甘い誘惑 ( 1 / 2 )
「ああ、これは甘いですから、忍人向きですね」
「おう、忍人、これ食ってみろ! 甘くてうまいぞ!」
「そういえば先日、姫から甘いお菓子をいただいたんです。数がないから、これは忍人に」
真剣に竹簡を読む忍人の文机の上に、気づくと甘い果物や菓子の山が築かれている。
同門の兄弟子たちが、何やかやと理屈をつけて運んでくるのだ。
忍人が岩長姫の門下に入って今日で二週間。
足りない知識を補い、剣の鍛錬を重ね、一日でも早く中つ国の要となる剣士になりたい……。
そんな思いを胸に、ひたすら勤勉に学び、剣を振るってきた。
なのにこの門人たちと来たら……。
忍人は大人びた顔でため息をつく。
人のことを近所の子供か何かと勘違いしていないか?
とはいえ、彼とてわずか11歳の少年。
目の前に積み上げられた甘い甘い食べ物たちの誘惑を、ずっとはねつけ続けることは難しかった。
「………………」
時刻は真昼。
兄弟子たちは屋外で剣の稽古をしたり、思い思いの場所に出かけたりしている。
周りに誰もいないのを確認してから、忍人は枇杷の実を一つ手に取った。
黄昏時を思わせる優しい色。
薄い産毛の生えた皮を器用に剥き、一口かじってみる。
甘く優しい味が口の中いっぱいに広がった。
大きな種のせいで果肉は決して多くないが、緊張をほぐし、疲れを取り去ってくれる爽やかな甘味。
「……おいしい」
思わず、早いペースで残りを食べてしまう。
次に目をつけたのは、見慣れない菓子。
風早が姫からもらったと言っていた代物だ。
麦の粉を練って焼いた中に、何かが詰められているらしい。
少し大きめなので、手で二つに割って片方を口に入れる。
黒くサラリとした餡が、果物とは違う濃厚な甘さをもたらす。
「……!! すごくおいしい……!」
未知の甘味にうれしくなって、笑顔を浮かべた時、ため息が聞こえた。
「!?」
あわてて周りを見回す。
室内に人影はない。
では……と、頭を巡らした先、屋外に向かって穿たれた窓から、羽張彦がうっとりした顔で覗き込んでいた。
「な……!?」
「忍人は、本当にかわいいなあ……」
とろけそうな笑顔。
「一生懸命枇杷にかじりついていたと思ったら、菓子を両手に持ってうれしそうに笑うしさ〜〜!
もう、目の中に入れちまいたいくらいだ!」
カーッと頬が熱くなるのがわかった。
「ぶ、無礼だろう! そんなところから」
思わず声がうわずる。
「あ、悪い、悪い。邪魔するつもりはなかったんだ。今度また、何か甘いもの持ってきてやるな」
「べ、別に甘いものしか食べられないわけではない!」
「ば〜か、甘いもの食ってるときの顔が最高にかわいいからだよ。
普段、ニコリともしないくせに、もう、こったえられないな〜!!」
何だかそのまま空に昇っていきそうなくらい幸せいっぱいの顔をして、羽張彦がスキップで去っていった。
忍人は呆然と見送る。
そしてその後、大変なことになった。
「忍人、この干した杏を食ってみろよ! ばっちり甘いからな!」
「ば〜か、俺の持ってきた菓子のほうが甘いって!」
「なんのなんの。俺のこの菓子は常世の国の商人から手に入れたんだ。
忍人がまだ食ったことのない味だぞ!」
「……俺は……」
「「「食ってみろよ〜〜!!」」」
兄弟子たちは羽張彦から吹き込まれたらしく、甘いものを持ってくるだけでなく、忍人にその場で食べろと強要するようになった。
あまりにしつこくせがまれるので、仕方なく一口食べる。
確かにふわりと甘く優しい味。
自分を律していても、自然と頬が緩んでしまう。
「「「「「「か〜〜わいい〜〜〜なあ〜〜〜〜!!!!!」」」」」」
いつの間にか増えたギャラリーが、忍人の周りでいっせいにつぶやく。
「!! な、何のマネだ!!?」
たまらず立ち上がって兄弟子たちを睨みつけた。
「まあいいから、次はこれ食えよ」
「あ、今度は俺の菓子の番だ! きっともっと笑いたくなるぞ」
「なんの! 俺の菓子のほうが効果は絶大だ」
内輪でもめ始めたのを幸い、忍人はその場から何とか抜け出した。
裏手の木立の中に身を隠すと、大きくため息をつく。
だめだ。
こんなことをしていては修行どころではない。
しばらく眉間に指をあてて悩んだ後(このポーズは当時から)、忍人はある悲愴な決意をした。
甘いものは好きだ。確かに大好きだ。
どうしても顔が笑ってしまうくらい好きだ。
だが、剣士はそんなことではいけない!!
「俺は甘味は好かん!」
翌日、捧げものを持っていそいそと現われた兄弟子たちに、忍人は言いきった。
「?」
「え?」
「なに?」
何を今さら……というムードをあえて無視して、
「俺は今後いっさい甘いものは口にしない。持ってこられても迷惑だ」
と、断言し、くるっと背中を向けた。
「お、忍人〜!」
「俺たちが悪かったよ〜!」
「謝るからさ〜〜」
「無理すんなよ〜!」
背中に浴びせられる、懇願のような懺悔のような無数の声に耳を貸すことなく、小さな剣士は鍛錬のために邸を出て行った。
そして本当にその後いっさい、甘いものは口にしなくなった。
24歳の誕生日を、千尋に祝われるまでは。
|