父親の一番長い日 ( 1 / 2 )
およそ娘の彼氏に会うなどという状況は、父親にとって悪夢に等しい。
病院で初めて対面した瞬間から、「お前を全力で守る! 嫁になんかやらない!」と誓うのが世の父親の常というものだろう。
ましてや娘はまだ高校生。
どうやら大学生らしい彼氏とはもう2年もつきあっている様子だが、その男が娘に不埒なことをしていないかと、考えるだけではらわたが煮えくり返る。
何より妻が「最高の彼氏だからお父さんも早く会ってあげてよ〜」と、すっかりあちら側についてしまっているのが心底癪にさわるのだ。
「お前は俺を選んだくらいだから、男を見る目なんてたいしてないんだよ!」 と言いたくなるのをぐっとこらえ(家庭の平和は守りたい)、仕事を理由に逃げ回ってきた。
だいたいなぜ「彼氏の誕生日パーティ」とやらに、父親が引っ張り出されなければならないのか。
なんでそんなものを家族勢ぞろいでやるのか。
小学生かっ?!
謎な家風の家に、あかねを嫁に出すわけにはいかないぞ!
いや、まだ高校生なのだからそこまで考える必要はないのだろうが、今年はついに逃げ切れずに、こうして妻と娘に両脇を固められて、彼氏の家に連行されている。
悪夢だ。
あかねが生まれた瞬間に妄想した以上の悪夢だ。
こんな不幸な父親、そんなにいないだろう。
彼氏とやらは、あかねの友達の流山くんの家に下宿しているらしい。
流山くんとは何度か会ったことがあるが、フランス人とのクオーターと聞いていたので、洋風の家を想像していた。
が、眼前に現れたのは門構えも立派な日本家屋。
いや、邸宅と呼ぶべきか。
その門の前に、一人の青年が佇んでいた。
* * *
私たちの姿を見つけた彼は、深々と頭を下げる。
「鷹通さん!」
駆け寄るあかねの声には、うれしさよりも気遣いがにじんでいた。
「ずっとここで待ってたんですか? 寒かったでしょう?」
「いえ、それほどの時間ではありませんから」
安心させるようにあかねに微笑むと、青年……鷹通くんとやらは私のほうに向きなおった。
「はじめまして。藤原鷹通と申します。
今日はわざわざお運びいただき、誠にありがとうございます」
「え……あ〜、いや、こちらこそ……」
思わずポケットの名刺を取り出しそうになったほどに、礼儀正しさも丁寧な言葉づかいも板についた若者だった。
確か20歳そこそこのはずだが、営業職のアルバイトの経験でもあるのだろうか。
「あかねちゃん、いらっしゃい! あ、お父さんもお母さんも、ようこそ!
寒いですから中に入ってください」
玄関のドアを大きく開いて、流山くんが私たちに声をかけた。
すっかり背が伸びて、見事な金髪が輝いている。
身近にここまでの美青年がいてなお、このどちらかというと地味な青年を選んだのか、あかね。
お前の好みは変わっているな。
などと、心の中でつぶやきながら玄関に足を踏み入れた。
「元宮さん、いらっしゃい」
「今年はついにご主人にもお会いできましたね」
広いリビングには流山くんのご両親に加えて、祖父のフランス人男性と祖母の和服の女性まで揃っていた。
去年のパーティに参加した妻は全員とすでに顔なじみで、親しげにあいさつを交わしている。
隣で頭を下げていると、
「あかね! よかった、こっちを手伝って! お兄ちゃんたら雑すぎて使えないのよ」
「お前、これだけこき使っておいてよく言うな!」
カウンターキッチンの向こうから、長い黒髪の少女、確か蘭ちゃんと言ったか、が顔を出して娘に声を掛けた。
後ろで抗議している青年は、その兄の森村くんだろう。
彼も何度か見かけたことがある。
こちらも背が伸びて、ずいぶん大人っぽい面差しになった。
身近にこんなイケメンがいてなお、このどちらかというと地味な青年を選んだのか、あかね。
お前の好みは……。
蘭ちゃんからエプロンを受け取り、カウンターの向こうに回り込むあかねを見ていると
「どうか腰をお掛けください。何かお飲みになりますか?」
と、鷹通くんが声を掛けてきた。
「あら、鷹通さんは主役だから働いちゃダメよ」
「いつもあかねの勉強を見てくれてありがとうね」
「あなた、元宮さんにお茶をお持ちして」
流山くんのお母さん、うちの妻、そして流山くんのお祖母さんが次々と口を開き、私と鷹通くんを無理やりテーブルの前に座らせる。
フランス人のお祖父さんがニコニコしながら紅茶をいれ、ティーカップを差し出してくれた。
「お祖父さま、ありがとうございます」
「も、申し訳ありません」
「どうぞご遠慮なく」
思っていたより日本語がペラペラで、私はほっと胸をなで下ろした。
香り高い紅茶を飲んでいるうち、気分も少しほぐれてくる。
「……今日は君の誕生日パーティだそうだが……毎年こんな調子なのかい?」
私の言葉に、鷹通くんは少し照れたように目を伏せた。
「私がこちらにお世話になったのは去年からですので、今日で二回目なのですが、はい、本当にありがたいことだと感謝しております」
「君、ご家族は? 出身は遠い県なの?」
「出身は京都です。家族は……残念ながらおりません」
「え」
「違うでしょう、鷹通。君の家族は私たちだ」
「そうですよ、鷹通さん」
流山くんの祖父母がすかさず口を挟む。
その横で、流山くんのご両親もうなずいていた。
そうか、身寄りがいない彼のために、誕生日をこんなに大勢で祝っているのか。
誕生日会に対する私の疑問は氷解した。
* * *
が、さらなる疑問が生まれる。
本人よりずっと雄弁な流山くんのご両親、祖父母や私の妻から聞いた話を統合すると、鷹通くんは大学に入る前、公務員として働いていたらしい。
あかねたちとは職場で知り合ったそうだが、うちの子はいつの間にそんなところでアルバイトをしていたのだろう?
とにかく、大学進学を決めた彼を応援するため、流山家も森村兄妹も、結果的に元宮家も、全面的に協力し、バックアップしてきたそうだ。
その甲斐あって1年足らずの準備期間で全国有数の国立大に入学を決めたことは確かに立派だと思う。
しかし、全員肩入れしすぎじゃないのか?
どうしてそこまで手を貸そうとする?
話を聞けば聞くほど、その思いは募ってきた。
この若者に人をそこまで動かす何があるというのだろうか?
「あかねは君のところでのアルバイト、頑張っていたのかい?」
「アルバイト……? ああ、はい! それはもう。最初は私がお助けするつもりでいたのですが、いつの間にか私のほうが教えられることが多くなっておりました。それは今でも同じです」
「あかねが……君に教える……?」
「はい。もちろん専門知識などは私のほうが持っていましたが、あかねさんはそれよりも大切なこと、人に対する思いやりやあきらめない心、まっすぐに物事に立ち向かう勇気を実践しながら教えてくださいました」
「え? いったいどんな職場だったの?」
「え〜と、ざっくり言うと福祉とか、かな。はい、お待たせしました、準備完了ですよ〜」
あかねが突然話に割って入ってきた。
鷹通くんは立ち上がると、あかねから皿を受け取る。
「あかねさん、本当に何もかもやっていただいてすみません」
「あ〜、だから鷹通さんは働いちゃダメです! 今日ぐらいは私たちにおもてなしさせてください!」
「いえ、もう十分もてなしていただいていますので」
こうして聞いていると二人の言葉遣いはずいぶんと丁寧で、とても今どきの若者同士とは思えない。
その点は好感が持てた。
いや、飽くまでその点だけだが!
私の複雑な表情を、流山くんのお父さんが少し気の毒そうに見つめているのに気づく。
彼には私の気持ちがわかるのだろう。
そう、出来のいい娘の彼氏ほど父親の癪に障るものはないのだと……!
乾杯のあと始まったパーティで、皆から慕われ、愛されている様子の鷹通くんを眺めながら、私は自分の中のどうしようもない感情を持て余していた。
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