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はじめての物忌み ( 2 / 2 )

 

気づくと、御簾の向こうで日が傾き始めている。

「…ああ、もうこんな時間に」

「何時ごろなんですか?」

花梨の質問に、幸鷹は目をすっと細めて日の高さを確認した。

「そろそろ申の刻といったところですか。最近は日がかなり延びてきましたから」

「1日を12に区切るんですよね? お昼が午だから、え〜と、午後4時くらいかな」

花梨は文箱の中から腕時計を取り出して見た。

「当たり! 4時15分! 幸鷹さん、すごいです」

「それは、神子殿の世界の時を計る道具ですか? 拝見しても?」

幸鷹が身を乗り出して覗き込んだ。

「はい! こっちの世界では、季節に合わせて時間を区切る長さも変わるって聞いたので、あまり役には立たないんですけど」




「……4時16分…」

「ええ。この短い針が時間で、長い針が分……あ…れ…?」

「日付も出るのですね。ひと月の長さが神子殿の世界とは異なるので、いずれはずれてしまうでしょうが」

「…………」

急に花梨が黙り込んだので、幸鷹は彼女の顔を見た。

「神子殿?」

「…その数字……読めるんですか…?」

「…数字…?」

手の中の時計の文字盤に目を戻す。

12に分割された文字盤に振られているアラビア数字。

合理的な説明を求めて、幸鷹の頭がフル回転し出した。

「……いえ……神子殿のお言葉を聞いてから見ましたので、多分そうだろうと…」

なぜか額に冷や汗が流れる。




「でも…」

「円が大きく12等分され、さらに60に分けられている。神子殿のおっしゃる4時がこの大きな目盛り、15分が小さな目盛りを指すのかと思ったのですが、違いますか」

幸鷹によどみなく説明され、花梨は目を丸くした。

「…そしてこの文字が暦を表すなら……9と22…長月22日かと」

「……すごい…!!」

頬を紅潮させて、花梨が感嘆する。

「そうです! 幸鷹さんってどこまで頭がいいんですか?! もう、数字が読めるようになってるし!!」

「単なる推測です。合っていたのならよかった…」

ふうっと溜め息を洩らしながら、しかし幸鷹の頭の中の警鐘は鳴り続けていた。

(そう。確かにそういう理屈は成り立つ。だがその前に、私にはこの文字の意味が……わかっていた…?)



* * *



花梨が文箱や筆、紙を綴った冊子などを片付け終わると、幸鷹はゆっくりと立ち上がった。

「それではそろそろお暇いたします。今日1日、神子殿に何事もなくてよかったです。
体調は…大丈夫ですか?」

「はい! いろいろとためになるお話をありがとうございました、幸鷹さん。
とっても忙しいのに、丸一日つきあってもらって、本当にすみませんでした」

幸鷹は穏やかに微笑むと、花梨を手で制す。

「またそのようなことを。どうぞご遠慮はなさらないでください」

その言葉にほっとしながら、花梨は肩をすくめた。

「ありがとうございます。…でも……。やっぱり今度からは、もうちょっと暇そうな……
翡翠さんとかにお願いすることにしますね」

幸鷹の眉がピクリと上がる。

「あの男があなたに有益な話ができるとは思いません。
どうぞご遠慮なく、毎回でも私をお呼びください。そのくらいの融通はきかせますよ」

「…は、はい…」




「それでは…」と、再び穏やかに微笑んで去る幸鷹の背中を見送りながら、花梨は困惑していた。

(…え〜と……物忌みはこれから毎回幸鷹さんを呼べ…ってことかな?)

本当は八葉を順番に招くつもりだったのだが、何だか今後の物忌みをすべて予約されたような気がして、花梨は首を傾げる。

(…でも、それもいいかも。みんなとは散策の合間に話せるし、幸鷹さんの授業を受けるのは楽しいし)

すっかり幸鷹を家庭教師の座に据えて、花梨はうんうんとうなずいた。

自分の話をこの上なく真剣に聞いて、理解し、納得し、同意してくれる。

その体験が花梨には心地よかった。

(今度の物忌みの時には携帯を見せてみようかな。それまで電池がもつといいけど……)

次の物忌みを指折り数える。

待ち遠しさ、楽しさ、少しばかりの緊張と遠慮。

それが恋と言う名に変わることを、花梨はまだ知らなかった。



 

 
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