雨の中にただ佇んで ( 1 / 3 )

 



絶え間なく響く雨音を聞きながら、望美はため息をついた。

「雨、やまないなあ~。これじゃあみんな、帰ってこられないね」

シーンと静まりかえった邸の中を見渡して、そう呟く。




珍しく京邸に、八葉たちの姿はなかった。

三々五々にそれぞれの役割を果たすため外出し、突然の雨に足止めを食らっているのだろう。

朔さえも、景時とともに九郎の邸に行っていた。

譲が置いていったおやつを食べて、すやすや眠る小さな白龍に薄物を着せかけると、厨に向かう。

考えてみれば、こちらの世界に来てから一人きりになるのは初めてかもしれなかった。

「こっちで傘とか作れれば、大ヒット商品になるかも……」

誰に聞かせるでもなく、声に出して言ってみる。




この時代、まだ雨傘のようなものは使われておらず、人々は蓑や笠で雨をしのいでいた。

防水性は決して高くなく、その上、舗装されていない道はすぐぬかるみと化す。

そのため、雨が降り出すと屋外での作業を中断し、軒先や木の下に入って晴れ間を待つのがこちらのやり方だった。

激しい雨の中、外に出ようとする人間はいない。




だから、その音を聞いたとき、望美は全身を緊張させた。

雨音の向こうから、異なる響きが聞こえてくる。

バシャバシャと近づいてくる、それはまぎれもない足音。

いったい誰が?

そう思っているうちに厨の戸が開き、ずぶ濡れの譲が飛び込んできた。




「譲くん!?」

「え、先輩? どうして厨に?」

「どうしてじゃないよ! なんでこんな雨の中帰ってきたの?! 
待ってて、今、拭く物と着替え持って来るから!」

返事も聞かずに走り出した望美の背中を見送りながら、

「……こっちから入れば見つからないと思ったん だけど……」

と、譲は頭をかいた。




雨脚は強さを増し、邸を外界から隔てるように鳴り響いている。




「せ、先輩、俺、自分でできますから」

「だめ! おとなしくして!」

望美が持ってきた着物に着替えた譲は、厨の上がり框に腰掛け、乾いた布で後ろから髪をガシガシ拭かれていた。

「譲くん、九郎さんのところで弓の稽古してたんでしょ? 
雨が止むまであっちにいればよかったのに。
こんなに濡れたら、風邪ひいちゃうよ?」

「それは……そうなんですが」

暦の上で四月に入ったとはいえ、春の京の気候は不安定だ。

今日のように雨が降ると、気温が一気に下がる。




「うわ、手もすごく冷たい! ちょっと待ってて」

譲の手に触れた望美は、あわてて湯が沸いている竈の大釜に駆け寄った。

ふと顔を上げ、棚の上の甕を指差す。

「譲くん、あれ使っていいかな?」

「あ、はい」

甕の中にあったのは、譲が作った桜の花の塩漬け。

それを茶碗に入れ、湯を注ぐと譲に手渡した。

「これ飲んで、中からも温まってね」

「ありがとうございます。……すみません、先輩に気を遣わせちゃって」

「私はいつも、譲くんにこの百倍は気を遣ってもらってるもん。たまにはお返ししなきゃ」

望美の言葉に頬を少し染めると、譲は黙って茶碗を口に運んだ。




雨で薄暗くなった厨を、竈の火があかあかと照らしだす。

薪を数本追加すると、譲にもっと火に近づくよう勧めて、望美は傍らに座った。

雨が激しく地面を叩く音が、戸外から絶え間なく聞こえる。

パチンと薪がはぜ、火花が薄闇に舞い上がった。




「……そういえば昔、雨の中に立っている譲くんをうちに連れてったことがあったよね」

望美が突然口を開く。

「え?」

「あれは……小学校のころかな。
学校から帰ってきたら、家のそばの公園に譲くんが立っていたの……」