Whisper ( 1 / 4 )
少し非難のこもった声で、イサトが言った。 そのトーンにはまったく気づかずに、 「そうかな。幸鷹さん、私の世界のことにすごく興味があるみたいだから」 と、花梨が答える。 「俺だって、ないわけじゃないぜ」 「ただの興味じゃなくて、京でも実践できそうな制度とか、法律とか、お仕事の参考になることを聞きたいんだって。私もそんなに詳しいわけじゃないから、幸鷹さんに指摘されて気づくことも多いんだけど」 イサトの表情が、見る間にやわらいだ。 「なんだ、おまえら2人っきりでそんな固い話をしてんのか」 「え? うん、そういえばそうだね」 相変わらずイサトの真意には気づかずに、花梨が答える。 「神子殿」 話題の主の声が、少し離れた透廊から聞こえた。 「あ、幸鷹さん」 階からピョンと飛び降りて、庭伝いに走り寄る。 「み、神子殿」 「おい、花梨!」 2人からのブーイングを浴びて、花梨は目を丸くした。 「え? 何?」 「「………」」 庭に下りて、男性に走り寄る姫君なんて、この世界には1人もいない。 そもそも姫君が庭に下りることすら稀なのだ。 ともに京を散策しているとはいえ、2人はあらためて、花梨の常識と自分たちの常識の違いを感じた。 「どうか……階にお戻りください。私がそちらに参りますので」 先に我に返った幸鷹が柔らかく言う。 「そうですね、上と下じゃ話しにくいし!」 まったく違う解釈をして、また花梨が駆け戻る。 「おい花梨、少し落ち着けよ!」 日ごろは言われる側のイサトが、花梨を追いかけながら説教した。 * * * 「なるほど…。都大路の人や物の行き来を、そのように規制するわけですね」 「はい。今でも『信号』が壊れると、『お巡りさん』が手で『交通整理』してますから、きっと京でもできますよ」 「この京でなら、24時間立っている必要はありませんからね。往来が最も激しい時刻に絞ればいいでしょう。検非違使をその任に当たらせるかはまた……」 話しながら、幸鷹はきょとんとした顔で見上げている花梨に気づいた。 「神子殿?」 「あの……幸鷹さん、ちょっと私の口調がうつりましたか?」 「そう……ですか?」 内容の固さに負けてイサトが退散した後も、2人は簀子縁に腰掛けながら話を続けていた。 「だって24時間って」 「24……? ああ、神子殿の世界の時間の単位ですね。私はそんな言葉を口に出していましたか」 コクンとうなずきながら、あらためて花梨は幸鷹の飲み込みの早さに驚嘆した。 最初のうちは、ありとあらゆる言葉に注釈をつけなければならず、ほんの小さな事物を説明するのにもクタクタになったものだ。 しかし幸鷹は、一度説明した言葉を聞き返すことはなかった。 今では、花梨が自分の言葉でかなり自由にしゃべっても、そのまま通じることが多くなっている。 「何か……うれしいです」 花梨が、ふんわりと笑った。 その笑顔に胸を衝かれながら、幸鷹が聞き返す。 「と、おっしゃいますと?」 「最初は、私が異世界から来たことなんて誰も信じてくれなかったのに、今は幸鷹さんが、私の世界の言葉まで覚えて使ってくれて…」 「その節は、大変ご無礼をいたしました、神子殿」 いきなり表情を曇らせて、幸鷹が深々と頭を下げる。 「ち、違うんです! そんな意味で言ったんじゃなくて!」 花梨は慌てて手を振って否定した。 「その……私、すごく不安だったんです……。もしかして、私の世界なんて本当はどこにも存在しなくて、自分の頭がおかしくなっただけなんじゃないか…と思ったりして……。でも、幸鷹さんがひとつひとつ丁寧に尋ねてくれるのに答えているうち、ああ、私の世界はこんな場所だった、私はそこでこんな風に生きていた…って、もう一度整理できたから」 「神子殿」 痛みを癒すような微笑みを浮かべて、幸鷹が花梨の手を取った。 「あなたは確かに異世界からいらっしゃいました。そして、その異世界は私にも……とても重要な意味をもつような気がします。最近、私は夢を見るのです」 「夢?」 手を握られて、少し頬を染めた花梨が幸鷹を見つめ返す。 「ええ…。灰色に舗装された道を、鋭角的な乗物が牛も馬も繋がずに走り抜ける…。その道は橋のように宙を通っているのです」 「高速道路……かな…」 「ああ、その話もうかがいましたね。その道の向こうには、天を衝くように高い建物が幾本も聳え立ち、夜になっても数多くの光がきらめいています」 「!」 花梨が息を呑んだ。
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