暗闇の僕 ( 2 / 2 )
一の谷への出陣を翌日に控え、軍議を終えた景時に譲は声をかけた。
「景時さん。そちらの部隊は、生田のほうに進軍するんですね」
「やあ、譲くん。今回、白虎は別れ別れになっちゃうね」
のんびりとした口調。
天下分け目の合戦前だというのに、景時は意外なほど緊張していなかった。
(やっぱり大物だな)
譲は心の中で呟く。
「あの……ちょっと教えてほしいことがあるんですが」
「いいよ。あ、何ならあっちに行く?」
気さくに言うと、陣幕から離れた木立の中に自ら入っていく。
「……わざわざすみません。忙しいのに」
「いや。何かこの数日、譲くんの視線を感じてたからさ」
少し開けた場所に出ると、手近な切り株に腰を下ろして景時は尋ねた。
「で、何?」
あくまで飄々とした口調。
しかし、その言葉の奥底に、張りつめたものがあるのを譲は感じた。
「……平家との戦いが終わって、陰陽の気が整ったら、俺と先輩は自分の世界に帰ります。
できれば兄さんも一緒に」
景時の目をまっすぐに見ながら伝える。
「……うん」
「俺たちがこの世界に干渉するのはそこまでです。
龍神の神子も、八葉も、そこでいなくなります」
「……そうだね」
穏やかな、少し哀しみを滲ませた目で景時は答える。
譲は思い切って口に出した。
「九郎さんと鎌倉方との今後は、俺たちに関係ない。
戦いの後まで俺たちを……先輩を巻き込むのは絶対にやめてほしいんです」
「……!……」
いきなりの言葉に、景時は絶句した。
一瞬、ひどく傷ついた表情がかすめたが、すぐに穏やかな貌を取り戻す。
微笑みさえ浮かべて。
「あはは、譲くんはずいぶん気が早いな。
明日の戦いにだって、勝てるかどうかわからないのに」
「景時さんは、まるで勝ちたくないみたいに見えます」
譲は固い調子を崩さない。
「源氏が勝利に向かって進んでいくのがつらいみたいに」
「……」
少し気弱な笑いを浮かべたまま、景時は譲を見つめた。
「……そうだね」
「……なぜ……ですか……」
すっと視線を外すと、空を見上げる。
「教えてほしいことって、それ? それとも、戦いの後のこと?」
「……答えは同じ、なんじゃありませんか」
目を閉じ、苦笑を浮かべると、景時は譲に向き直った。
「ごめんね、譲くん。オレは八葉であると同時に軍奉行でもある。
頼朝様の御家人なんだ。その問いには答えられないよ」
「……」
「でも、そうだな……」
再び視線を空に投げる。
「君には、望美ちゃんを守ってもらいたい。
そばを離れずに、いつでも手を差し伸べられる距離で」
「……景時さん?」
「これが精一杯の答え……かな。そのうち分かるよ。
さあ、陣に戻らなきゃ」
背を向けて歩き出した景時を、譲は無言で見送った。
* * *
「景時さんっ!!!」
「……ごめん。オレはもう……君の八葉じゃないんだ……」
八葉と神子にだけ見える宝玉が、壇ノ浦の海の色を映して鈍く光った。
景時の身を離れ、一瞬だけ戸惑うように宙に留まると、望美の手に吸い込まれていく。
「……景時……さん……!」
望美が崩折れそうになるのを、譲が後ろから支えた。
「先輩、しっかりして!」
その様子を見て、景時がかすかに微笑む。
激しい鍔迫り合いの末、2隻の船が刹那、離れた。
ヒノエが巧みな舵捌きでたちまちのうちに距離を開く。
白波を立てて流れる潮に乗り、望美たちの船は一気に西へと滑り出した。
壇ノ浦があっという間に遠ざかる。
強い風に吹かれながら、望美は背後を振り返った。
船縁に佇む長身の男。
手にした銃の銃口は、すでに下に向けられている。
「景時さん……!!」
すがるように、最後にひと声、呼んだ。
その声が届いたのか、届かなかったのか、影は微動だにしなかった。
(……オレは……どうしようもない奴なんだよ……、望美ちゃん)
あのときの声が、再びよみがえる。
(違う…! そんなことない!
景時さんはいつも優しくて、だからいつも苦しんでいた。
それに気づけなくて、こんなつらい選択をさせてしまったのは私…!!)
望美は指が白くなるほど強く欄干を掴んだ。
春の海に涙が舞う。
傍らでは朔も、肩を震わせて泣いていた。
あんなにも望んだ勝利。
あんなにも夢見た平和。
それが実現しようとした瞬間、姿を現した深い闇。
「先輩……俺は……景時さんには何か考えがあるんだと思います」
譲の声に、望美はうなずく。
「そう。そうだよね。景時さんは今でも八葉。
宝玉がなくても、心はいつも私たちのそばにいるよ」
朔の肩をギュッと抱き締める。
「信じよう、朔。答えはきっと……いつか分かるはずだから…!!」
瀬戸内を渡る風に吹かれながら、望美はいつまでも遠ざかる影を見つめていた。
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