遙かゆかりのスポット巡り

特別編「平家追悼」

寂光院(京都府京都市左京区

 

壇ノ浦で入水するも、源氏の武士に救い上げられた建礼門院徳子が残りの生涯を過ごした寺です。上の写真は、彼女が過ごした庵の跡。

平清盛の娘で、安徳天皇の母でもある建礼門院は、幼い天皇とともに一の谷壇ノ浦と逃げ延び、壇ノ浦後は出家して平家一門の菩提を弔いました。
寂光院は、今訪ねていってもかなり鄙びた場所ですから、当時は現世から切り離されたような思いを抱いたことでしょう。

   


『平家物語』には、後白河法皇が大原に建礼門院を訪ね、語り合う場面が描かれています。 
その一節

「池のうきくさ 浪にただよい 錦をさらすかとあやまたる 中嶋の松にかかれる藤なみの うら紫にさける色」

に登場する松と言われているのが、千年の姫小松(左上)。
2004年に枯れてしまいましたが、現在は神木として祀っているとのことです。
右上は『平家物語』冒頭であまりにも有名な諸行無常の鐘

    
 


左上は本堂
2000年に不審火で焼け、本尊は大きく破損、建礼門院阿波内侍の座像は焼失してしまいました。
2005年に建礼門院時代を忠実に復元して再建され、本尊も2つの座像も新しく制作されたものが収められています。
私たちが訪れた際、特別公開ということで焼け焦げた本尊を見ることができましたが、なんとも傷ましく、正視するのがつらかったです。
右上は本堂に続くお庭で、中央の雪見灯篭は豊臣家の寄進。

   


左上の朧の清水は、建礼門院が春の宵、月に照らされて泉に映る自分の姿があまりにやつれていることを嘆いた……という逸話の残る場所です。
右上は建礼門院大原西陵
宮内庁管轄の建礼門院の御陵で、かつては寺の中にあったものが、現在は切り離されて管理されています。


なお、失意の底にあった建礼門院を慰めるため、大原の人々がこの地の名物である漬物を献上したところ、彼女は大変喜んで、「紫葉漬」(しばづけ)と名付けたそうです。
そう、しば漬けの名付け親は建礼門院だったんですね。