別れ ( 1 / 2 )
聖地の宮殿内にある星座の間。
眉間に深い縦じわを刻んだ闇の守護聖が、独り、静かにサクリアを送っていた。
この広間は、遥かなる宇宙空間へとつながっている。
闇の色をまとった青年は、暗く険しい表情とは裏腹に全宇宙に「安らぎ」を与えているのだ。
不意に、集中が途切れる。
軽く掲げていた左手を無言で見つめると、そのままゆっくり下ろす。
星座の間を去る彼の唇には、うっすらと笑みが浮かんでいた。
「あなたはすでにお気づきのはずです、ジュリアス様」
いつになく声を荒げた水の守護聖が、純白のカーテンを背にした人物に詰め寄っていた。
「馬鹿を申すな、リュミエール。これは断じて……」
思わず言葉に詰まる様子が、心中を雄弁に物語る。
「ジュリアス様……」
つられて、水の守護聖も黙り込んだ。
燦々と陽光の降り注ぐ執務室を、重い沈黙が覆う。
「サクリア消失の前触れ……ついに、交代の時期が訪れたということですか」
静かに、地の守護聖がつぶやいた。
こぶしを握ったままうつむく光の守護聖。
9つのサクリアを司る守護聖たちには、強いつながりがある。1つのサクリアの衰えは、またたく間に全員の知るところとなるのだ。
闇の守護聖にその時期が訪れていることは、誰の目にも明らかだった。
「通常、守護聖様のサクリアが衰えを見せ、完全に消滅するには1年から2年かかります。ただ、先の鋼の守護聖様の例もありますし、あまりのんびりしている訳にはまいりません」
王立研究員主任の沈着冷静な声が響く。部屋の中には、闇の守護聖を除くすべての守護聖が集まっていた。
「守護聖になったのは、ジュリアス様のほうが先なんですよね。でも、クラヴィス様のサクリアが先に尽きるんだ……」
「サクリアが尽きる時期は人によってさまざま。誰も予想なんてできないんだよ、マルセルちゃん」
夢の守護聖が、美しい眉を困ったようにしかめて言った。
「そうだ。一番最後に守護聖になったからといって、坊やのサクリアが最後まで続くとは限らないんだぜ」
からかうような炎の守護聖の声にも、いつもの張りはない。
「たく、クラヴィスみたいにつぶしのきかない奴からサクリアを奪うくらいなら、いつでも準備オッケーの俺様のをもっていきやがれってんだ!」
吐き捨てるようにゼフェルが言った。
「とにかく…次の闇の守護聖の居場所を早急につきとめ、聖地に迎える支度をせねばならぬ。引き継ぎの期間はできるだけ長く取りたいのでな」
「さようで……ございますね」
その場での会話を締めくくったのは、一見冷静に見える光の守護聖と、魂を抜かれたような水の守護聖だった。
ジュリアスにとって、守護聖の交代はすでに何度も目にしてきた光景である。現在の闇の守護聖が聖地に召喚されて以来、地・炎・水・夢・風・鋼、そして最近の緑の守護聖まで、自分以外のすべての守護聖の交代を見てきた。そして心の中で、静かに来たるべき自分の番の準備をしていた。
ところが皮肉にも、それは先に闇の守護聖のほうにやってきた。そして、その事実に激しく動揺している自分に、彼自身驚いていた。
(まったく、最後の最後までこちらの思惑どおりに動かない……)
心の中で舌打ちをしたい気分だった。だが、そんな思いすらもうすぐ抱くことはなくなるという寂寥感が、光の守護聖を襲う。
(私はいったいどんな顔で、あれを見送るのだろう)
* * *
ポロン……。
一音を奏でたきり、竪琴は沈黙した。
頭を垂れて水面を見つめる水の守護聖。森の湖のほとりである。
うつろな瞳は何も映さず、近づいてくる足音に気づく様子もない。
「まったく、お前って奴は自分よりも他人のことにばかり夢中になるな」
不意に耳元近くで響いた声に、リュミエールは驚いて顔を上げた。
「オスカー」
「おっと! 竪琴ごと湖に落ちるつもりか」
バランスを崩した水の守護聖の腕をつかんで引き戻すと、いつもよりはずいぶんとやさしく、岸辺のベンチに座らせる。そして、まじまじと顔を見つめてから口を開いた。
「ろくに食ってないし寝てないって顔だな」
「そのようなことは……」
「隠すな。お前が平気だなんて誰も思っちゃいない」
「いえ……わたくしは……」
しばしのためらいの後、何かを決意したように顔を上げ、水の守護聖は言った。
「わたくしは自分の浅ましさが許せないのです。あなたもお気づきでしょう。わたくしは……クラヴィス様の交代はもちろんですが、多分それ以上に、自分の来たるべき日に対する不安に打ちのめされているのです」
「なるほど」
短く答えると、オスカーはリュミエールの傍らに腰を下ろした。
「気にすることはない。お一方を除けば、みんな似たようなものだ」
「それは……」
遠くを見つめたまま、炎の守護聖は続ける。
「ジュリアス様は、多分次は自分の番だと思われていたはずだ。次代の光の守護聖をどう教育するか、クラヴィス様にどう補佐をさせるか、そんなことを常に考え、準備されてきただろう。
だが、クラヴィス様がいない聖地……毎日の生活……それは想像外だったのだと思う。だから今、胸を引き裂かれる思いを味わっておられるのだろう」
「ジュリアス様が、そのような……」
「もちろん表には出されない。だが、おそばにいればわかる」
「そう……なのですか」
ひどく沈んだ声を聞いて、オスカーはリュミエールの顔に視線を戻した。
「……クラヴィス様はどうなんだ? お姿を見かけないのはいつものことだが、さすがにあの方とて平静ではいられまい」
「それが……むしろ日々穏やかになられているような気がするのです。以前のように暗くふさぎこまれたり、ご不快感を顔に出されたりすることもなくなりました。わたくしにはそれがかえって辛く感じられます。
オスカー、あの方は、この聖地を出た後も生き続けてくださるのでしょうか」
ついに、水の守護聖の頬を幾筋もの涙がつたい出した。
「おい、何を言ってるんだ、リュミエール」
「あの方が、このまま消えてしまいそうで、わたくしは……」
両手に顔を埋め、静かに泣く友にかける言葉を見つけられず、炎の守護聖はそっと背に手を回した。
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