百年の恋って言うけれど ( 1 / 2 )

 



百年の恋も冷めるような……と言うけれど

俺にはそれがどんな気持ちか理解できない。

むしろ、どうやって冷めればいいのか、それを知りたいくらいだ……。



* * *



「譲くん、あのね、譲くんにしかできないお願いがあるの」

「え?」

頬を染めた望美に両手を合わせて頼まれて、譲は矢羽を梳く手を止めた。

というより、その場で硬直した。




勝浦の宿で足止めを食らって数日。

熊野川の氾濫の様子を確認しに行くくらいしか仕事がない彼は、武具の手入れをしたり、食事の支度を手伝ったりして時間を潰していた。

そこに、望美が人目をはばかりながらこっそり訪ねてきたのだ。




「い、いったい何ですか? 俺にできることなら、もちろん協力しますけど」

「本当?! ありがとう!!」

望美はぱーっと輝くように笑うと、譲の手を引っ張る。

説明のないまま部屋から連れ出され、気づくと二人で宿を抜け出していた。

「先輩……?」

「しーっ! みんなには絶対気づかれないようにしたいの」

「……え」




少し恥ずかしそうな望美の表情に、期待するなと言うほうが無理な話である。

だが、長年の肩透かし体験で心を鍛えられている譲は、

「ダメだ、ダメだ。
どこからどう見ても期待せざるを得ないシチュエーションであっても、先輩が俺のほうを見てくれるわけがないんだっ!!
絶対に余計な期待は抱いちゃいけないっ!」

と、望美に取られていないほうの手で腿をつねりながら自分に言い聞かせていた。




やがて、緑豊かな木々の向こうに、澄んだ水面が見えてくる。

夏の陽光をキラキラと映して、目がくらむほどにまぶしい。

譲は眼を細めながら、隣りにいる望美に尋ねた。

「これは……湖、ですか?」

「うん。淡水と海水が混じった湖なんだって。それでね、こっち」

再び望美に手を取られ、湖のほとりの岩陰に連れて行かれる。

「ここ、ここ! ねえ、手を入れてみて!」

「手……?」

言われるままに岩の間の水に手を入れると、ほどよい温かさが感じられた。

「え? 温泉?」

「そうなの!! ここ、穴場だって市場のおばさんたちが教えてくれたの!」




「いつの間に市場の人と親しくなっていたんですか」

「龍神温泉でも入ったじゃないですか」

「まだ真っ昼間ですよ」

などというコメントを吹き飛ばす勢いで、譲の頭を占めたのは次の一言だった。

「先輩、入るつもりですか?!」




木立に囲まれた岩陰とは言え、人が行き交う街道からそう離れているわけじゃない。

何より、こ、こ、こ、ここでにゅ、入浴って、そ、その気になれば、ぜ、全部見え……!!??

「譲くん、大丈夫?」

ゆでたタコ並みに真っ赤になった譲の顔を、望美が心配そうに覗き込んだ。

「……!!」

これで大丈夫なら、この世には医者も健康診断も不要である。

だが、望美の心配そうな様子を見て譲はなけなしの理性をかき集めた。

「だ、俺は、だ、全然、だ、先輩、入るつもりなんですかっ?!

残念ながら、返事より先に本音が飛び出してしまったが。




「うん。本当は二人で一緒に入りたいけど、水着もないし、浴衣だと透けちゃうし。
ね、交替で入らない?」

「こ、交替……?!」

「私が入っている間は、譲くんに誰も来ないよう見張ってもらって、譲くんが入ってる間は私が見張るの。
大丈夫、汗を流すだけだからそんなに長風呂しないよ」

「龍神温泉があんまり気持ちよかったから、癖になっちゃって」と、照れながら笑う望美に、譲は全身の緊張をやっと解いた。

なぜ自分が? と聞くのも野暮な気がした。

望美にとって、一番わがままが言いやすくて、一応八葉で、こっそり覗いたりしないという点で信頼もされているのは自分なのだろう。

異性として意識されていたら、決して回ってこない役割であることもわかっているが……。




「まったく、仕方のない人だな。
……わかりました。
じゃあ、俺はここで背中を向けて見張ってますから、ゆっくり楽しんでください」

譲が苦笑しながらそう言うと、望美はあわてて周りを見回し

「あ! あの岩のところ! あそこに座っていて。そんなに待たせないから」

と言い残して、岩陰に消えた。

(はあ……軽く拷問だよな……)

言われたとおりの場所に腰を掛けると、背後から聞こえる衣擦れの音や、水音にあまり意識を向けないようにしながら、譲はため息をついた。




やがて、岩の向こうから望美の声がする。

「譲くん、いる~?」

「いますよ」

「なんか姿が見えないとちょっと心配だね」

「え~と……じゃあ、何かしゃべっていましょうか?」

「歌っててもいいよ」

「歌はちょっと……あ、口笛でも吹きますか」

「え?! うんうん、ぜひ!」




ほどなくして、軽快なメロディが流れ出した。

「懐かしい!! 小学校の校内放送で流れてた曲だね。口笛吹きと子犬だっけ?」

望美もところどころ一緒になって口笛を吹き始める。

「ユーモレスク」、ヴィヴァルディの「春」……

「ありがとう、譲くん。じゃあそろそろ……」

湯から上がったらしい音の後、望美がそう声を掛け、突然沈黙した。