魔法のベルが鳴るとき ~九郎・譲編~ ( 1 / 2 )

 



 三草山の戦が無事に終わり、皆がその後始末に追われている中、望美や譲は一時の休息をしていた。

 はずなのだが。




「譲くん、生真面目なんだもんなぁ」

「どうかしたの?」

 望美の呟きに、朔が不思議そうに首を傾げる。

「譲くんがさ。戦で怪我が増えてるはずなんだけど、休まないんだよね。家事はもちろん、腕が鈍るからって鍛錬も休まないし。少し時間があると、敦盛さんや弁慶さんから何か学んでいるみたいだし。そのくせ私には『戦の疲れが出るから、休んでください』なんだよ? 譲くんこそ、休んで欲しいのに」

 はぁ、と深いため息を零す。

「いっそ、この前みたいに入れ替わっちゃえばいいのに」

「この前って、将臣殿と入れ替わったこと? あれはあれで、大変そうだったわよ?」

「でもさ、譲くんの体は休まっていたっていうから」

「まぁ、そうだけど。今は将臣殿はいないから、無理でしょう」

「だよねー」

 そんなことを神子二人で呑気に話していたのだけれど。

 部屋の外で聞いていた白龍が『神子の願いを叶える』と張り切っていたのを、知らなかったのだ。






 朝、目を覚まして体を起こす。

 体は軽いようなのに、意識は重い。あと、頭も重い気がする。

 不思議に思いつつ、着替えをしようと立ち上がり、固まった。

「先輩、本当に用意したんだ」

 九郎の戦衣装でない着物を見たとき、エプロンみたーいと将臣と二人で笑っていて。

 譲くんもああいうのがあるといいよね! とはしゃぐ望美に苦笑したのだが。

 枕元にあるそれを見て、どうしようか迷う。

 なんとなく、フリルに見えなくもない袖ぐりに躊躇うけれど、せっかく望美が用意してくれたのなら、使おうか。

 どう着るのか迷ったが、着付けを始めたら簡単に着替えることができた。そのときに感じた違和感は、すぐに重い意識の奥に消えた。

 厨に行こうと足を動かす。

 たどり着いた場所は確かに厨だったのに、何故か生じる違和感。

 作りかけの料理。

 いつもより多い食材。

 そして。

「義経様!? このようなところにお越しとは、いかがなさいました!?」

 外から戻ってきたらしい料理人が、こちらを見て驚愕の声を上げた。

 ふと、重たい頭に触れる。そこには中途半端に結い上げられた、長い髪の毛がついていた。

 悪夢、再び。

 フミァータの祝福と、白龍は言っていたが、どう考えても呪いだろう、これは。

 二度目とあって、直ぐに察した譲は、どうするか迷い、水をくれとだけ伝える。

 次々と人がやって来て、作業を始める。

 ここに居るわけには行かないので、ひとまず部屋に戻ろうとした時に、声が掛かった。

「やはり、ここに居たのですね」

「弁慶さん!」

 思わず叫んだ後、慌てて口をつぐむ。

 九郎(の姿の譲)が弁慶をさん付けで呼ぶものだから、その場に居た者達が目を丸くした。

「ひとまず来てもらえますか? 望美さん…神子の様子が」

「何かあったんですか!?」

「大事はないですが。来ればわかりますよ」

 有無を言わせぬ笑顔に、こくりと頷いて。

 気を利かせた雑仕が靴を持ってきたので、急いで屋敷を出た。

 譲の姿で堀川の家に通っていたので、道は分かる。

 走り出しそうになるけれど、弁慶がゆったりと歩くので、仕方なく同じ歩調で歩いた。




「ただ今戻りました」

 弁慶がそう言って部屋に入る。

 譲はどう言えばいいのか迷い、おはようございますと言いながら続いて入った。

 中には顔を赤くして俯いている望美と、腕を組んでそっぽを向いている譲の姿があった。

 ということは。

「え、と、九郎さん、ですか?」

「譲か!?」

 譲の姿をしたものが、こちらを見る。

 上から下まで見た後、目をぱちぱちと瞬かせた。

「俺、か?」

「そのようです」

 苦笑すると、譲の姿の九郎が、じろじろと見る。

「九郎さん?」

 譲も不思議そうに名前を呼ぶと、弁慶がふふ、と笑った。

「自分の姿――特に全身を客観的に見るなど、滅多にないことですから。珍しいのでしょう」

 ああ、そうか。こちらには全身が映るような大きな鏡など、そうはないだろうから。

 そう思いながら、話しかける。

「すみません、九郎さん。俺、起きて着替えて、ほとんど何もしないでこちらに来てしまいましたが、お仕事、大丈夫でしょうか」

「ああ、報告もひと段落しているし、今日は特に急ぎの用はない」

 よかった、と息を吐く。

 九郎は自分と違い、それなりの立場と仕事があるから。

 大切な用事があったらと、それが心配だった。

「良くない!」

 望美が真っ赤な顔で叫ぶ。

「先輩、どうしたんですか?」

 泣きそうな顔をしている望美に、九郎の姿の譲が近寄る。

 慰めるようにそっと肩に手を置く、その自然で珍しすぎる光景に、他の者達も集まってきて笑みを浮かべた。

 けれど、当の本人はそれどころではなく。

「だって、この修行バカ! 起きて早々に素振りしまくって、譲くんの傷を悪化させたのよ!」

「え?」

「この程度なら、傷のうちに入らんと言っているだろうが!」

「塞がった傷が開いて血が出たのに、威張るな!」

 譲の姿の九郎と望美が怒鳴りあう。これまた珍しい光景。

 周囲が苦笑気味に見ている中、九郎の姿の譲がゆらりと立ち上がった。

「九郎さん、少しいいですか?」

 顔は笑顔。けれど背後に潜む怒気はハンパなく。

 まるで弁慶のようだったと、後に語ったのはヒノエだ。

 あんな顔ができるんだと、景時が驚き、朔が心配そうに見詰め、弁慶は笑顔で譲の姿の九郎を連れ出す九郎の姿の譲についていったのだった。




「信じられない」

 望美はまだ怒っているようだ。

「神子の願い、叶ったのに、何故怒るの?」

 白龍が不思議そうに言う。

「怒るよ! って、願い?」

 白龍の言葉にひっかかりを覚えて、望美がそちらを見る。

「…もしかして、今回のは白龍なの!?」

「ううん、私はそこまでの力がない」

 ほっとして息を吐くと、白龍が笑顔で続けた。

「だから、フミァータに呼びかけた。神子の願いを叶えて欲しい。また祝福の音を鳴らして欲しいって」

 その言葉を聞いて、望美がガックリと肩を落とした。

「明らかに人選ミスだよー」

 何で九郎さん、と望美が嘆く。

「譲の体に木気が強く残っていたから、同じ木気の九郎が反応した」

 白龍がにこやかに説明するけれど。理由がわかっても嬉しくない。

「譲くんに休んで欲しいのに。九郎さんじゃ休むどころか酷使しかねないよ!」

 はぁ、とまた溜め息を吐く。

「敦盛さんなら、よかったのに」

「いや、私と代わるなど……譲が穢れよう」

 敦盛が慌てて首を振る。

「そんなことないですよー。ああもう、どうなるんだろ」




 望美が嘆いている頃。

 こちらは弁慶の部屋。

「こ…んな、傷だったんだ」

「少しは自重する気になりましたか?」

 弁慶に言われて、う、と口ごもる。

 目の前には、肩を晒した自分の体が在る。

 九郎の体に入って背中にある傷を目の当たりにし、言われていた通り、大きな傷だったんだと、今更ながらに実感する。

「でも、この傷はちゃんと塞がっています。血が出たというのは」

「ああ、こちらの腕の傷ですよ。手首に近いものなので、よく見えてしまったのでしょうね」

 傷自体は深くなく、すぐに治るものだが、くっつきかけたところを使ってしまい、開いたのだろう。

「今までは平気だったのに?」

「弓と剣では、使う部分が違うということでしょうね」

 弁慶の言葉に、九郎の姿の譲が頷いた。

「九郎さん」

 バツが悪そうに、うつむいていた譲の姿の九郎に、九郎の姿の譲が言う。

「この傷があることだけは、先輩に悟らせないでください」

 そっと肩の傷をなでると、譲の体の九郎がビクリと揺れた。

 その声の重さに、譲の怒りはこの傷が暴かれたと思ったからだと、気付いた。

「わかった」

 譲の姿の九郎がこくりと頷くと、九郎の姿の譲が頭を下げる。

「こんなことになって、申し訳ないと思いますが」

「お前のせいではあるまい」

 顔を上げて自分を見る九郎。

 けれど、目の前にあるのは、互いに自分の顔で、聞こえる声は少しだけ響きの違う自分の声。

 外から聞く声と、自分が出して(聞こえて)いる声では違うというのは本当だなと思う。

 見詰め合った後、苦笑が出た。

「すまん」

 頭を下げる九郎に、譲が首を傾げる。

「望美の言う通りだ。この体は俺のものではない。乱暴に扱って傷を増やすなど」

「鍛錬をしようとしただけでしょう? 俺はかまいませんよ。鍛えてもらえるのは助かります。ただ、怪我があると知られるのは、困りますけど」

 そういって譲が苦笑すると、そうか、と九郎も苦笑した。

 互いの顔で。

 なにやら微妙な気分になり、互いに顔を逸らす。

「俺も鍛えておいた方がいいでしょうか」

「そうだな。戻ったときに使えないでは困る」

 将臣のときの例があるので、入れ替わったこと自体は、二人とも心配していないようだ。

「では後で、普段の鍛錬を教えていただけますか?」

「わかった」

 頷きあい、戻ろうと立ち上がると、弁慶が部屋の隅でうずくまっていた。

「弁慶さん?」

「どうかしたのか?」

「っ、いえ、その声で言われると」

 どうやら笑い転げているようだ。

 弁慶にしてみれば、九郎が譲に、まるでリズ先生に言うような言葉使いをしているのだから、おかしくてたまらないのだろう。

 それに答える譲の声が、言葉がまた、笑いを誘う。

 なんとか笑いを収めて、戻りましょうと部屋を出た。




「譲くん」

「先輩」

 九郎の姿の譲が、望美の傍に行く。

「傷のことはあまり気にしないで下さい。薄皮ですから半日で治ります」

「ほんと?」

「はい」

 九郎の姿でそう答えて、望美に優しい笑顔を見せる。なんだか不気味だ。

 よかったと呟く望美に、譲の姿の九郎が胡坐をかいて座り、言う。

「だから問題ないといっただろうが。お前は大袈裟なんだ」

「うるさい。譲くんの声で言うな」

 涙目で怒られ、譲の姿の九郎が眉根を寄せる。

 言い合いになりそうな雰囲気を、九郎の姿の譲が止めた。

「先輩、朝食は?」

「あ、まだ。起きて直ぐ、譲くんの傷を見ちゃったから」

 その後、怒鳴り合いをしたらしい。

 皆は譲(の姿の九郎)が怒鳴る声に驚いて起きたのだ。

 あの譲が望美に怒鳴りつけているのだから、天変地異が起きたと本気で思ったそうだ。

 そんな周囲に苦笑して、九郎の姿の譲が言う。

「では、直ぐに用意しますね」

「手伝うわ、譲殿」

 譲が立ち上がると、続いて朔も部屋を出た。