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「もしも」遊び ( 3 / 3 )

 



沈む夕日が海原を複雑な鮮やかさで染めている。

波の音を耳にしながら、譲は一人、目を閉じた。

脳裏を駆け抜けていくのは、忘れがたい日々、もう二度と会えない人たち……。

「譲くん」

「!!」

振り向くと、すぐ後ろに望美が立っていた。

「先輩…! 全然気づかなかった。駄目だな、俺」

「駄目じゃないよ。体が『平和』に慣れてきたんだよ」

うれしそうに笑うと、譲の横に立つ。

夕風が、望美の長い髪をさらさらと揺らした。




「……で、どうしたんですか?」

「譲くんが海岸に下りていくのが見えたから。ここに一緒に立つのも久しぶりだよね」

「そうですね」

右手に江ノ島を見ながら、金色の輝きを残す水平線を眺める。

「穏やか」などという心持とはかけ離れた、絶望と諦めと、ほんの少しの希望。

まるで昨日のことのように、当時の気持ちを思い出すことができた。




「……先輩、今日は牛乳が手に入ったから、はちみつプリンを作りましょうか」

「…! じゃあ、私、少しまき割りを手伝おうかな」

「ケガしないように気をつけてくださいね」

「うん。きっと白龍が大喜びするよ」

「…………」

「…………」

「……先輩」

「おかしいよね。向こうで譲くんと『もしも』遊びをしたときは、涙なんて出なかったのに」

渡されたハンカチで涙を拭いながら、望美は言う。




「我慢してたんでしょう? 俺、あまりうまく乗れなかったみたいだし」

「そんなことないよ。『絶対帰らなきゃ』って、毎回思えたし」

赤い目のまま微笑む望美の頬に、譲は手を添えた。

「……絶対帰さなきゃ……ですよね。あなたのことだから。俺も同じでした。先輩だけは絶対帰さなきゃならない。俺はどうなってもいいからって」

「……!! 譲くん…」

譲は望美に微笑んでみせる。

「俺たち、それだけは口に出さないで、帰ってからの夢を話していたんですね。兄さんが自虐的って言うわけだな」

「! 一番いろいろ我慢してたのは将臣くんなんだから、そんなこと言われたくないよ」

ぷくっと頬を膨らませながらも、望美の瞳にはまた新たな涙が浮かんだ。




何事もなかったかのように再び鎌倉にいて、高校生としての日々は流れていく。

それでもあの、悩み傷つき泥まみれになりながら命の糸を必死に守り続けた記憶は、望美にも譲にも深く刻み込まれていた。

朝笑いあった相手が、夕べには骸となる戦場。

明日の生の保証がない凍るような恐怖。




「帰れて…よかった。帰せてよかった」

ぎゅっと譲の手を握ると、望美は搾り出すように言う。

「譲くんと将臣くんをここに連れて戻れなかったら、私は私を絶対に許せなかった」

「先輩」

「つらい目に遭わせてごめんなさい。巻き込んでしまって本当に」

全部言う前に、譲は望美を胸に抱きしめた。

「何度も言ったでしょう? 巻き込まれた一番の被害者はあなたです。俺は……俺たちはたとえ異世界じゃなくても、あなたを守るためならどこへでも飛んでいきます」

望美は大きく頭を左右に振った。

「そんなのもう見たくない」

「じゃあ、これからは安全なところにいてください。いつもあなたが笑っていられる場所に」

こくんこくんと頷く望美を、心からの愛しさを込めて胸に包み込む。

(あなたを帰せてよかった。一緒に帰れてよかった。心からの願いがかなって……本当によかった)




突然、ザザザーッと頭の上から砂が降ってきた。

「?!」

「キャ!?」

「駅前で堂々といちゃついてるんじゃねえよ」

「兄さん!?」

見上げると、海岸通りから浜辺に続く階段を、将臣が手の砂を払いながら降りてくる。

「ま、さすがに駅からは見えねえけどな」

「当たり前だろ!」

「あ、気づかなかった……」

「先輩…」

「望美…」




鎌倉高校の生徒のほとんどが利用する江ノ電は、海岸通りに平行して走っている。

電車までの時間を、こうして浜辺に下りてつぶす学生もちらほらいた。




「さあ、とっとと帰ってメシの支度頼むぜ、譲」

「兄さんは一人でカップラ食ってればいいだろ?」

「ねえ将臣くん、一緒にまき割りしよう?」

「?」

「じゃあ、水汲みと竈の焚きつけも兄さん頼むよ」

「……なんだ。お前らそんな遊び、まだしてるのか」

「だって、懐かしいでしょ?」

「……もう向こうのことなんて忘れちまったなあ」




あの日と同じように、大きく伸びをしながら将臣が言った。

その言葉に込められた気持ちが、今の二人にはわかる。

決して運命は上書きなどされない。

たとえ時が戻っても、人の想いは途切れることなく積み重なっていく。




「あ! そういえばまだナイター行ってないよね」

「まあ、それもこれも受験が終わってからだな」

「先輩、遊園地くらいなら週末に行けますよ」

「じゃあ今度の日曜日! 決まりね?」

「ったく、遊ぶ決断だけはやたら早いな、望美」




自然とつながれた互いの手の暖かさを確かめながら、夕暮れの浜辺を歩く。

七里ガ浜の砂の上に伸びる、三つの長い影。

「あとどのくらい一緒にいられるか」ではなく、「今こうして共にいられること」に感謝しながら、最後の光が消えるまで三人は歩き続けた。




「もしも」遊びをすることは、もう二度とないだろう…。





 

 
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