でまとめられた、少年らしいインテリア。
圧倒的な量の本。
そして、デスクや本棚に飾られた、たくさんの写真。
一つひとつに幼少期から少年時代の幸鷹が写っている。
「その写真は母が……。
この部屋も、私がいつ戻ってきてもいいようにずっと整えていてくれたのです」
「…………」
花梨は声を出すこともできず、写真に、本に、15歳の幸鷹が残したさまざまな小物に、指で触れた。
この部屋で、幸鷹の家族はどれだけの涙を流したのだろう。
「……幸鷹さん、お母さんと会ったとき、とても辛そうでしたよね」
花梨が問いかけるように言うと、幸鷹は一瞬口をつぐんだ。
「私……その理由が知りたくて……。
私、私になんか何もできないかもしれないけど、今日、それだけは聞こうって思ってきたんです」
「花梨さん……」
「ごめんなさい。私が出しゃばることじゃないですよね。でもすごく心配で」
突然抱きしめられたため、花梨の言葉は途切れた。
さっきとは比べ物にならないくらい力強い抱擁。
「幸鷹さん……?」
「……翡翠殿が……」
「え?」
「翡翠殿が私に、理が勝ち過ぎている、頭でっかちだと言うのが嫌で仕方なかったのです。
どのような混沌とした世であれ、理は理。正しき道は常に示されていると」
「…………」
「……ですから、たとえ記憶が戻ったとしても、私は京のため、養母のため、自分の果たすべき役割のためにあの場所に残っていたでしょう」
すっと体を引くと、幸鷹は花梨を正面から見つめた。
「……あなたが、私を選んでくださらなければ」
「!!」
大きく見開かれた花梨の瞳に、哀しげに微笑みかける。
「検非違使別当で、中納言で……。
私はいろいろと驕っていたのかもしれません。
養母の悲しみには思い至ったのに、ここでこんなに……」
幸鷹は部屋の中に視線を投げた。
「苦しんでいる人がいることに気づかなかった。
私が突然消えたことで、時が止まってしまった人の存在を思いもしなかった。
これが……多分、翡翠殿が指摘していた、私の未熟さなのでしょう。
あのとき……母に会ったとき、私の中ではそんな思いが渦巻いていたのです」
「幸鷹さん……」
辛そうに、苦しそうに顔を曇らせていた幸鷹。
花梨はようやく、当時の彼の心情を理解した。
考えるより先に手を伸ばし、頬に触れる。
「……たった一人で京に行って、私みたいに星の一族や八葉がいたわけじゃなくて、記憶も封じられて……。
幸鷹さんがそばで支えてくれたご家族や、一生懸命に守っていた京を大切に思うのは当たり前だと思います。
一緒に帰るって言ってくれたとき、最初は信じられなかったもの。
取り返しのつかないことをさせてしまうようで、少し怖かった……」
一瞬苦笑すると、幸鷹は頬に添えられた花梨の手に自分の手を重ねた。
「そうですね。
後にも先にもあれが私が京で下した唯一の、理よりも情が勝った判断です」
だから……?
と、不安そうに見つめる花梨に微笑む。
「そして、これは選ぶべき道でした。
あなたに会う前の私なら、こんな選択はできなかったでしょう。
あなたには本当に感謝しています、花梨さん」
「……そんなことは」
花梨は微かに笑うと、そのまま目を伏せた。
その花梨をじっと見つめた後、幸鷹はおもむろに口を開く。
「あなたはまだ高校生で、さまざまな可能性に満ち溢れている。
これから新しい出会いを経験して、いくらでもふさわしい相手を見つけることができるでしょう」
「!!」
突然、恐れていた言葉を紡ぎ出した唇を、花梨は蒼白になって見つめた。
「この世界での私は経歴に8年もの空白があり、何をたつきに生きていくのかすら、現時点では決まっていません。
この世界の基準では、私たちは年齢もずいぶん離れています」
指先が震え出すのがわかった。
「神子と八葉という特殊な状況で出会ったため、ほかの選択肢もありませんでした。
これはとても、フェアでノーマルな恋愛とは言えません」
これ以上聞きたくない! というように、固く目を閉じた花梨の顎に指を添え、上を向かせる。
「花梨さん」
「もう、もう、いいです、幸鷹さん」
「よくありません。よくないのです」
「………?!」
「これが『理』です。
この世界に戻った一晩目、私はこの『理』に大きく打ちのめされました。
あなたを求めてはならない理由を、百でも二百でも挙げることができた」
花梨は驚いて、ゆっくりと幸鷹の顔を見つめた。
「以前の私なら、あなたを愛するがゆえにあえて身をひく道を選んだでしょう。
理屈で考えれば、結論はあまりにも明白だからです」
「……幸…鷹…さん…?」
「……申し訳ありません、花梨さん。
けれど私は変わってしまったのです。
この世界にあなたとともに帰ってくる選択をしたとき、そしてこの家で、自分が家族に与えたダメージを知ったとき、もう、以前のような道は選べなくなった」
言葉をなくして見上げている花梨を、幸鷹は正面から見た。
「私はあなたを離しません。
たとえどんな障害があろうと、必ず乗り越えてみせる。
あなたを愛しているのです。
その心を抑えることなど、絶対にできません」
「!!!」
両手で口を押さえたまま、花梨は幸鷹を見つめた。
真っ白な頭の中。
目に入るのは、幸鷹の真摯でまっすぐな眼差しだけ。
一つずつゆっくりと、今言われた言葉がよみがえってくる。
誤解などしようのない、飾り気のない想い。
いいの? 私は幸鷹さんを好きでいてもいいの?
「あなたも多分、同じような思考を……。
先ほど、リビングでおっしゃっていたのは、そういうことでしょう?」
幸鷹の声に、何度もうなずく。
「あなたは、あきらめられるのですか?
このままお別れすることになっても、いいのですか?」
「!!」
花梨の双眸から、瞬く間に涙があふれ出した。
幸鷹の胸にしがみつくと、一日中抑えてきた思いを絞り出すように声にする。
「あきらめるなんて……できない……!」
幸鷹は花梨の震える肩を包み込んだ。
「ありがとうございます。無事、意見が一致して安心しました。
これからはどうか、そんな考え方はお捨てください。
お互いのそばにいられること。
それ以上の幸福など、私たちにはないのではないですか?」
優しく髪を撫でながら囁かれる言葉に、花梨はただただうなずき続ける。
あきらめられるはずなどなかった。
この思いを抑えられるはずなどなかった。
自分がどれだけ幸鷹を愛しているか、花梨はようやく自覚することができた。
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