魔法のベルが鳴るとき ~九郎・譲編~ ( 2 / 2 )
少し遅い朝食の後、九郎と譲は裏庭に出た。
譲がいつも弓の稽古をする場所だ。
「始める前に、柔軟をしておきましょうか」
「柔軟?」
「えっと、体をほぐすんです。硬いまま動かすと、危ないから」
そう言って、簀子の上に腰を下ろして足を伸ばす。
手本として体を曲げてみるのだが。
「九郎さん、意外と体が硬い?」
いつもの調子で曲げようとしたら、できなかったので、九郎の姿の譲が首をかしげた。
「そうなのか?」
「ええ。問題はなさそうですが」
言いながら簡単に柔軟を説明する。
「確かに、譲の体はよく曲がるな」
「痛みとか、ありますか?」
「いや? ああ、少し傷がうずくが、かゆみ程度だ」
「よかった」
九郎の姿の譲がやわらかく微笑む。
「じゃぁ、弓を構えてみてください」
「あ、ああ」
何故か戸惑う譲の姿の九郎に首をかしげる。
見ていると、恐る恐ると言う感じで矢を番えた。
「心配しなくても、体が覚えていると思いますよ」
初めの構えだけを指示して、そう告げる。
小さく頷いて、譲の姿の九郎が、弓を構えた。
ほとんど無意識に脚を動かし、体を捌き、指を離して矢を放つ。
タンと、いい音を立てて、的の中心近くに当たったのを、譲の姿の九郎が呆然と見ている。
「凄いな、譲」
「え?」
「あ、いや」
紅潮した顔で言われて、九郎の姿の譲が目を瞬かせると、譲の姿で、九郎がほんのり赤くなりながら、頭をかいた。
「俺は、弓が苦手なのでな。意識せずに動かした体が、的を射抜いたので、凄いと思った」
「それなら、九郎さんだって。意識せずに、刀を動かせるでしょう?」
「そうだろうか」
「ええ、きっと。実は、朝食の支度、包丁よりも小刀の方が動かしやすくて、戸惑いました」
九郎の姿で譲が言うものだから、譲の姿の九郎もまた笑う。
「俺はどんな鍛錬をすればいいですか?」
「数日のことだろう。体力が衰えなければ問題ないから、素振りをしてくれ」
「はい、わかりました」
「なんか、すごい不気味」
「優しげに微笑む九郎殿に、鷹揚に答える譲殿…奇妙だわ」
影から見ていた神子二人が呟く。
「朝の譲殿は迫力あったわ。怒ると怖いのね」
「中身が九郎さんだからでしょ」
「あら、そうでもないわ。綺麗な人が怒ると迫力があるもの。普段怒らない人が怒ると怖いっていうし」
「あ、たしかに」
九郎の近くで素振りをして、その体の軽さに驚いた。
真剣なのだから、重いのに。
実戦でこれを使いこなす人なのだから、当たり前といえば当たり前なのだけれど。
「危ない!」
そんな言葉と共に、何かが飛んでくるのを感じた。
反射的に刀を振り下ろせば、それは真っ二つになった。
「え…雀蜂?」
下に落ちたものを見て目を丸くする。
「大丈夫でしたか? あれは危険な蜂ですから」
弁慶が現れて、心配そうにこちらを見た。
「下手したら死んじゃうやつだよね」
景時も続いて、そう言った。
「あ、はい、大丈夫です」
こくりと頷く九郎の姿の譲に、安堵の息を零す。
「見事だ、譲」
「いえ、これは九郎さんの腕でしょう」
答えながらも自分で驚いた。
飛んできたものを瞬時に「悪いもの」と判別し、切り捨てるのだから。
「九郎さんなら、刀で蜂の巣退治もできてしまいそうですね」
「数匹ならともかく、数十匹ではさすがに自信がないぞ」
感心したように言うと、譲の姿の九郎が笑った。
「あはは。そうだ、譲くん、望美ちゃんが呼んでいたよ」
「はい、ありがとうございます」
軽く会釈をして立ち去る九郎の姿の譲を見送り、景時が深い溜め息を吐く。
「どうした」
「いや、早く戻って欲しいなぁって。あんなとこ、ほかの武士が見たら混乱するだろう?」
「ああ、そうだな」
言いながらも弓を構えようとする譲の姿の九郎に、今度は弁慶が言った。
「九郎、鍛錬はそれくらいにして下さい」
「だが」
「矢が当たるのが面白いのは分かりますが、譲くんの体が壊れては困ります。それで、朝も望美さんとやりあったのを忘れたんですか?」
う、と口ごもる姿に、当たりかと弁慶が苦笑した。
「傷のこともだけど、彼の場合過労気味なんだから。基礎訓練以上はしない方がいいよ~」
景時が言うと、譲の姿の九郎が呟くように答えた。
「まぁ、確かに。気を抜くと、眠気があるな」
「譲くん、いつも気を張り詰めてるからねぇ。少し眠ってみたら?」
「この時間にか?」
「譲くんの体のため、ですよ」
眉を寄せる譲の姿の九郎に、二人が言う。
それもそうかと、小さく頷いた。
軽く汗をぬぐい、譲の部屋で横になる。
時間にすればほんの一時だったが、深く眠れたのか、頭がすっきりした。
起き上がると喉が渇いていて、厨に向かう。
そこではカタカタと人が動く音がした。
自分の着物が目の端に入る。譲が昼餉を作っているのだろう。マメな男だと思う。
「譲、すまないが、水をもらえるか?」
「あ、はい」
そう言って体を起こし、こちらを向く。
瞬間、固まった。
「譲っ!! 貴様、なんて格好をっ!?」
真っ赤になって叫ぶ譲の姿の九郎に、九郎の姿の譲が不思議そうに顔を向ける。
「え? 料理するのに髪が邪魔だって言ったら、先輩が結んでくれたんですが」
そういえばまだ鏡見てないな、と呟く。
「少しは望美を疑えっ!!」
遊んでいるとしか思えない、可愛らしい髪型に、九郎が怒鳴る。
譲にしてみれば、髪をまとめてもらい、前掛けをしただけなのに、九郎が何をそんなに怒るのか、謎だ。
しかし、九郎にしてみれば、自分の顔でこんな姿にされたのでは、叫ばずにはいられない。
長い髪は頭頂で結んだあと二つの三つ編みにされて、くるりと輪を作って左右の後頭部を飾り、小さな花まで散らされている。
それが似合っているところが、またなんともいえない気分に成る。
赤毛のアンのダイアナのよう。
九郎がそんなものを知るわけがないが、どう見ても女性のものとしか思えない髪形に、恥ずかしさと怒りで血が上る。
うわ、こんな顔になるんだと、真っ赤な自分の顔を、どこか冷静に見ている九郎の姿の譲。
「直ぐに外せ!」
「料理するには丁度いいんですが」
「よくない!!」
「せめて配膳が終わるまで待ってください。それに、俺ではどうなっているのか分からないので。下手な外し方をすると、絡まるって言われてますから」
その言葉に、九郎が言葉を詰まらせる。
自分の癖毛はよく理解しているから。
「そんなに変かなぁ」
「自分でわからんのか」
「いや、だって、敦盛みたいな髪型にするって」
言われてマジマジと見るけれど。
「似てないぞ」
「分かりにくいから、アレンジしたのかな」
アレンジ?と首を傾げる譲の姿の九郎。
「食事が終わったら、変えてもらいますから」
「食事の前にしてくれ!」
譲の(姿の九郎の)叫び声が屋敷に響いた。
食事の後、譲の姿の九郎の監視の下、望美が九郎の姿の譲の髪を解く。
「もー、九郎さんたら、わがまま~」
そういいながらも、望美の機嫌はいい。
朝の仕返しもできたし、一度遊んでみたいと思っていた髪を弄れたし。
朝のやりとりは、九郎にしてみれば、いつもの言い合いに過ぎないことだろうが、望美からしてみれば大ショック。
いつも優しい幼馴染が、その声が、自分を否定する言葉ばかり放つのだから。
将臣のときはそれほど感じなかったけれど、九郎が入ったため、よく分かった。
あの声で、否定されるのは苦しい。
おとなしくしろというようなことを言われるのは、ある意味同じなのに、言い方が違うだけでこんなにも響きが異なる。
同じ言葉を九郎の声で言われても平気なのに、譲の声だと胸が痛い。
幼馴染ということで、甘えているのだろうかと、望美は反省するけれど。やっぱり譲は優しい方がいい。
そう思いながら、髪を止めていたピンを外して自分の髪につけなおし、三つ編みの紐を外し、リボンを外して髪を下ろす。
ゆっくりと手櫛でほぐしていくけれど、くるくると絡み合う髪を傷めないようにするのはなかなか大変だ。
「譲くん、痛くない?」
「はい、大丈夫です」
穏やかな笑顔でこちらを振り仰ぐ、九郎の姿の譲。
九郎さんもいつもこうなら可愛いのになぁと、譲が聞いたら落ち込みそうなことを心の中で呟いて、髪を解く。
「すごいくるんくるん。何かを思い出すような…」
髪を触りながら、ふと考える。
そうして小物入れを取り出して。
「先輩?」
「あった、これ!」
よく似た形の装飾品を二つ取り出す。
「ブローチ?」
「帯留めらしいよ」
銅色の地金の上に、メノウだろうか、半玉の赤い宝石がついている。
少しだけ色と形が違うけれど、揃いといえば言えなくもない。
どうするのかと見ていたら、それにヒモを通して。
「ちょっと動かないでね」
あーでもない、こーでもないと、髪を弄る。
何をするのかと半眼で譲の姿の九郎が見ていると。
「できた!」
ぱっと離れて、見えた姿に、再び硬直する。
九郎の姿の譲はというと、今度は頭頂部の二箇所がひっぱられている感じに、首をかしげた。
ゆるやかにウェイブして流れる髪は変わらず視界に入る。
小さなお団子でもされたのかと首を傾げる。
「何か、みょーに似てるけど、もしかして九郎さん、頼朝さんじゃなくて、政子さんの弟?」
「そんなわけなかろう!」
九郎が真っ赤になって叫ぶ。
「政子さん?」
「あー、なんでもない」
譲が不思議そうに言うので、望美が慌てて誤魔化す。
「いいからさっさと外せ!」
「いちいち怒鳴らないでください!」
言い合いをしていると、景時が現れた。
「みんなーお菓子をいただい……」
笑顔でお盆を片手に入ってきた景時が硬直する。
揺れる明るい髪、特徴的な二つの十字型のお団子(?)に、真ん中には丸い宝玉。色こそ違えど、かの方と同じ姿。
反射的に土下座してしまった景時を、誰が笑えようか。
「か、景時さん!?」
焦った九郎(の姿の譲)の声に恐る恐る顔を上げ、ようやくその顔が九郎だと認識し、深い息を吐き出した。
「び、びっくりしたぁ」
「あー、ごめんなさい、景時さん」
理由が分からない譲は首を傾げるしかなく、かわりにやってしまった望美が謝る。
「面白いかなって思ったけど、これはさすがに止めた方がいいか」
「うん、そうして」
ほとんど涙目で言う景時に、望美が苦笑して頷いた。
「お前、俺が言ったときは逆らったくせに」
「だーかーら、譲くんの声で怒るの、止めてください!」
怒鳴りあう二人に、苦笑する景時と九郎の姿の譲だった。
数日後、鎌倉からの書状で、熊野へ行くことになるのだが。
『景時が京の屋敷に御台所そっくりの女性を連れ込んだ』
『九郎が御台所に焦がれる余り、同じような姿に扮した』
などと、尾ひれのついた噂が鎌倉に伝わっていたことを、そのとき初めて知るのだった。
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