<前のページ | ||
朴念仁 ( 6 / 6 )
「……それで、結局どうすることにしたのだい?」 治部省の中庭。 再び訪ねてきた友雅と歩きながら、鷹通は明るく答えた。 「はい。神子殿はご自分がこちらに残られるとおっしゃっていますが、ご両親や友人、慣れ親しんだ世界からあの方をひき離すわけにはまいりません。幸い私は三男ですし、治部省の仕事を整理し、引き継いだら、神子殿の世界にともに行こうと考えております」 「……きみも……行ってしまうのかい?」 突然足を止め、友雅が言った。 声が沈んでいる。 「…え……あ、はい」 戸惑いながら、鷹通は答えた。 しばらく沈黙した後、ふうっと溜め息をつくと友雅は言う。 「……そうか…。神子殿や天真、詩紋が帰るのはある程度覚悟していたが、きみまでいなくなるとなると……寂しいものだね」 「友雅殿…」
ことあるごとにからかわれ、困惑したり、腹を立てたりはしたものの、内裏に仕える官吏として、そして人生の先輩として、友雅が彼を導いてくれたことは確かだった。 いつになく寂しげな横顔を見ながら、鷹通は言う。 「私も……友雅殿とはお別れし難く思います。八葉として、白虎として、あなたはいつでも私を叱咤激励してくださいました。……とても分かりにくい形で…でしたが」 くすっと笑みをもらすと、友雅が豊かな長髪をかきあげた。 「性分でね。それだけはどうしようもない」 そのまま空を見上げる。 つられて鷹通も、雲一つない京の青空を見上げた。 あかねの話では、こんなにきれいな空も、空気も、彼女の世界にはないと言う。 (…それでも私は、あなたとともにあることを選びます。神子殿…) あかねの顔を思い浮かべ、鷹通は決意を新たにする。
突然、友雅がパチンと扇を鳴らした。 「ああそうか。私もきみたちとともに神子殿の世界に行けばいいのだね」 「は?!」 いきなりの発言に鷹通が凍りつく。 「内裏での生活にもすっかり飽いてしまったし、ちょうどいいかもしれない。神子殿からうかがった限りでは、たいそう魅力的な世界のようだしね」 「と、友雅殿…!」 ポンポンと扇で肩を叩きながら、友雅は上機嫌で先を歩く。 「きみも私がいたほうが、何かと心強いだろう? せっかく別れ難く思ってくれているのだしね」 「そ、それは…! しかし友雅殿…!」 鷹通が焦りながら後を追うと、友雅の足がピタリと止まった。 「……それとも何かい? 主だった八葉から神子殿を引き離すことが、きみの本当の目的かい?」 ぐっと一瞬、鷹通が言葉に詰まる。 くすっと友雅が笑うと、一気に鷹通の顔が赤くなった。
「友雅殿! またおからかいになったのですね!?」 「まったく、本当にきみたちは飽きないよ」 「きみたち?」 扇の陰から目だけこちらに向けて、友雅が言う。 「実は先ほど神子殿にも会ってね。なぜ京に残ることにしたのか尋ねてみたのだよ」 「神子殿に…?」 自分に語っていない本音があるのだろうかと、鷹通は身を乗り出した。 それを友雅は楽しそうに眺める。 「神子殿の世界では、女性は御簾の陰などに隠れず、街を闊歩しているそうだ」 「? はい。それは存じておりますが」 困惑する鷹通を見て、また友雅がくすくすと笑う。 「その上、身分差などもないから、自由に出会い、恋をし、結ばれることができる」 「…はあ……」 ますますわからない。 「『そんなところに鷹通さんを連れて行ったら、すぐに誰かにとられてしまう』というのが、神子殿の本音だそうだよ」 「は??」
パチンと、再び友雅は扇を鳴らした。 そして盛大な溜め息をつく。 「つまり、きみたち二人はこの私を相手にさんざん惚気てくれたというわけだよ。まったく、どちらがどちらの世界に行くのも残るのもいいが、ここからは他人を巻き込まず、ぜひ『二人だけで』じっくり話し合ってもらいたいね」 「は、はい。申し訳ございませんでした」 顔を赤くして、鷹通が謝る。 「では、私はもう行くよ」 友雅はくるりと背中を向けた。 「友雅殿」 呼ばれて振り向いた友雅の目に、深々と頭を下げる鷹通の姿が映った。 「何のまねだい?」 「…最後まで本当に……ありがとうございました」 ふっと目を細めて笑い、無言のまま立ち去る。
その後ろ姿を眺めながら、鷹通は、自分がすでに多くの「大切なもの」に囲まれていることを感じた。 親身になって心配してくれる友雅。 長年自分を見守ってくれた神官。 職場の同僚も、上司も、家族も、そして八葉の仲間たちも。 (私が心を閉ざしていたから……ずっと気づかなかったのですね) 開かれた扉の隙間から射し込む、まぶしい陽光。 すべてのきっかけを与えてくれた、誰よりも大切で愛しい人。 ひとつ息をつくと、鷹通は職場へと踵を返した。 (今夜、どうやって神子殿を説得しようか) (あなた以外に私の心を動かす女性などいないのだと、どう言えばわかってもらえるのだろう) そんな、甘やかな悩みを胸に抱えながら。 口元にはいつしか穏やかな微笑みが刻まれていた。
|
||
<前のページ |