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百年の恋って言うけれど ( 2 / 2 )

 



「先輩?」

不審に思った譲が声を掛ける。

「どうかしましたか?」

呼び掛けに、返事はない。

「先輩?! どうしたんですか?! 何かありましたか?!!」

背中を向けたまま問い掛け続けるが、答えは返ってこなかった。

不安が譲の心臓をギュウッと締め上げる。

(まさか怨霊? いや、敵兵? くそ、仕方ない…!)

思い切って振り向いたのと、望美が胸の中に飛び込んできたのは同時だった。




「先…!?」

「いや~っ!! ヘビ~!! 
大きいの出た~!! 怖い~っ!!!」


「いや、うわ、待って、ちょっと待ってください!!??」

素早く視界に捉えたヘビは、確かに大きくはあるものの、無毒のアオダイショウだった。

それよりも大問題は望美の格好だ。

長い髪でかなり隠れているとは言え、何も着ていない

譲はギュッと目を閉じると、慌てて羽織っている着物を脱ぎ、着せかけた。

「先輩、大丈夫です。
アオダイショウですから、毒もないし襲ってきませんよ。落ち着いて」

「いや~、いや~、怖い~!!」

「大丈夫です、俺がいますから、落ち着いてください」

「怖い! 怖い! 目が合った~!!」




必死ですがりついてくる望美を着物ごと抱きしめ、背中をポンポン叩いてなだめる。

「大丈夫ですから。
アオダイショウって、白い奴とかは神様の使いって言われる種類ですよ。
襲ってきたりしません」

「ウソウソ! 大きすぎるよ、怖いよ」

「本当です。信じてください」

「だって……」

しばらくすると、望美の身体から少し力が抜けた。

「……本当?」

「はい」

「……まだ……いる?」

「ええと……すみません、今ちょっと目が開けられなくて」

「……え?」

「先輩、あの、その着物、もうちょっとちゃんと羽織ってもらえますか?」

「!!!」

ようやく自分の姿に気づいた望美が上げた悲鳴は、ヘビを見たときよりなぜか大きかった。



* * *



「……ごめんなさい。もういいよ」

譲に岩の向こうから取って来てもらった着物を身に着けると、望美は小声で言った。

ずっと背中を向けていた譲は、ほっと息を吐きながら振り返る。

「その……災難……でしたね」

赤い顔の望美が、声もなく頷く。

「口笛を吹くとヘビが来るっていうのは迷信らしいから関係ないんだろうけど、
先輩、せっかくリフレッシュしたところなのに」

譲が同情を込めて言うと、望美の頭が左右に振られた。

「? 先輩……?」

「違うの」

「……何がですか?」

「私……譲くんに入ってもらいたかったの……」

「……俺に……?」

望美が大きく頷いた。




「こっちに来てからすごくいろいろ助けてもらって、なのに全然お返しもできなくて、
せめてお誕生日くらいちゃんとお祝いしたかったのに、旅先じゃそれもできなくて……。

だからこの温泉のこと聞いたとき、譲くんに入ってもらおう、
プレゼントの代わりにはならないけど、今日くらいゆっくりしてもらおうって思ったの……。

なのに、こんなになっちゃって、ごめんなさい……」

すっかりうなだれた望美の姿に動揺しながらも、胸がかすかに熱くなる。

「……誕生日…って、俺の、ですか?」

望美がもう一度大きく頷く。

胸の熱が急に上がった。

自分ではまったく忘れていたその日付を、望美が覚えていてくれたなんて。

その上、何とか祝おうとしてくれたなんて。




「あ……だからさっき、『俺にしかできないお願い』って言ったんですか?」

「うん。みんなついてきちゃったらお祝いにならないでしょ」

少し不思議そうな顔で望美が譲を見る。

「当たり前でしょう?」というその表情が、何よりもうれしかった。

「でも、ちゃんと入れる温泉か確かめたかったし、そもそも譲くん、先に入ってって言ったら絶対断りそうだし、
だから交替ってことにすればいいかなって」

部屋に誘いに来たときの、恥ずかしそうな様子を思い出す。

それはそうだろう、望美だって年頃の少女だ。

いくら幼なじみとは言え、真っ昼間に譲の前で温泉に入るというのは、それなりに覚悟がいったはずだ。

彼女なりにいろいろ考えて、それしかないと決断して、恥ずかしさをこらえて実行したのだろう。

うれしい。

素直にうれしい。

胸の熱さは、すでに痛いほどだった。




「……あの、先輩。じゃあ、俺、入ってきてもいいですか?」

「え?」

望美が、目を真ん丸に見開いて驚いた。

「先輩からの誕生日プレゼント、受け取らせてください」

「え? で、でもヘビが」

「言ったでしょう? アオダイショウは大丈夫です。
それにこれだけ騒いだら、もう逃げていったと思いますよ」

譲の顔をじっと見た後、望美が少し頬を染めた。

「……そうかな…」

「ええ。あ、でも俺が入っている間、先輩のほうに出たら、温泉に飛び込んできてもいいですよ」

「怖いこと言わないでよ! っていうか、絶対飛び込みません!」




真っ赤になって背中を向けた望美の後ろでクスクス笑いながら、譲は岩陰に歩を進めた。

涼しげな緑が影を落とす岩場は、極上の露天風呂だ。

手早く着物を脱ぎ、滾々と湧き出す温泉に身を沈める。

ほうっと安堵のため息をつくと、岩の向こうで望美が突然歌い出した。




Happy birthday to you, happy birthday to you, happy birthday dear 譲くん……




「先輩……」




こみ上げてくる切なく温かい感情をせき止めるため、譲はぎゅっと目を閉じた。

岩に背をもたせかけながら、自分自身に語りかける。




駄目だ。

駄目だ。

冷めることなんてあり得ない。




俺にとってただ一つの恋。

ただ一人の愛しい女性。




あなたを忘れて幸せになるくらいなら、あなたを想い続けて不幸になるほうがいい。

先輩、たとえ告げることができなくても、どうかこの想いを抱くことだけは許してください……。




熊野の晴れ渡った青空に、望美の明るい声が響いていた。




 

 
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