さびしんぼ ( 4 / 4 )
雪見御所内にある自室。
将臣は茵の上に横たわっていた。
「……面目ありません、尼御前」
几帳が置かれた室内に、ほかに人の気配はない。
二位ノ尼は安心させるように、もう一度微笑んだ。
「病を得られたときくらい、心安らかにお休みください。
今日は、還内府ではなく、有川将臣殿に戻られればよろしいでしょう。
帝も、あなたの邪魔はしないと、一人で遊んでおいでですよ」
「はは、少しはしっかりしてきたみたいですね」
「……将臣殿の影響で、時折変わった言葉を話されますが」
「あちゃ~、失敗したな……」手で顔を覆って、将臣は笑う。
穏やかな静けさが辺りを包んでいた。
御所内でいつも耳にしていた、木々の葉ずれ、庭を巡る遣水のせせらぎもまったく聞こえない。
時間の流れから隔絶された空間。
ここは「あの」福原ではないのだと、それだけは感じ取ることができる。
「……尼御前」
顔を覆ったまま、将臣が口を開いた。
「はい」
「……俺、いろいろと中途半端で投げ出してきてしまいました……」
「いいえ。あなたは十分やってくださいましたよ。
わたくしも、帝も、一門の者たちも、今は心穏やかに暮らしております」
「……本当に……?」
「ええ。敦盛や鎌倉殿の弟君、軍奉行の方や熊野の別当殿までが、
源氏と平家の和睦に尽力してくださったのです。
帝は退位されましたが、そのほうがあの子も、あの子の母も幸せでしょう」
「……そうですか……」
すうっと、肩の力が抜けていくような気がした。
もし、本当に平家の人々を守り切れたのだとしたら。
もし、これが自分の身勝手な夢でなく、星の一族の力で夢を渡っているのだとしたら……。
一筋、雫が頬をつたうのがわかった。
「将臣殿、長い間ご苦労をおかけしました」
微かに空気が動き、二位ノ尼が立ち上がる気配がする。
「わたくしはそろそろ皆のところに戻ります。
戦場(いくさば)で散っていたはずのあまたの命を、お救いいただいて本当にありがとうございました」
「……尼御前」
「あなたは清盛殿にとってもわたくしにとっても……自慢の息子……でしたよ」
「……!!」
ガバッと起き上がった時には、すでに尼の姿はなかった。
白い霧が辺りを覆い、現実と夢の狭間を埋めていく。
「…………」
「……兄さん……?」
「……譲……」
「起きたのか? 少しは楽になった?」
気づくと、リビングのソファに横たわり、譲に覗き込まれていた。
まだぼうっとした頭を抱えながら、身体を起こす。
「……親父とおふくろは?」
「もうすぐ帰ってくるって。先輩はもう家に戻ったよ」
壁の時計は夜の9時を指していた。
ダイニングテーブルの上に広げたノートや教科書を見て将臣は尋ねる。
「お前、ずっとリビングにいたのか?」
「さっき、先輩を送っていった以外は。兄さんこそ、ずっと寝てたのか?」
「? ……なんでだ?」
質問の意図がわからず、将臣は問い返した。
「いや、さっき家に戻ってきたら、お香のような匂いがしたから。兄さんが焚いたのかと思って」
「…………」
「兄さん?」
「……俺……」
「?」
「……もう有川将臣でいていいみたいだ」
「……え?」
ドサッともう一度ソファに倒れ込むと、両腕で目を覆った。
「兄さん? どうしたんだ? 苦しいのか?」
「……そうだな……。少しだけ、な……」
譲がバタバタと保冷剤を替え、薬を用意する気配がする。
頭の中を巡るのは、三年以上の月日を共に過ごしてきた平家の人々の顔。
守れなかった人、守り切れた人。
胸を締めつけるような痛みを感じながら、確かに自分は「寂しがりや」なのかもしれない……と、将臣は思っていた。
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