もう一つの贈り物

 



「せんぱ……! あ、すみません!」

望美の部屋に一歩踏み入れた譲は、うずくまっている姿を見てあわてて背中を向けた。
少し息を弾ませた望美が、明るく声をかける。

「あ、譲くん! どうしたの?」
「……振り向いても大丈夫ですか?」
「うん。掃除してただけだから」

譲がゆっくりと顔を向けると、雑巾らしきものを持った望美が満面の笑みで応えた。
髪を結い上げて、部屋の中を隅から隅まで拭き掃除していたらしい。
昨日まで寝ていた寝具は、部屋の隅にまとめられていた。

「……もう、起きても大丈夫なんですか?」
「うん! 病気だったわけじゃないし、たぶんそろそろ身体が慣れたんだよ。この世界に」

早春に行われた、壇ノ浦での決戦。
荒ぶる清盛の魂を鎮め、世界に秩序をもたらすため望美は白龍にその身を捧げた。
それから半年。
秋の色が濃くなり始めた京に、彼女は帰ってきたのだった。
神の領域まで踏み込んで望美を取り返した譲は、この数日間、献身的に看護をしていた。

「……よかった。でも、無理はしないでくださいね、先輩」
「うん。譲くんこそ何か用があったんじゃないの?」
「ああ、はい。今、ちょっといいですか?」

譲に促されて、望美は掃除用具を置いた。
階に用意された履物を履いて、梶原邸の庭に降り立つ。
二人並んで母屋の角を曲がると、さまざまな彩りが目に飛び込んできた。

「うわあ…!」

譲が前から丹精していた庭では、秋の花々が咲き競っていた。
撫子、桔梗、女郎花、萩、竜胆、小菊……
望美は思わず駆け寄り、一輪一輪を愛でながらその香りを楽しんだ。

「きれい…! すごいね。これ、譲くんが全部育てたの?」
「ええ。先輩の誕生日プレゼント、今年は何も用意できなかったからせめてこれを見てもらおうと思って」
「!? あ、そっか…。すごい、自分でも忘れてたのに」
「お誕生日おめでとうございます、先輩」
「……うん。うん。ありがとう。ありがとう、譲くん…」

望美は少し涙ぐみながら、何度もうなずいた。

「そうだ、せっかくだから。いいですか?」
「?」

譲は傍らの花を何輪か摘むと、望美のまとめ髪に挿す。
とりどりの色彩が、小ぶりな顔を華やかに彩った。

「ああ、やっぱり似合います」
「こんなきれいな花と比較されるの、困るな」
「そんなことないですよ。これは全部先輩のために育てたんだし、先輩がいなければ意味なんてない」
「…?」

望美の不思議そうな表情を見て、譲はすっと視線を逸らした。

「……あの壇ノ浦の後、先輩を探して探して……」

自嘲の笑みが頬に浮かぶ。

「この世界に先輩はいない。どんなに探しても会えないとわかったとき、俺は本当に絶望したんです。景時さんや朔はよく知っているけど、食事もしない、夜も眠らない……そんな日がしばらく続きました」
「……譲くん」
「でもほら、春だったでしょう? 雑草は生えてくるし、虫はつくし、晴れた日が続けば水だってやらなきゃならない。だから渋々、花の世話だけはしたんです。枯らしちゃいけない、ちゃんと咲かせなきゃいけない。だって先輩は……花の咲いた庭が好きだから」
「…!」

望美は両手で口を覆ったまま、譲を見つめた。

「おかしな話ですよね。もう先輩に会えないって打ちひしがれていたのに。でも、俺はどこかで信じていたんです。いつかこの庭を先輩が見て、うれしそうに笑ってくれる。譲くん、きれいだねって言ってくれるって。だから今、この庭はやっと完成したんですよ。あなたがここに立って、喜んでくれたから」

ポロポロと涙が望美の頬をつたいだす。

「?! 先輩?!」
「譲くん……私……」
「ち、違いますよ、泣かせるためじゃなくて、笑ってもらうために俺は」
「うれし泣きだよ」
「いや、でも」

懐から取り出した布で、譲は必死になって望美の涙を拭った。
拭かれるそばから新たな雫が滴ったが、それでも次第に、望美は笑顔になっていった。

「……先輩?」
「ねえ、譲くん、私、もう一つプレゼントをねだってもいい?」
「ええもちろん。俺にできることなら何でも……」

涙が止まったことに安堵しながら、譲が答える。

「じゃあね、未来の誕生日の予約。譲くんが『もういいや』ってなるまで、ずっと私の誕生日を一緒に祝ってほしいの」

一瞬、望美の言葉の意味がわからなくて黙り込んだ。

「……だめかな」
「いや、でも……俺が……ですか? 先輩が、じゃなくて?」
「うん、譲くんが飽きるまで」
「それ、意味わかって言ってますか?」
「うん、わかってるよ」

目を見開いて望美を見つめる。

「……先輩は大変なプレゼントを受け取ることになりますよ」
「うん」

揺らぎもしないまっすぐな視線がまぶしい。
譲は少しためらった後、ゆっくりと望美の手を取った。
両手で包みこむと、少し掠れた声で告げる。

「……では、もらってください。先輩の未来の……これからずっと先までのお祝いの約束を」
「…ありがとう」

秋の庭に少し斜めからの陽光が射し込み、夏よりも長い影を地面に落としていた。
そっと抱き寄せた人の髪からは、摘み取ったばかりの花々が香っている。
あの空間から戻ってきて、今、本当にここにいるのだという証の温もりを確かめながら、譲はもう一度耳元に囁いた。

「お誕生日おめでとうございます、望美さん。どうかこれからの誕生日も、ずっとずっと俺に祝わせてください」

愛しい人が、大きく頷くのがわかった。




 

 
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