島原(京都府京都市下京区)
新選組隊士が遊んだと言われる島原は、壬生の屯所からそれなりに離れています。
まあ、若いから、そんな距離ものともせずに通って行ったんでしょうね(笑)。
壬生のほうから来ると、上の大門ではなく西門を通ることになります。
西門は現存せず、石碑だけが残っています。
角屋(上)は島原一の揚屋(太夫や芸妓を呼んで宴会をする建物)。
新選組はもちろん、長州、薩摩、土佐など、当時の京都にいた各勢力が集う場所でもありました。
芹沢鴨は、ここで宴会を開いた後、八木邸に戻って暗殺されています。
角には「久坂玄瑞密議の角屋」という石碑が立っていて、根本くんは『ハナレウシ』でこの人の役をやっていますので、それはそれで感慨深いものがあります。
松下村塾一の秀才で、冷静沈着に藩と尊王攘夷の行く末を見つめていたものの、藩内の過激派の動きに逆らえず、わずか25歳で散った若き志士。
当時の同士が明治政府を支える重臣となったことを考えると、いかにも惜しい人材でした。
一方、上の輪違屋(わちがいや)は芸妓が在籍する置屋でした。
新選組隊士のなじみの芸妓も多かったとか。
ここは現在も営業中のお茶屋さんだそうです。
*『BARAGA-鬼ki』ポイント
池田屋騒動の後、ぱーっとやろうぜ〜と原田さんや永倉さんたちが向かったのは、何となく祇園っぽかったですが、祇園も島原も非常にお金がかかる場所だったので、う〜ん、行けたのかなあ(笑)。
斎藤さんは油小路事件の前に、「島原に私を待っている女性がいますので……」と言って、伊東さんの元を去りました。