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はじまりの物語 ( 3 / 5 )

 



漆黒の闇に、青白い光が微かに揺れている。

リュミエールはいつものように、静寂が支配する執務室に足を踏み入れた。

「……リュミエールか……」

部屋の主が、執務机の向こうで低くつぶやく。

「はい、失礼いたします。よろしければ、1曲お聞かせしたいと」

「……ああ…。……何を持っている?」

水の守護聖は、ハープ以外にも何かを携えていた。

「花です。美しいスミレを摘んで参りました」

「……なぜそのようなものを持ち込む。闇の中では見えぬぞ」

うんざりしたようにクラヴィスが言う。

「クラヴィス様、花には形だけでなく、香りもあるのですよ」

「……」

「こちらに置かせていただきますね」

「………勝手にしろ」

ほどなく、ハープの美しい音色が執務室から流れ出した。




「……望みは?」

「エリューシオンに闇の安らぎをたくさんお送りください」

「……承知した」

「失礼します」





「今宵はどのような曲をお望みでしょう」

ハープを調弦しながら、リュミエールが尋ねた。

ソファに寝そべっていたクラヴィスは、呆れたように言う。

「……また持ってきたのか」

リュミエールはにっこりと微笑んだ。

「お気づきでしたか。香りが淡いのでおわかりにならないかと」

「……闇に浮かび上がっている」

「星屑のようですね。かすみ草は、このお部屋に映えるようです」

「…………」




「……望みは?」

「エリューシオンに闇の安らぎを少しお送りください」

「……承知した」

「失礼します」





「……また花か。よく飽きぬものだな」

すでにあきらめた……という口調でクラヴィスが言った。

リュミエールはちょっと悪戯めいた表情で、花を背中に隠す。

「今日の香りが何かおわかりになりますか」

「……バラか」

「はい」

こぼれるような笑顔とともに、純白の花束が差し出された。

「馥郁たる香りでしょう。多少指を切ってしまったようですが」

「……?」

すでに定位置となった執務机の上の花瓶に手早く生ける。

そして、

「では、1曲お聞かせいたしましょう」

と、ハープの弦に指を滑らせた。




「……望みは?」

「エリューシオンに闇の安らぎをたくさんお送りください」

「……」

「クラヴィス様…?」

「……指…」

「あ、す、すみません。お見苦しくて」

「……」

「それでは、失礼します」





「……リュミエール」

来室を待ち構えていたクラヴィスは、水の守護聖の暗い表情に気づいた。

「申し訳ありません、クラヴィス様。しばらく、花はお持ちできません」

「……?」

哀しげに眉根を寄せて、リュミエールは続ける。

「ずいぶんと高い熱を出しているようで、外出を止められているのです」

「………」

「すぐに元気になると思いますが……」

誰が……という言葉は、すでに不要だった。




「申し訳ありませんが……」

もう何日も繰り返されている会話。

「……まだ…」

「ええ…。あんなにバラ色の頬をしていたのに、今は怖いほどに白く透き通ってしまって……。医師たちも悩んでいるようです」

「………」

「とても心配です……」

水の守護聖は長い睫毛を伏せて言った。






 
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