誕生日の贈り物 ( 1 / 2 )

 



「やっぱりダメですか?」

「当たり前だ。君は自分の立場をわかっているのか」

長期遠征に出かける支度をしながら、忍人は厳しく言い放った。

言われた千尋は、がっくりと肩を落とす。

「忍人、我が君は深い愛情からこうおっしゃられているのですよ。ああ、それを受けるのが私だったらどれほど幸せなことか……」

「用がないのならとっとと出ていけ、柊」




今回の遠征は交渉が目的のため、柊も忍人に同行することとなっている。

それを口実に、この軍師は若き国王夫妻の私室にやたらと顔を出すようになっていた。

「まあまあ。去年の誕生祝いが盛大でしたからね。いきなり中止と言うのは寂しいんでしょう? 千尋」

こちらは口実すら必要なく、二人の傍に常にいる風早。

「だって、せっかく1年に1度のお祝いなのに。一番大切な人のお祝いなのに……」

千尋にこの上なく寂しそうに言われ、さすがの忍人も表情を変えた。

「服喪中ということよりも俺は……君の体が心配なんだ」

「忍人さん」




中つ国の重鎮の一人が鬼籍に入り、国の主だった要人は現在、喪に服している最中だった。

昨年は(当人の希望はともかく)盛大に行われた忍人の誕生日祝いも、この服喪期間に含まれる。

歌舞音曲はもちろん、派手な酒宴も当然慎むべきなのだが、千尋が誕生祝いだけは何とか催せないかと懇願していたのだ。

しかしそれよりも大きな問題があった。




「それで、お身体の具合はいかがなのですか、我が君」

「うん、少しはマシになってきたよ。みんなには心配をかけてごめんなさい」

少し頬を紅潮させて千尋が答える。

表情は明るいが、現在も長椅子に横たわって上半身だけ起こしている状態。

かろうじて執務は行っているものの、誰の目から見ても体調不良は明らかだった。

医療機器も抗生物質もないこの世界では、正確な病名もわからず、治療法も数少ない。

「ああ、でも確かに顔色はよくなってきましたね。遠夜の薬湯のおかげかな」

風早が明るく言う横で、忍人は眉間の皺を深くした。

「宴だの祝いだの言う暇があったら、少しでも休んで体調を整えるべきだ。それが国のためでもあり……俺のためでもある」

「忍人さん」

「それでなくても遠征で一月近く会えないんだ。俺の心配の種を増やすようなまねは慎んでくれ」




目配せを交わして、いつの間にか風早と柊が出て行った私室で、忍人は千尋をそっと抱きしめた。

「君が健やかであることが一番の祝いだ」

「でも……」

「二人きりで過ごすのは気が進まないか?」

「そ、そんなことないです」

「俺はむしろありがたい」

「!」

千尋の体調を気遣って、忍人は羽のように軽い口付けを唇に落とした。

今年の誕生日は二人きりで。

口付けの合間に、そう約束が交わされたのだった。



* * *



「ありがとう、カリガネ、サザキ」

二人が持ってきたおいしそうなケーキを見て千尋が満面の笑みを浮かべる。

「これを姫さんと一緒に食えないのは残念だが……まあ事情が事情だしな」

「『けえき』は姫ではなく、忍人のためのものだ、サザキ」

「オレはヤローのためには羽一枚動かす気はねえんだよ。ましてや姫さんを攫っちまった男にはな!」

サザキはタンカを切ると、乱暴に椅子に腰を下ろした。

調度はガタンと大きく揺れ、端に座っていた千尋が「あ」と声を上げる。

途端にサザキは真っ青になって千尋に駆け寄った。



「姫さん! 大丈夫か? どこか打ったか? すまねえ、あんたに何かあったら忍人に顔向けできねえよ」

「だ、大丈夫よ、サザキ。大げさすぎ」

「だけどよお」

「姫、食事の試作品もいくらか用意してきた。口に合うものがあれば言ってくれ。後でもっと届ける」

「ありがとう、カリガネ」

口が悪いサザキと、無口なカリガネ。

昔と変わらない温かい心遣いに千尋は胸を熱くする。

大好きな仲間。大好きな人たち。

「そういえば、空から忍人たちの一行が見えたぜ。あの調子なら明日の誕生日には確実に帰ってこられるだろう。まあ、いざとなったら忍人だけオレ……じゃなくてカリガネが抱えて連れてくるさ」

「なぜ私だ」

「ううん、大丈夫。無事こちらに向かっているのがわかってよかった。本当にありがとう」

涙ぐんで感謝する千尋に照れながら、「ああ、やっぱり少し遠くなっちまったな……」とサザキは一人つぶやいた。



* * *



「お帰りなさいませ、葛城大将軍。無事のご帰還、祝着至極に存じます」

今では橿原宮の警護の要となった布都彦が、宮城前で忍人たち一行を迎えた。

堅苦しい物言いは少年時代から変わらない。

「布都彦、留守中何か異状はなかったか。無事との報告は何度か届いたが」

「はい! 道臣殿のご助力もあり、将軍がお帰りになられるまで、陛下をしっかりとお守りすることができました!」

「……別に……陛下のことだけを尋ねたわけではない」

微かに頬を上気させた忍人を、横でニヤニヤと見ていた柊が口を開く。

「さあ忍人、報告の類は私が君に代わって済ませますから、早く陛下のもとへ。ここまで来て照れる必要もないでしょう。君が我が君に夢中なのは、国中の民が承知しています」

「な…!」

「いいえ、柊殿、陛下と将軍の仲睦まじさは、広く他国にも知られていると聞きます!」

「ああ、あれはアシュヴィン陛下がやっかんでいるだけです」

「柊、無駄口をきくな! 布都彦、この男の影響だけは受けるな!」

言い捨てると、忍人は大股でつかつかと宮の奥へと入っていった。

その後ろ姿を、警護の兵と遠征の随行員たちが笑みを浮かべながら見送る。

中つ国の平和と繁栄を、皆があらためて実感していた。