水紋 ( 1 / 2 )
「実にそなたらしいといえばらしい理由だが」
「申し訳ございません……」
うなだれる水色の美しい髪をしばらく見下ろした後、光の守護聖は背後を振り返って言った。
「それで、ルヴァ、これは時がたてば治るものなのか」
先ほどから積み上げた書物を必死にめくっていた地の守護聖は、その山の向こうから答える。
「そうですねえ、理論的には身体から毒素が排出されれば治ると思うんですが。
まあ、サクリアに影響がないのが不幸中の幸いですねえ」
「確かに守護聖の任は果たせるかもしれぬが、これでは……」
「ジュリアス様」
水の守護聖は、腰掛けていた長椅子からよろめきながら立ち上がった。
思わず手を差し延べたジュリアスは、つかんだ腕の細さと、予想よりずっと低い身長にあらためて驚いた。
「このたびのことは、すべてわたくしの責任です。
執務に支障を来たさぬよう、最大限努力いたします。
ルヴァ様にも、お忙しい中時間を割いていただくのは心苦しく……」
もともと美しく、はかない水の守護聖だが、体調を崩しているため顔色は透き通るように白く、汗で乱れた髪は驚くほど……なまめかしかった。
そう。
ジュリアスはこんなに美しい「女性」を見たのは初めてである。
「そなたを責めているのではない。
そなたの身体はそなた一人のものではないのだ。
私には首座の守護聖として、そなたを守る義務もある」
(これではまるでプロポーズだ)と心の隅で感じながらも、光の守護聖はリュミエールを再び長椅子に座らせた。
男性だったころより、身長がゆうに10センチは低くなり(それでも173センチだが)、手足はガラス細工のごとく華奢に見える。
その代わりに豊かさを増した部分にはあえて視線を向けず、ジュリアスは再度ルヴァを見据えた。
「リュミエールがその星の住人から振る舞われたという果実は、当面他星への持ち出しを禁ずる。
確かに女性には無害なのかもしれぬが、今回のように男性が食べた場合、大きな被害を受けるおそれがある」
「あの……ジュリアス様、彼らに悪気はなかったのです……」
力なくリュミエールが言い添えた。
「そうですよねえ。
リュミエールが女性と間違えられるのは今回に限ったことではありませんしねえ。
でもまさか、こうも見事に性転換してしまうとは……。
やっぱり本物の女性というのは違うものですねえ」
「本物ではない!」
地の守護聖を怒鳴りつけると、光の守護聖はリュミエールに向き直り、その手を取って深く優しい声で告げた。
「今は執務のことなど気にせずともよい。
自分の身体を治すことだけを心がけるのだ。よいな」
「ジュリアス様……」
厳格な首座の守護聖の口から出た思いがけない言葉に、水の守護聖は心から感謝し、涙をうっすらと浮かべて彼を見上げた。
その様子を本の影から見た地の守護聖は、
「あ〜、そういえば今のリュミエールは、ジュリアスの理想の女性像そのものですねえ」
と一人つぶやいていた。
* * *
水の守護聖の「異変」は、その日のうちに全守護聖の知るところとなった。
首座の守護聖が、守護聖ごとに異なる命を発したからである。いわく、
「夢の守護聖は、メークアップや着替えを絶対に強要しないこと。
それを前提として、服装などの相談に乗ること」
「鋼の守護聖は、地の守護聖・王立研究院とともに原因の究明・治療方法の開発に努めること」
「風と緑の守護聖は、私邸への送迎や荷物運び等、全力でサポートにあたること」
「闇の守護聖は、自分のことは自分でやること」
そして
「俺はリュミエールに近づかないこと……ですか」
光の守護聖の意外な言葉を、オスカーは思わず復唱していた。
一人称まで、「私」でなく「俺」になっている。
「直截的に言えば、そうだ」
光の守護聖は、書類に目を落としたまま肯定した。
「納得いたしかねます、ジュリアス様。
確かに俺……私は日頃からリュミエールと仲がいいとは言えませんが、病んでいる人間をいたわることは……」
「病が問題ではない」
オスカーの言葉をジュリアスはさえぎった。
そして顔を上げ一瞬ためらった後、スッと視線を外した。
「今のリュミエールはどこから見ても女性だ。そこが問題なのだ」
「ジュリアス様、それはあまりなおっしゃりようです」
オスカーはジュリアスの執務机に身を乗り出して訴えた。
「俺……私は確かにすべての女性の騎士でありたいと思っていますが、リュミエールが男であるのは十分わかっていますし、ほかのレディと同じように扱う気もありません。
あくまで同僚として」
「とにかく、私がそなたに望むのはそれだけだ。よいな」
今度はしっかりとオスカーの目をとらえて、ジュリアスは断言した。
これにはさすがのオスカーも逆らうわけにいかない。
「は」と一言いって、頭を垂れた。
* * *
その時はかなり気分を害したものの、もともと水の守護聖との接点が少ないオスカーは、ジュリアスの命を思いだすこともなく日常業務をこなしていた。
だから、リュミエール宛ての書類が自分の執務室に誤配されているのを見つけたときも、何の躊躇もなく扉をノックした。
そして、返事も待たずに中に踏み入る。いつものように。
「おい、おまえ宛ての書類が紛れ込んでいたぞ」
「ありがとうございます」
水色の影が、広い執務机の向こうで立ち上がった。
立ち上がったのにその背は低い。
フワリと影が動いて、オスカーのそばに舞い降りた……少なくとも彼にはそう感じられた。
「わざわざ持ってきていただいて申し訳ありません」
受け取ろうと差し出す手はあまりに華奢ではかない。
ズシリと重いフォルダを顧みて、オスカーは自然に「いや、俺が運ぼう」と執務机のほうに歩を進めた。
そのほんの短い距離を歩きながら、彼の頭の中は大混乱していた。
(これは……こいつは……何者だ……?!)
銀青色のさらさらと流れる髪、ぬけるように白い肌、憂いを帯びた眼差しと柔和な笑顔--確かに見慣れた水の守護聖のものなのだが……。
「あ〜ら、いけないんだ☆
お出入り禁止のケ・ダ・モ・ノがリュミちゃんの部屋に入り込んでるぞ〜」
明るくにぎやかな声が後ろから降ってきた。
確かめるまでもなく、戸口に立っているのは夢の守護聖である。
どこか救われたような気持ちで、オスカーは振り向いた。
「オリヴィエ、オスカーはわたくし宛ての書類を届けてくれたのです。
でも、お出入り禁止……?」
「あんたは知らなくていいんだよ、リュミちゃん☆」
長いコンパスで執務室を軽やかに横切ると、バフッと持ってきた美しい布の束を渡す。
「私からのプレゼント☆
だ〜いじょうぶ、ジュリアス審査済みの『安心して着られるデザイン』だからさ。
不本意ながらね」
「ありがとうございます、オリヴィエ」
少しはにかみながら微笑むリュミエールを見て、「光がこぼれるようだ」とオスカーは思った。
そして、思った自分にまた大混乱した。
「ほ〜ら、引き上げるよ、オスカー」
オリヴィエに強引に腕を取られて、オスカーは無理やり執務室から連れ出された。
扉が閉まる寸前にかいま見た、少し不思議そうなリュミエールの表情に胸を射ぬかれながら。
* * *
「ねえねえ、オスカー様のこと知ってる?」
身を乗り出して緑の守護聖が言った。
「知ってるも何も、見りゃわかるだろうあれは……」
面倒くさそうに鋼の守護聖が答える横で、風の守護聖は頭を抱えている。
「俺にはわからない。
オスカー様はリュミエール様のことをどちらかっていうと嫌ってたのに、どうして性別が変わるとあんなにあからさまに……」
「恋わずらいするのかってか?
簡単だろ。男のリュミエールを嫌ってたのは上半身で、女のリュミエールを追っかけてるのは下……」
緑と風の守護聖が、同時にゼフェルの口をふさいだ。
ネオロマンスである。
「でも、リュミエール様は全然気づいてないよね」
「オスカー様、お気の毒だな。なんか見てられないよ」
力任せに二人の腕を振りほどくと、鋼の守護聖は言い切った。
「ざまあ見ろってんだ!
自分になびかない女はいないなんて思い上がってたんだから、いい薬だぜ!」
「ゼフェル、リュミエール様は女の人じゃないよ」
緑の守護聖のつっこみを聞いて、ランディは真剣に考え込んだ。
「そうなんだよな。
リュミエール様が身も心も女の人になったんなら、オスカー様を好きになるかもしれないけど、心は男の人のままなんだから」
「この恋は実らないよね」
はあ〜っと風と緑の守護聖は盛大にため息をついた。
腕を組んで腹立たしそうに言うのは、鋼の守護聖。
「だいたい、オレはリュミエールが男だろうが女だろうが気にならねえよ。
性別が変わってもやってることも言ってることも変わらねえし」
「そうだよね。クラヴィス様なんて、性別変わってること気づいてないかも」
緑の守護聖の大胆な発言に、ちょっとたじろぐのは風の守護聖。
「さ、さすがに気づいてないことはないだろうけど、そうだな、俺も別に気にならないし、オリヴィエ様やルヴァ様も態度は変わらない」
「結局あの万年発情男だけだろ、気にしてるのは」
言い切ったゼフェルを上目遣いに見上げて、マルセルはぽつりと言った。
「もう一人、態度が変わった方がいるよ」
「え?」
年長の二人が声をそろえて驚く。
「ジュリアス様」
「…………」
明るい庭園に長い長い沈黙が落ちた。
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