遙かゆかりのスポット巡り

特別編「屋島の合戦」

佐藤継信の墓(香川県高松市

 

佐藤継信は、奥州藤原氏に仕える武士です。
源九郎義経が挙兵のため平泉を出る際、藤原秀衡の命で弟・忠信とともに随行しました。
この屋島では、自らの身を盾にして主君義経を守り、矢に射抜かれて戦死しています。
たぶんこの人が譲くんのモデル……なんだろうな……。
 
継信が射られて落馬した場所は「射落畠」と呼ばれ、現在、「胸板をすえて忠義の的に立ち」と記した石碑(上左)が立っています。
陣に運ばれた継信は「思い残すことはない」と言い残して息絶え、義経は号泣したとか。
あ、ちょっとこの話、辛すぎる。

亡骸はすぐそばにある洲崎寺(上右)の戸板に載せられ、本陣である瓜生ヶ丘に運ばれました。
この寺は継信の菩提寺として、現在も毎年三月十九日に慰霊法要を行っているそうです。
平成十二年に整備された庭園には、檀ノ浦の合戦が苔と石で再現され、数々の石板で戦いの様子が描かれています(安徳天皇社祈り岩駒立岩のページに掲載)。

一方、源氏の陣だった瓜生ヶ丘には、弁慶ゆかりの2つの史跡が残されています。
長刀泉(下左)と菜切地蔵(下右)。
 
長刀泉は、海が近く、水が悪かった源氏の陣で、弁慶が長刀で地を掘ったところ、きれいな水が湧いたという言い伝えのある古井戸。
菜切地蔵は同じく源氏の陣で炊事をする際、弁慶が背をまな板がわりにして汁を作ったという石地蔵を収めたお堂。
残念ながら地蔵は窓越しに何となく見えるだけですが、背には刀痕が残っているとも言われているそうです。

  

檀ノ浦義経を狙い、結果的に継信を射た平家の武将は平教経と言われています。
平家随一の弓の名手で、彼の小姓菊王丸は馬から落ちた継信の首を取ろうと駆け寄り、継信の弟、忠信に射られて果てました。
菊王丸の死を悼んだ教経は、そこで戦を中断したとか。

一方、義経は一人の僧に鵯越の際に乗った名馬、大夫黒を与え、継信を供養させたと言われます。
継信の墓のすぐ横には、大夫黒の墓もありました。