神護寺騒動 ( 3 / 4 )
夜半。
月が高く上った時分に、突然袍が引っ張られる。
「?!」
幸鷹は文机の上の手燭を掴むと、素早く几帳の向こうに回りこんだ。
「神子ど…!!」
スースースー。
花梨はあどけない寝顔に笑顔さえ浮かべて眠っている。
眠るうちに手にしていた袍を手繰り寄せてしまったのだろう。
青い衣を抱きしめるように胸に抱えていた。
幸鷹は安堵のため息をもらすと、抜きかけた刀を音が出ないようにそっと鞘に戻す。
そのまま背を向けると、後ろから小さな声が聞こえてきた。
「…幸…鷹さ……」
「? 神子殿…?」
おそらく寝言だろうと思いながらも、何かの呪詛を受けていてはいけないと幸鷹は花梨の顔に耳を近づける。
「あの…ね…」
「…はい」
「わた…し…ゆき…た…」
小さな唇から途切れ途切れにこぼれる声。
幸鷹は思わず身を乗り出した。
「……神子殿…? 何か…」
「…だい……す…」
ドンッ!!と突然大きな音が鳴り響き、花梨がパチンと目を開いた。
耳を寄せていた幸鷹と思い切り至近距離で見つめあうことになり、驚きに目が丸くなる。
「……あれ…?」
「み、神子殿…!」
目の前で花梨の頬が見る見る朱に染まっていく。
幸鷹は一瞬、この状況をどう言い訳しようか考えたが、すぐに気を取り直した。
「外で不審な音がいたしました! どうか私から離れないでください」
「は、はい」
単衣姿の花梨を抱き起こし、今度こそ刀を抜き放ちながら几帳の影から飛び出す。
次の瞬間、広間の戸板が勢いよく開かれた。
「キャッ!」
「神子殿っ!!」
「曲者っ!!」
「待て! 落ち着け、頼忠!!」
「……何?!」
「え?! 頼忠さんと勝真さんっ?!」
花梨の声に、全員の動きがピタリと止まる。
明らかに屋内に持ち込むべきでない大きさの松明を掲げている頼忠と、それを止めようとしている勝真。
刀を構える幸鷹と、彼に単衣一枚でしがみついている花梨。
「?! 頼忠? 勝真殿、これはいったいどうしたことです」
「神子殿、ご無事でいらっしゃいますか?!
お迎えにあがるのが遅れまして申し訳ございません!」
幸鷹の問いを無視して、頼忠が床にひざまずく。
その横で、勝真が呆れたように言った。
「頼忠、とにかくその松明を消せ! 寺を焼く気か!」
* * *
「まあそういうわけで、夜になっても花梨が戻らないから、頼忠の奴が京中を探すと言い出したんだ。
仕方ないから泰継のところまで行って、式神を飛ばしてもらった」
すでにいつもの定位置、軒先で警護についている頼忠の後姿を見ながら勝真が解説する。
「わざわざ北山まで行って? 勝真さん、お疲れ様です。
でも、式神が来たのには気づかなかったな」
花梨はキョロキョロと辺りを見回した。
「鳥だか蝶だかの姿で来たらしいぜ。
で、幸鷹とイサトが一緒なこともわかったんで、落ち着くかと思いきや……」
「松明を掲げて神護寺に向かった訳ですか。つくづく信頼されていませんね、私は」
幸鷹が苦笑する。
「どんなときでも、自分が花梨を守るっていうのがあいつの方針らしいからな。
別に別当殿の腕が問題なわけじゃない。まあ、信頼しているかと言われれば……」
言葉を途切れさせた勝真は、並んで座る花梨と幸鷹をじろじろと見つめた。
「…勝真さん?」
幸鷹の袍を羽織った花梨が不思議そうに見つめ返す。
「あの翡翠じゃあるまいし、別当殿が花梨に変な真似するとは思わないが」
「あ」
突然声を上げた花梨が、見る間に真っ赤になった。
「って、したのかよ!?」
「しません!」
「ち、違うんです、勝真さん。
たださっき幸鷹さんに起こされたとき、顔がすごく近くにあって驚いたのを思い出して」
「…別当殿」
「だから誤解です!」
「んだよ、うるせえなあ」
隣室から板戸を開けてイサトが這い出してきた。
「イサト! お前一人で寝てたのか?」
「夜は寝るもんだろ。……ん? なんで勝真がここにいるんだ?」
「お前は、八葉の自覚が…!」
「イサトは先ほど間違って般若湯を口にしてしまったのです。
飲みなれないものですから、眠くなるのも無理はありません」
「あ、そうそう。そうだった」
まだ寝ぼけているイサトの横で、勝真の視線が厳しさを増した。
「……別当殿、あんた、まさか意図的に」
「ですから誤解です!!」
「神子殿、どうかそろそろ茵にお戻りください。このままでは朝になってしまいます」
混乱を収拾するように、頼忠がこちらに背を向けたままきっぱりと言った。
「あ、はい。そうですね」
あわてて花梨が立ち上がる。
「神子殿、大丈夫ですか?」
幸鷹が心配そうに声を掛けると、
「はい、今度は一人でも眠れると思います。
ありがとうございます、幸鷹さん」
と、にっこり笑って几帳の向こうに消えた。
「「「「…………」」」」
「「…別当殿……」」
「ゆーきーたーかー?」
「……まずは隣室に。神子殿の眠りを邪魔するわけには参りませんから」
頭を抱えながら幸鷹が言う。
彼の説明に三人が納得するころには、すっかり夜が明けていたという。
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