父親の一番長い日 ( 2 / 2 )
「あれ、あかねの親父さん、どうかしたのか?」
庭を見せていただくという口実で、外に出ていた私の背中に声が掛かった。
振り向くと、森村くんが立っている。
「いや、ちょっとのぼせたみたいで、新鮮な空気を吸いにね」
「ま、親父としてはしんどい場面だよな」
ズバリ核心を突かれて、私はしばし固まった。
「……君は、どう思うんだね。あの、鷹通くんのこと」
友人である彼に尋ねても私の聞きたい言葉など出てはこないのだろうが。
「くそ真面目で、頭が固くて融通がきかないし、歳はそう違わないのに妙に大人ぶって何かっていうと人に説教してくるし、はっきり言って虫が好かねえな。
実際、のべつ口喧嘩してたぜ」
「……え。だって、君、友達なんだろう?」
私はそこまでの言葉は期待していないぞ。
「まさか。『仕事』で必要なときに、仕方なく一緒に行動してただけだ」
「だが……」
「もともと常識だの規則だのを守れ守れとうるさかったから、あかねにちょっかい出してきたときも、そこを踏み越えたりはしないと思ってたんだ。
あいつはそれなりに大切なものを抱えていたし、地位とかそういうのもあったし。
だからあかねのほうに『無理』をさせるんじゃないかって。
俺はそんなこと許すつもりはなかった。
なのに、びっくりするくらい潔く全部捨てやがって……。
悔しいけど、そこは見直したな」
「……それは公務員をやめて、大学に入ったこと、かい?」
私の言葉に答えようとして、少しためらった後、彼は口を開いた。
「……そういう言葉で表すよりもずっと大きなものを、鷹通は捨ててきたと思うぜ。
なのに何でもないような顔して全部自分で背負おうとするから、結局手を貸さずにはいられない。
損なんだか得なんだかわからねえ性格だな、あいつは」
「……少なくともいい『友達』には恵まれているようだがね」
「……!」
森村くんは絶句すると、頭をかきながら「んなんじゃねえよ」とつぶやいて家の中に戻っていった。
なるほど。
どうやらもう一度彼と話してみたほうがいいようだ。
私は森村くんの後を追うように、にぎやかなパーティ会場へと足を向けた。
* * *
「若輩の身で、しかも経済的に自立もしていない状態で、お嬢さんとの交際を認めていただこうというのは大変心苦しいのですが……」
念のために言っておくと、別に彼はあかねを嫁にもらいに来たわけではない。
高校生と大学生が交際するのを親に認めてもらおうとしているだけだ。
だが、ひどく生真面目に、私の前で正座して言葉を紡いでいる。
広い和室の中には私たち二人だけ。
流山家の人たちが、わざわざ一部屋空けてくれたのだ。
きっと部屋の外では、あかねがハラハラしながら待っていることだろう。
「君が進路を変えたのはあかねのためだと聞いたが、まだ君たちは若い。
これからいろいろな人との出会いがあるだろうし、もちろん別れもあるだろう。
あかねがそれを選んだ時、君はどうするんだい? ストーカーにでもなる?」
「いえ、とんでもありません!
私は私の意思で自分の道を選びましたし、何よりも大切にしたいのはあかねさんの幸福です。
それを妨げるものが自分なのだとしたら……もしそういう時が来たら、もちろん潔く身を引きます」
「う~ん……」
私は腕を組んでうなった。
鷹通くんは、私を真剣に見つめている。
「君ね」
「はい」
「そんなんじゃダメだよ」
「は、はい……?」
「本当に好きなら『絶対に離しません! 一生愛し抜きます!』くらい言わないと」
「え……?」
「もちろん、将来のことはわからない。でも、今の気持ちが本当なら、もっと堂々と言いなさい。
『お嬢さんが好きだから交際させてください!』と。それだけでいいんだよ」
「……元宮さん」
「世の中には君より出来の悪い男のほうがよっぽどたくさんいるんだし、正直、あかねはずいぶん見る目があると感心しているんだ。
だから遠慮せずに、もちろん節度を持って、あかねと付き合えばいいじゃないか」
「よろしいのですか?」
「まあ、私が止めたってあかねは聞きやしないだろうし、妻もすっかり君を気に入っているし、もともと勝ち目のない勝負だ。
それに、たまに君と一杯やれれば私もうれしい」
「!!」
突然、和室の衾が開いてあかねが飛び込んできた。
「お父さん、ありがとう!!」
ガバッと抱き付く。
「鷹通、よかったな」
「鷹通さん、おめでとう!」
「やっとくっついたわね、天の白虎」
続いてなだれ込んできた森村くんや流山くん、蘭ちゃんも口々に祝いを述べた。
「ちょ、ちょっと君たち、私は交際を許可しただけ……」
「わかってるって親父さん! でも鷹通には同じことだろ」
「鷹通さん、こっちに一人で来て、いろいろ頑張った甲斐があったね!」
「あかね、これで堂々とデートできるわね。あ、今までも堂々としてたか」
「うん、してた」
あかねが頬を染めながらうなずく。
その顔を見て、私は早まったことをしたと後悔したが、時すでに遅し。
妻に強引に腕を引っ張られ、部屋から連れ出されてしまった。
「あ~、まだ、交際の詳しい内容の取り決めが……」
「あなた、無粋ですよ」
「しかし」
「わかっているんでしょう? 鷹通さんなら大丈夫。あかねは最高の彼氏を選んだのよ」
「……」
* * *
残って後片付けを手伝うというあかねを置いて、私と妻は一足先に流山家を失礼した。
「楽しかったわね~。詩紋くんはまたケーキ作りの腕が上がったんじゃないかしら」
楽しげにパーティを語る妻の横を、私は肩を落として歩く。
まだ子どもだと思っていたあかねに、父親よりも好きな「彼氏」ができたのか。
私の行くところならどこにでもついてきた、幼いころの姿が次々と思い出される。
悄然とする私を見て、ため息をつくと妻がそっとささやいた。
「……鷹通さんならきっと、私たちと一緒に住んでくれるわよ」
「へ?」
「だって実家がないんだから。
地方公務員志望みたいだし、そんなに遠いところにお勤めする可能性もないでしょ?
あかねがお姑さんに悩むこともないし、あちらの実家と孫を奪い合う必要もないし。
ああ、わが家も同居のために、二世帯住宅へのリフォームを考えたほうがいいわね~」
「き、君はそんなことまで考えていたのか?!」
驚く私に、妻はにっこりと微笑んだ。
「あかねは私にとっても大切な娘ですから。あの子の幸せを考えるのは当然のことでしょう?」
「……単に鷹通くんがタイプなんだと思ってた……」
「失礼ね。私はあなたを選んだくらいですから、男の人を見る目は結構厳しいんですよ」
「へ?」
妻は背中を向けると、鼻歌を歌いながら私の先を歩き始める。
愛しい娘が幸せになるように。
いつでも笑顔でいられるように。
それが両親の心からの願い。
多分あの青年なら、それをかなえてくれるだろう……。
はっと我にかえる。
「ちょっと待ってくれ! 許したのは交際だぞ?! なんで嫁にいくことになってるんだ?!」
「お父さん、往生際悪いわ」
妻のやけに明るい笑い声が、冬の道に響いた。
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