暁天の星 ( 1 / 3 )

 



滅多に笑わない男性(ひと)を、たまには微笑ませてみたい。

特にその日が彼の誕生日となれば。




「……とは言え」




ふうっと千尋は大きなため息をついた。

天鳥船の自室の露台で、憂いは白い霧に姿を変える。

厳しい冬が始まっていた。

見渡す大地には葉を落とした木々が広がり、ポツリポツリと見える常緑樹が世界に彩りを添えている。

白い雪の毛布がすべてを包み込む日も遠くないだろう。




「とても屋外でパーティ……なんて気候じゃないし、船内は戦続きで殺気立っているし……」




その殺気立った集団の中心にいる人物を笑わせようというのだから、並大抵のことではない。

そもそもここ数日、軍議以外では言葉を交わすことさえできていないのだ。

この世界には誕生日という概念がないから、千尋が自分を祝うつもりでいる、などとは夢にも思っていないだろう。

いや、たとえそういう習慣があったとしても、彼は最も遠い場所に身を置いてきたはずだ。




研ぎすまされた刃のように、うかつに近づくことを許さない張りつめた空気。

甘えも弱音も油断も排し、戦いだけを見据えた深い色の瞳。




それでもほんの数回、千尋に微笑んでくれたことがある。

冬の夜空のような面差しが柔らかい光に満たされ、どこにそんな表情を隠していたのかと思うくらいの温かい笑顔。

見ている千尋の頬も、かあっと熱くなった。

「……まるで暁天の星ですね」

風早に伝えると、笑いながらそう言った。

「ぎょうてんの星?」

「あかつきの空のことを暁天と言うんです。もう明るくなっていて星がほとんど見えないでしょう? 
その中に輝く星。とても珍しいもののたとえです」

「た、確かに、忍人さんの笑顔は滅多に見られないけど、珍しいから見たいんじゃなくて」




とてもきれいだから。

とても心が温かくなるから。

忍人さんの本当の姿が伝わってくるから。



* * *



「ということで、何か贈り物を考えたいんだけど、何がいいと思う?」

忍人が狗奴たちと偵察に出ている間に、千尋は船内のみんなを楼台に集めて問いかけた。

が、受け止める空気はきわめて冷たい。

「まったく、戦を前にしたこの時期に、忍人が浮かれたプレゼントなんか喜ぶと思うわけ?」

那岐が心底面倒くさそうに答える。

「そうさな、姫さん。オレもカリガネの菓子でも……と思ったが、戦の糧食を減らすような真似したら、こっちの命がアブねえや」

サザキの言葉に、傍らのカリガネも無言でうなずいた。

「俺も多少の宝飾品の持ち合わせはあるが、葛城将軍なら『軍費に回せ』と言うだろうな」

アシュヴィンがそう言うと、

「何だ何だ、アシュヴィン! お宝ならオレが鑑定して……」

「生憎、盗賊の前にわざわざ宝物を晒す趣味はない」

ビシッと言われ、サザキは羽をシュンと畳んだ。




「姫、私たちが戦の準備を怠りなく行うことが、将軍への最大の贈り物となるのではないでしょうか」

布都彦が真剣な眼差しで考えを述べる。

(神子、オレ……忍人のために歌う? 祝いの歌、いくつか知ってる)

遠夜は直接、心に語りかけてきた。

もっともな意見と、懸命な申し出を聞いて、千尋はため息を落とす。

「そう……だね。忍人さんへの最大の贈り物は橿原宮の奪還。
平和が戻ってからゆっくりお祝いすればいい……んだよね……」

皆の言うとおり、今は戦の直前なのだ。

食糧も宝物も時間も何一つ無駄にはできない。

すべては戦いが終わった後……。




「おや、私の意見は聞いていただけないのですか? 我が君」

楼台の柱に身をもたせかけていた柊が、微笑みながら口を開いた。

「柊。でも……」

「確かに、今は何かを贈ったり、祝宴を開くときではない。
けれど、姫の『心』を伝えることくらいは構わないでしょう?」

思わせぶりな言い回しに、何人かは呆れ、何人かは眉をひそめ、何人かは立腹した。

「柊、お前、何を言いたいんだ?!」

立腹組を代表してサザキが声を荒げる。

「文字通りですよ。姫が忍人を祝いたいと思っている、その気持ちを伝えるということです」

「伝える……。手紙とか……かな?」

「ええ。文字にするのも一つの方法です」

柊の言葉を聞いて、千尋はしばらく考え込んだ。




青空を映した瞳が、突然輝く。

「そうか! 祝いたい気持ちを文字に……!! 柊、書庫にある竹簡を少しもらってもいい? 
未使用の物、あるよね?」

「もちろんです、我が君。よろしければ代筆もいたしますよ」

「それは俺が。千尋、自分の部屋で書きますか?」

いきなり口を挟んだ風早に、柊が片眉を上げた。

「ううん、ここに持ってくるから大丈夫。筆とかも借りるね、柊」

「ここに?」

「うん! みんな、このまま待ってて!」

「え?」

パタパタと走り去る千尋の後ろ姿を、全員が呆然と見送る。

那岐がぼそっとつぶやいた。

「……何かすごく嫌な予感がするんだけど」