雪見御所(兵庫県神戸市兵庫区)
福原(今の神戸)に平清盛が構えていた邸宅の一つ、雪見御所(ゆきみのごしょ)。
福原は清盛が開いた日宋貿易の拠点、大輪田泊を見晴らす場所にあり、1180年には政権の強化を図った清盛が、この地に都を移そうとさえしました。
上の石碑は、明治39年に発掘された、御所の庭に使用されていたと考えられる石に、生田神社の宮司さんが揮毫して作られたものだそうです。
現在この場所は湊山小学校となっていますが、1988年に行われた発掘調査では、邸の南側にあったと思われる石垣も発見されています。
雪見御所跡にほど近く、現在、荒田八幡神社(上左)となっているこの場所には、清盛の異母弟である平頼盛の邸がありました。
福原遷都の際、安徳天皇はこの邸に一時滞在したため、境内には「安徳天皇行在所址」の石碑(上右)が立っています。
福原遷都自体は準備不足のため混乱が続き、頼朝・義仲の挙兵もあってわずか半年で立ち消えとなってしまいますが、国際貿易港、大輪田泊を抱く新都建設の夢は、後の国際都市、神戸へと受け継がれたと言えるでしょう。
荒田八幡神社の境内には、1980年に遷都800年を記念した石碑が建立されました(下左)。
清盛にとっての夢の港、大輪田泊は現在の神戸市兵庫区和田岬東方にありました。
兵庫運河と新川運河の合流点近くには清盛橋(上右)がかかっていて、欄干には源平合戦のレリーフ(下左)が飾られています。
江戸時代に兵庫津と呼ばれたこの地は、幕末に神戸港が外国船停泊地に指定されるまで、日本でも有数の繁栄した港だったそうです。
運河沿いにはこんな清盛像(下右)もありました!
「平清盛のまち」というプレートが付けられていて、「清盛、愛されているなあ」という感じ。
2012年のNHK大河ドラマは『平清盛』ですから、この辺りは盛り上がるでしょうね〜。
福原遷都に先立ち、清盛はクーデターを起こし、対立していた後白河上皇を鳥羽殿(鳥羽離宮)に幽閉しました。
福原に向かう際も伴い、現在の新川運河の地にあった平教盛の邸に幽閉したと言われています。
上皇が押し込められた「小屋」は「萱(かや)の御所」または「牢の御所」と呼ばれ、新川運河近くの薬仙寺(下左)の境内には、「萱の御所跡」の石碑(下右)が立っています。
運河の拡張工事で一度水没したため、この地に移されたのだそうです。
遷都の夢が潰えてからわずか3カ月後の1181年2月4日に、清盛は熱病のため死去しました。
『遙か3』では、ここで将臣くんが平家の人たちに合流することで、実は彼こそが「還内府」であることがわかります。
なかなかドラマチックな演出でしたね。
その後、経正さんの琵琶を聞きながら知盛と杯を傾けたり、攻め込んできた九郎と危うく鉢合わせしかけたり、数々の場面の舞台となります。