油断のならない男 ( 2 / 2 )
背中にひんやりしたものを感じつつも、宴はつつがなく進んだ。
賑やかな雰囲気の中、珍しく翡翠に酌をしながら、幸鷹は一人悩んでいた。
(私だけが何も贈り物をしないというのは、やはりまずいですね。この宴は飽くまで花梨殿からのプレゼント。さて、私は何を贈ったものか……)
「別当殿、酒が溢れそうなのだが」
「ああ、失礼いたしました」
あわてて瓶子を立てた幸鷹を見て、翡翠がにやりと笑った。
「君から酌をされる日が来ようとは、伊予にいるころは思いもしなかったがね」
「それは私も同様です」
「『誕生日』というのはよほど重要な行事らしい。貴重な酌、確かにいただいたよ」
「いえ、これではとても贈り物とは言えません」
思わず気がかりを口に出した幸鷹に、翡翠は片眉を上げた。
「ほう、検非違使別当殿が海賊の頭領風情に何かご下賜くださると?」
「妙な言い方はおやめください。何か差し上げておかないと、それを口実に無理を言いかねませんからね、あなたという方は」
「フフフ……」
当たらずと言えども遠からずの反応に、幸鷹は「何でもいいから押しつけよう!」と決意する。
とはいえここは四条の邸。
花梨のもとに通っているとはいえ、私物を置くほど入り浸っているわけではない。
内裏から直に立ち寄ったので、携えている物品もほとんどなかった。
(邸に使いをやって何か持ってこさせるか……)
しかしいったい何を? と考えているうちに、泰継が音もなく立ち上がった。
宴席にさっと緊張が走る。
「……泰継殿?」
幸鷹の声には耳を貸さずに、泰継はまっすぐ翡翠を見て言い放った。
「その杯を私によこせ、翡翠」
「…………」
翡翠は無言のまま傍らの鉢の水をくぐらせ、杯を清めて泰継に渡す。
一同が固唾をのんで見守る中、封を解かれた甕から、柄杓で琥珀色の液体が汲み出された。
不思議な色合いのそれは、たっぷりと杯に注がれる。
「飲め」
「え~と、泰継さん、それってお酒なんですか?」
さすがの花梨も、場の異様な雰囲気に気づいて声を掛けた。
「飲めばわかる」
「できれば飲む前にわかりたいがね」
翡翠の言葉にもまったく表情を変えず、泰継はもう一度ぐいっと杯を差し出した。
「祝いだ」
いや~、それ、どう見ても祝いじゃないっすよ~!
という全員の無言の突っ込みはスルーされ、翡翠は覚悟を決めたように杯を受け取った。
しばらく眺めた後、口に運ぶ。
ごくりと喉が動き、飲みこんだことがわかった瞬間……
「…っ!?!」
「翡翠さん?!」
突然倒れ込んだ翡翠を、一番そばにいた花梨がとっさに支えた。
が、はるかに長身の彼を支えきれるわけもなく、一緒にドサリと倒れ込む。
「花梨殿!!」
「や、泰継殿、いったい何を飲ませたのです!?」
「紫姫、薬師を…!!」
「翡翠殿、大丈夫ですか?!」
大混乱の中、引きはがすように幸鷹が翡翠を助け起こすと、思いのほか軽く身体が持ち上がった。
「?! 翡翠殿…?!」
「ああ。よい贈り物をいただいた」
幸鷹に微笑みかけると、先ほどの反応が嘘のように自力で立ち上がる。
「泰継殿の調合にしては、味にも配慮があって助かったよ。これもありがたい効き目があるものなのかな」
「枸杞子、人蔘、白朮、山椒、桔梗、肉桂、防風などを漬け込んだ、長寿をもたらす酒だ」
「ならば皆にもふるまってやってくれまいか」
「神子様、大丈夫でございますか?」
紫姫の声に幸鷹は振り向いた。
翡翠の様子から、下敷きになった花梨も大して被害はないと判断したのだが、なぜか床に座り込んだままだ。
顔だけが、熟れた柿のように真っ赤になっていた。
「……花梨殿?」
「あ、あ、……」
ただならぬ様子を見て駆け寄る。
「どうしたのです?! どこか打ちましたか?! 痛いのですか?!」
「違……私……」
目をギュッと閉じてうつむく花梨の声を聞くため、口元に耳を寄せた。
「花梨殿?」
「……翡翠さんに……キスされちゃった…」
「なっ!?」
一瞬で、怒りに血が沸騰する。
幸鷹が憤怒の形相で振り向くと、海賊の姿はすでになく、残った八葉たちが泰継の酒をおっかなびっくり飲んでいた。
「翡翠はどこです?!」
「今、出ていかれましたよ。急に用を思い出したとかで」
彰紋が暢気に答える横で、泉水がダメ押しの伝言を伝えた。
「幸鷹殿から最高の贈り物をいただいたとおっしゃっていました」
「誰が贈るか~っ!!!」
刀を抜いて飛び出した幸鷹の後ろ姿を、二人は茫然と見送った。
「幸鷹殿はいったいどうされたのでしょう」
「翡翠を追いかけていったように見えるが」
青龍の二人の話を聞いて、イサトが呆れたように言う。
「まったく、貴族の連中が考えることはわかんねえな」
「問題ない」
以後、かなり長い間、翡翠が四条の邸に出入り禁止になったことは言うまでもない。
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