バレンタインの「贈り物」
「まったく、女子はどうして手作りにこだわるんだろうな。
そのまま食ったほうがうまいチョコを、わざわざ溶かして不味くするだけだろ?」
「だからお兄ちゃんはデリカシーがないって言われるのよ!」
蘭に耳を引っ張られて、天真が「いてててっ!」と悲鳴を上げる。
その横で詩紋は「必ずしも不味くなるわけじゃないけど、まあ、板チョコはもともとおいしいからね」と、気まずそうに笑った。
「……そういうものなのですか……」
1月後半からやたらと街中で目立つようになった「バレンタインデー」について説明を求めた鷹通に、天真と詩紋と蘭が余計な知識込みで解説しているところだった。
もともとは、チョコレート会社の発案で「意中の人に想いを込めたチョコレートを贈る日」として始まった日本独自の習慣(ヨーロッパ起源のバレンタインデーはかなり異なるものらしい)。
最近では自分用のご褒美チョコ、友達に贈る友チョコのほうが盛んになっているが、やはり「本命」には気合を入れた手作りチョコが贈られることが多いという。
「だからきっとあかねちゃんは、鷹通さんに手作りチョコを用意しますよ!」
「わざわざ不味くした奴を、な」
「お兄ちゃん!!」
「……なるほど……」
三人の口論をよそに、鷹通は一人考え込み、自分なりに何か結論を出したようだった。
* * *
「え? 鷹通さん、いないの?」
詩紋の家でチョコレート・パーティをやると聞いてやってきたあかねは、驚いてリビングを見渡した。
テーブルの上には詩紋が作ったプロ級のチョコレートケーキが、でんと置かれている。
最大のライバル(?)が鷹通と同居していることに冷や汗を流しながら、あかねは蘭に視線を向けた。
「あかね、天の白虎は今日はずっと自分の部屋にいるそうよ。
チョコレートを持って、行ってきなさいよ」
「う、うん……?」
つまみ食いをたくらむ天真と、それを阻止しようとする蘭の攻防を背に、あかねはリビングを後にした。
今年のバレンタインデーは、幸い日曜日。
学校の時間を気にせず、チョコレートを鷹通に届けられるのがうれしかったのだが、なぜパーティに参加しないのだろう?
同じ敷地内にある詩紋の祖父母の家を訪ねると、すぐに二階の部屋に通された。
おそるおそる開いた衾の向こうでは、和服姿の鷹通が背をピンと伸ばして勉学に勤しんでいた。
「……鷹通さん?」
あかねの声に、弾かれたように顔を上げる。
「あ! あかねさん!? これは……申し訳ありません。つい夢中になってしまいました」
「ううん。お邪魔しちゃってすみません」
久々に着物をまとった姿を見て心臓が高鳴る。
洋装も似合うが、やはり鷹通の和服姿は格別だとあかねは思った。
「えっと……蘭がバレンタインの説明は済んでいるって言ったので、その、これ、よかったらもらってください」
おずおずと差し出すのは、昨夜遅くまでかかって作った手作りチョコ。
受け取りながら鷹通は、「……よろしいのですか?」と尋ねた。
「え?」
「天真殿や詩紋殿が、手作りのチョコは想い人に贈るものだとおっしゃっていました。
私がいただいても……?」
「も、もちろんです! あ、た、鷹通さんが嫌じゃなければ、ですが」
「ありがとうございます。とてもうれしいです。ここで開いても構いませんか?」
「は、はい……」
自分的にはできる限り見栄えよく作ったつもりだが、この季節、綺羅星のごとくショーウインドーに並ぶ名ショコラティエたちの「作品」に比べれば、いかにも手作りの素朴さは否めない。
伏せていた目をそっと上げると、鷹通が目を細めて眺めた後、一つを手に取って口に運ぶところだった。
「いただきます」
「……はい」
見ていられなくて、再び目を伏せる。
沈黙。
「……私は、今までそれほど多くのチョコレートを食べたわけではありませんが」
鷹通が口を開いた。
「え?」
「不思議ですね。これよりも美味しいものはこの世に存在しないだろうと……確信することができます」
「た、鷹通さん、何を……」
「天真殿は、専門家の方が作ったもののほうがおいしいとおっしゃいましたが、そんなことはありません。
愛しい方が想いを込めて作ってくださったチョコレート。
これに勝るものはないのだとよくわかりました」
「……そんな。ほめすぎです……」
真っ赤になってうつむくあかねの肩に手を添えると、鷹通は「実は……」と悪戯っぽく告白した。
「あまり食べつけない甘味ですので、あなたからいただいた物が食べられなくなっては困ると、詩紋殿のパーティのほうはご遠慮したのですよ。……杞憂だったようですが」
「ううん、先に詩紋くんのお菓子を食べたら、私のなんて見劣りしちゃいます。
だから、ちょっとほっとしました」
あかねも頬を染めたまま微笑み返す。
「そのようなことは決して」
「ありがとうございます、鷹通さん。でも、本当に詩紋くんのお菓子はおいしいんです。
だから一緒に食べに行きましょう!
大丈夫、込めた愛情だけはずーっとずーっと上だって自信がありますから、私のチョコは後でゆっくり味わってください」
「あかねさん……」
明るく笑うあかねに手を引かれて、鷹通は立ち上がった。
詩紋の祖父母にも声を掛けて誘い、庭を横切って詩紋たちのいる棟に向かう。
この世界に来て、初めてのバレンタインデー。
どんな味のものを贈られても残らず平らげようと決意していたが、あかねの作ったチョコレートは想像以上に甘く、想像以上に美味で、忘れがたい味がした。
「手作り」とは「物」ではなく、「想い」を贈ること……。
「……あ」と、鷹通は思わず声を上げた。
「? 鷹通さん?」
あかねが足を止めて顔を見上げる。
「……いえ、ようやく天真殿の言葉の意味がわかりました」
「え?」
(「たとえあかねがどんなチョコレートを作ってきても、見た目や味じゃなく、込められた『想い』を受け取れよ」)
あの日、最後に天真から掛けられた言葉。
「チョコレートが失敗作だったとしても」という意味だと思っていたが、本当に大切なのは後半の部分だったらしい。
「はい。とても大切な『メッセージ』でした」
「メッセージ?」
「ええ」
不思議そうに見つめるあかねに微笑みかけながら、鷹通は玄関のドアを開く。
甘いチョコレートの香りと、弾けるような歓迎の言葉が二人を包み込んだ。
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