誕生日の贈り物 ( 2 / 2 )
「ああ、忍人、お帰り」
「風早、千尋の具合は?」
執務室に訪ねるつもりだった千尋が、私室にいると聞いて忍人は少し蒼ざめていた。
「心配する必要はないよ。君が出発したころよりずっとよくなっている」
「ならばなぜ?!」
切迫した表情を見て、風早は安心させるように微笑んだ。
「忍人、やっぱり忘れていたんだね。今日は君の誕生日だろう?」
「俺の……? あ、ああ……」
「二人きりで過ごす約束だからと、今日は一日休みを取っているんだよ」
「そうか……」
忍人はようやく肩の力を抜いた。
「そのような私的な事情で休むのには反対だが……少しでも休息を取る口実になるのならばいい」
「君が到着したことは知らせておいたから、早く会いにいってやってくれないか。今日は俺が責任をもって、邪魔しそうな人間は全員追い返す。安心していいよ」
「……すまない」
妙に素直に礼を言う忍人に苦笑すると、風早は奥へと促した。
* * *
扉を開けるや否や、春風が胸に飛び込んでくる。
金の髪とふわりとなびく衣を身にまとった最愛の女性。
忍人は言葉もなく抱きしめ、しばしお互いのぬくもりを確かめあった。
「…! すまない。苦しくなかったか?」
ようやくわれに返って、忍人が身を離す。
「ううん。長いこと会えなくてとても寂しかったです。お帰りなさい」
面やつれは少し残っているものの、ばら色の頬と瑞々しい唇は以前に増して美しく、忍人は思わず見とれてしまった。
「…忍人さん?」
「いや……君はやはり……美しいな」
「!! そ、そんなこと言ってくれるの、忍人さんだけですから」
「当たり前だ。ほかの人間が言ったら斬る」
相変わらずの彼の物言いに、千尋はくすりと笑った。
「忍人さんに見せたいものがあるんです」
そう言って手を取ると、部屋の中央に用意された食卓に導く。
祝いの食事とともに置かれていたのは、「誕生日けえき」。
すでに数本の蝋燭も立てられていた。
「これは……カリガネか?」
「はい。サザキと一緒に届けにきてくれました。蝋燭は、那岐が蜜蝋で作ってくれたんですよ」
「……そうか。皆を宴に招くことができなくてすまなかったな」
二人きりで過ごす時間を望んだものの、多くの人々の気遣いを感じるにつれ、忍人は後悔し始めていた。
千尋がにっこりと微笑む。
「来年はまた、みんなを呼びましょうね」
「そのほうがよさそうだな」
多少のあきらめを含んだため息をひとつ落とす。
* * *
暮れ行く夕景を楽しみながらゆっくりと食事を取った後、いよいよ蝋燭に火が灯された。
忍人はいつものように中つ国の前途を祈願する。
「民と、そして誰よりも君が笑っていられる国を作るために、俺は力を尽くそう」
「忍人さん、それ、願い事じゃありません」
「では、俺が力を尽くせるよう願おう」
灯りがいっせいに吹き消された後の闇で、二人の影がゆっくりと重なった。
口付けの合間に、千尋がささやく。
「お誕生日おめでとうございます、忍人さん」
「ありがとう。……やはり今年は、二人きりで正解だったか」
「……ごめんなさい。私……約束を破りました」
「……? どういう意味だ?」
「……二人きりじゃないんです」
「……?」
「……もう一人……いるんです」
「……………………………………それは」
「私からの誕生日の贈り物です」
「…………本当……に?」
「はい」
忍人は急いで立ち上がり、部屋に明かりを灯すと千尋の顔を再度覗き込んだ。
「……それはつまり、その、…! では、今までの体調不良は……!」
「……つわり……だそうです」
「……千尋」
「もうそろそろ安定期だから大丈夫だろうって。忍人さんがいない間、狭井君や岩長姫が押しかけてきて大騒ぎだったんですよ。報告が遅くなってごめんなさい」
忍人はしばらく驚きを顔に貼り付けたままだったが、「俺としたことが…」と、突然片手で顔を覆った。
「忍人さん?」
「すまない。誰よりも君を気遣っていたつもりで……気づくのが一番遅くなってしまった」
「そんな! 私だって気づかなかったんです! 第一、私たち二人にとっては、どれも初めてのことだし、いきなり何でもわかるわけないし…!!」
千尋が頬を紅潮させて一生懸命主張する。
呆気に取られて見ていた忍人は、やがて破顔した。
「そうだな。これからもいろいろと学ぶ必要がありそうだ」
腕を千尋の肩に回すと、包み込むようにやわらかく抱きしめた。
「千尋……最高の贈り物をありがとう。今日の日を『三人』で迎えられて、こんなにうれしいことはない」
「私も、これ以上の贈り物は思いつけそうにありません」
瞳を見交わし、微笑みあうと、再び優しい口付けを交わす。
暖かく揺れる炎が、至福の時間を琥珀色に染めた。
「民と、君と、そして俺たちの……子供が笑っていられる国を作るために、俺は力を尽くそう」
「はい。私も、忍人さんと私たちの……こ、子供が笑える国を作るようがんばります。だからいつまでも、私のそばにいてくださいね」
「誓おう」
夜の帳が下りた橿原宮の奥で、二人はいつまでも寄り添っていた。
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