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雨の中にただ佇んで ( 3 / 3 )

 



「祖母がそんなことを言っていたんですか?」

初めて聞く話に、譲は驚きの声を上げた。

「うん。私も今、話しながら思い出したの。でも、確かに『役目』って言ってたよ」

望美は大きくうなずきながら、あのときの彼女の顔を思い出した。

星の一族としてこの世界に生まれ、強い使命感に突き動かされて異世界に渡った将臣と譲の祖母。

激変する環境の中で、どれほどの思いを彼女は抱えていたのだろう。




「小さいころから、剣道だの書道だのを教えてくれたけれど、まさかこういう日を予想していたとは思いませんでした……」

「おばあさまにも確信はなかったんじゃないかな。
でも、もしものときのために、将臣くんにも譲くんにも準備をさせておきたかったんだと思う。
……私にも教えてくれればよかったのに」

「あれ? 先輩、書道の稽古は早々に逃げ出していたような」

「ええっ? そうだっけ?」

二人で顔を見合わせて笑う。

もう10年以上前の、それでも忘れがたい思い出の数々。

共有できる幼なじみが今、そばにいてくれる幸運に、望美は心から感謝していた。




気づくと、雨脚はかなり弱まり、うっすらと陽も射し始めている。

「そろそろ雨が上がりそうですね。俺、夕食の用意を始めます」

譲は框から腰を上げ、手馴れた仕草で襷を掛けた。

望美も、ぬかるみの中を帰ってくる皆のため、水の入った桶と布の用意を始める。

玄関まで運んだところで、戻ってきた朔と景時に出くわした。




「まあ、望美! 譲殿はどうしたの?!」

顔色を変えて尋ねる朔に驚きながら

「…え? 厨にいるよ」

と答えると、ほっとしたように胸を撫で下ろした。

「ほら、朔。譲くんは大丈夫だって言ったろ?」

「でも、兄上。あの雨の中を飛び出していったから……」

「譲くんがどうかしたんですか?」

望美の問いに、景時は苦笑いしながら肩をすくめた。

「九郎の邸で会ったんだよ。
オレと朔が一緒にいるのを見て、『今、京邸には先輩しかいないんですか?!』って、青くなっちゃって」

「せめて小降りになるまで待つように言ったのだけど、そのまま駆け出して行ってしまったの。
あんなにひどい降りだから心配していたのよ」

「……!」

二人の話を聞きながら、望美は先ほどの譲とのやりとりを思い出していた。




(雨が止むまであっちにいればよかったのに。こんなに濡れたら、風邪ひいちゃうよ?)

(それは……そうなんですが)




私を心配して、帰って来てくれたんだ……。

なのにそんなこと、一言も言わなかった。




「望美? どうしたの?」

無言になった望美に、朔が問い掛ける。

望美は顔を上げて、少しまぶしそうに笑った。

「……あのね、朔。
昔、私、土砂降りの中に立っている譲くんを、家に連れて帰ったことがあったの。

将臣くん……お兄さんに剣の試合で負けて、一人で泣いてたんだよ。
そのころの譲くんは、ちょっと泣き虫で、頼りなくて、守ってあげたい弟みたいな存在で……」

「望美」

「うん、わかってる。
でも今は、私を守るために雨の中を走ってきてくれるんだね……」




雨の中でうつむいて佇んでいた少年が、気づくと大きな背中で守ろうとしてくれる。

土砂降りをものともせず、自分のもとに駆けつけてくれる。

その事実が、うれしいような、寂しいような不思議な感情を呼び覚ました。




「え~と、そろそろ邸に入ろうか。
望美ちゃんが玄関から戻ってこないと、譲くんが心配しちゃうでしょ?」

景時が軽い口調で告げた。

「か、景時さん、いくらなんでもそこまで心配性じゃないですよ」

望美が応えると

「どうかしら、私は兄上の言い分のほうが正しい気がするわ」

と朔が笑う。




「先輩! 何かあったん……あ、景時さん、朔、お帰りなさい!」




間髪いれずに玄関から聞こえた譲の声に、全員が顔を見合わせて大笑いした。




「皆さん、どうしたんですか? せ、先輩、お腹抱えて笑いすぎですよ!」




事情がわからずに戸惑う譲を囲んで、一同はにぎやかに邸の中へと入っていく。

先ほどまでの激しい雨が嘘のように、京の町には美しい青空が広がっていた。



 

 
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