まどろみの中で ( 2 / 2 )
「俺は君の努力は評価しているんだ。だが先は長い。
無理をして倒れればかえって無駄が増える」
千尋の私室の戸口に着くと、忍人は少し穏やかな声で言った。
「……はい」
「君は王であり、この国の要だ。軽率な行動は慎んでくれ」
「わかりました…。忍人さんにも迷惑をかけてしまってすみません」
「迷惑?」
「私をベッド……寝台まで運んでくれたんですよね。ごめんなさい」
「それは謝るようなことじゃない」
忍人が急に目をそらしたので、千尋は不思議に思って彼の顔を覗き込んだ。
(あれ? ちょっと赤い……?)
「俺はもう行く」
「あ、そういえば今朝、何かご用があったんですよね?」
「別にない。時間が空いたので立ち寄っただけだ」
「そ、そうなんだ。寝ててすみませんでした」
謝る千尋に背中を向けて数歩歩いた後、忍人はぽつりとつぶやいた。
「ああいう寝顔は……ほかの人間には見せないでくれ」
「え?」
千尋の声に応えることなく、後姿はまっすぐに去っていく。
(……え、じゃあ、あれ、夢じゃなかった……?)
自分の唇に指を当てて、千尋はひたすら赤面するのだった。
* * *
「大丈夫だよ。今朝だって忍人じゃなきゃ通さなかったし」
豆茶をいれた茶碗を差し出しながら、風早が微笑む。
千尋の部屋からさほど離れていない風早の私室。
陽はすっかり落ち、揺らめく灯火が室内を照らしていた。
「王の警護には万全を期す必要がある。やはり衛士を増やすべきだろう」
「だから、アシュヴィンやサザキが空から飛んできても俺が追い返すよ」
「……アレは?」
「アレも。いくら謀略を巡らせても、俺には通用しないから」
「そうか……」
安心したように、茶碗に口をつける。
その忍人を見ながら、風早がほうっと息を吐いた。
「……来春には千尋も花嫁、なんだな。あんなに小さかったのに。
まあ、忍人も最初に会ったときは小さかったけどね」
「余計なお世話だ」
くすくす笑いながら風早は言葉を続ける。
「そういえば向こうにいたころ、林間学校……泊りがけの旅行のようなものかな、
そこで千尋が消えたって大騒ぎになったことがあったな。
駆けつけた俺が物置の扉を開けたら、中ですやすや眠っていたんだけど。
当時は夕焼けを怖がってたから、隠れているうちに寝ちゃったんだろうね」
「……そのころから、一度寝ると起きなかったのか?」
「ああ。よく俺が寝台まで運んだよ」
「……そうか」
忍人の複雑な表情を見て、風早は笑みを深くした。
「その役目も来春には君に譲るから、千尋のことをよろしく頼むよ」
「……来春…?」
「ああ。今朝は千尋が寝てるのを知らなかったから通してしまったけれど、
ちゃんと婚儀を済ませるまでは君も夜は立ち入り禁止」
「な…っ!」
ガタンと椅子を揺らして忍人が立ち上がった。
「千尋の寝顔のかわいさは俺がよ~く知ってるからね。
君が理性と闘う必要がないよう、これは俺の思いやりだよ」
「よくも抜けぬけと…!」
「おやおや、賑やかですね。忍人が何と闘うんですか?」
絶妙なタイミングで、部屋の扉を開いて「アレ」こと柊が現れる。
「柊! 話がややこしくなるから入ってくるな!」
「もちろん私も君たちなどに構わず、我が君のお部屋にまっすぐ向かうつもりでいましたよ。
ところが何ということでしょう。
どこかの無粋な従者が、部屋への回廊に結界を張ってしまったようで」
「ああ、今日のはちょっと複雑だから、君でも相当手こずるかな」
「風早、お前、そこまで……?!」
「俺の大切な姫を守るためです」
「嫌ですねえ、人をまるで害虫か何かみたいに……」
同門三人がああだこうだと言い合いをしているそのころ、千尋は再び机の前で、竹簡を抱えてうたた寝をしていた。
夢路を訪うのは、細く長い指を持つ最愛の青年。
「……忍人さん……」
微笑みながら千尋がつぶやく。
残念ながら本物の忍人が千尋を寝台に運ぶようになるのは、桜の花の中で婚儀が盛大に行われた後だったが……。
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