駅から5分ほど歩くと、閑静な住宅街に入った。
古くから住んでいる人が多そうな、落ち着いた街並。
ヨーロッパに渡航する前はもちろん、渡航後も長い休みのたびに、幸鷹はここに戻って過ごしたという。
通り過ぎる家々の塀や、街路樹、公園のベンチのすべてに思い出があるのだろうと、花梨は歩きながら思った。
「今、公園の脇を通っています。もう5分もすれば着きますよ」
幸鷹が優しい声で電話に告げる。
母親が心配しないよう、ここに来るまでもこまめに状況を話していた。
「大丈夫です。ちゃんと家で待っていてください」
迎えに来ると言ったらしい母親を、穏やかになだめる。
(息子さんがこんなに素敵な男性になっているなんて、お母さん、きっとびっくりするだろうな)
幸鷹の横顔を見上げながら、花梨は思った。
そのとき、突然、鋭いブレーキの音がした。
乗用車が二人の横に止まり、運転席の男性がドアから飛び出してくる。
「「!」」
「……幸鷹……なのか……?」
「……!」
花梨にも、その男性が誰かすぐにわかった。
よく似た面差し、体つき、何より声が……そっくりだった。
「…………お父さん……」
「幸鷹……なんだな……」
男性の目から、見る間に涙が溢れ出た。
ここまでよく堪えてきた幸鷹も、さすがに涙を止められない。
父親は、自分より背が高くなった息子を無言で抱き締める。
「大きく……なったな」
「お父さんはお変わりなく……」
「…………そんな世辞が言える歳になったか…………」
「…………」
会話は途切れ、親子はただただお互いの存在を確かめあっているようだった。
***
「……母さんが待ってる。こんなところで引き止めていたら、怒られるな」
しばらく後、幸鷹の父が言った。
「はい」
「そちらのお嬢さんは?」
幸鷹そっくりの目で見つめられて、花梨は赤くなる。
「あ、あの、私、ここで……」
「駄目よ! ちゃんと家までお連れして!」
そう言ったのは、息を弾ませて駆けつけてきた女性だった。
「幸鷹を連れてきてくださったのよね、花梨さん」
「……!」
先ほど電話越しに聞いた声。
やはり幸鷹によく似た、優しい目をしている。
「あなたたちの会話、ちゃんと電話でも聞こえたのよ。
幸鷹を気遣って、ここまで連れてきてくれてありがとう」
そう言うと、花梨に近づき、手を取ってぎゅっと握りしめた。
そしてすぐに、瞳を幸鷹に向ける。
「お帰りなさい、幸鷹。本当に……長かった……長かったわ」
「……お母さん」
凛とした美しい横顔。
学者だと聞いた幸鷹の母は、同性から見ても魅力的な女性だった。
しかし花梨は気づく。
その手が冷え切って、小刻みに震えていることに。
(……この人は……)
花梨は思わず両手で、幸鷹の母の手を包み込んだ。
「……?!」
「……大丈夫です、お母様」
驚いてこちらを見た彼女に、懸命に微笑みかける。
「幸鷹さんはもう、どこにも行きません。消えたりしませんよ」
「…………」
沈黙の後、彼女は小さくつぶやいた。
「………本当に……?」
堰を切ったように大粒の涙がこぼれ出す。
「お母さん!」
幸鷹があわてて駆け寄ってきた。
目の前に立った息子を呆然と見上げると、
「幸……鷹……?」
「はい」
「……あなた……どこに……行ってたの……?」
そう言って、彼の胸にすがりついた。
8年の間、求めても求めても答えを得られなかった疑問。
心からの問いかけ。
全身を震わせて泣く母の背を、幸鷹はなだめるようにさすった。
幸鷹の父の横でボロボロと涙を流していた花梨は、幸鷹の表情の変化に気づく。
安堵でも、喜びでもない。苦痛に彩られた顔。
ようやく再会を果たしたのに、いったいなぜ?
幸鷹の父に促されて乗った車中でも、彼の表情は曇る一方だった。
バックミラー越しにそれを見ながら、花梨は一抹の不安を覚えるのだった。
<3につづく>
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