逢坂山(滋賀県大津市)
逢坂山は青龍イベントのイメージが強い場所ですね。
あんなに仲が悪かったのに、花梨ちゃんを守るためにおとりになる勝真さんと、 彼を信じて任せる頼忠さん。
『遙か2』は天地の仲が基本的に悪い(玄武を除く)ので、お互いの絆を確認するシーンが感動的です。
PSP版おまけイベント『紅葉に染まりし京の都』では、逢坂山が好きな泉水さんと、翡翠さんが、 ここでの紅葉狩りに同行してくれます。
さて、山城国と近江国の国境にある逢坂山には古くから関が設けられていました。
京の都を守る三関(鈴鹿関、不破関、逢坂関)の一つで、交通の要衝でもありましたが、 当時の関の位置は明らかになっていないそうです。
現在は、江戸時代の大津宿の跡が残る大津市大谷町の国道1号線沿いに、 逢坂山関跡の記念碑(上)と公園(下左)が作られています。
公園の歌碑(上右)に刻まれている歌はすべて百人一首からで、奥から
夜をこめて 鳥の空音は謀るとも よに逢坂の関は許さじ 清少納言
名にし負わば 逢坂山のさねかづら 人に知られで くるよしもがな 三条右大臣
これやこの 行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関 蝉丸
となっています。
『源氏物語』、『枕草子』の中にも、逢坂関に関する記述はあるそうです。
逢坂関がある大津は、奈良時代から物資の集散する京の玄関口として大いに繁栄していました。
東海道の要衝でもあり、逢坂峠から瀬田までの大津宿の周辺は、街道一の賑わいを見せていたといいます。
公園には、道を舗装するために置かれた「車石」(上左)が残されていて、荷車の深い轍を今も見ることができます。
現在の国道1号線(上右)。
この公園にしても、これからご紹介する神社にしても、車がビュンビュン走っている横を歩いて訪ねなければならないので、ちょっと冷や汗をかきます(^_^;。
逢坂関のそばには、先ほどご紹介した「これやこの…」の歌の作者、蝉丸を祀った神社が、合計3つもあります。
最寄り駅の京阪京津線大谷駅のすぐ前にあるのが蝉丸神社(上)です。
蝉丸は盲目の琵琶法師ということ以外、詳しい出自や生涯は知られていません。
この神社は、平安末期に音曲芸道の祖神として、芸能に携わる人々の崇拝を集めていた蝉丸を、街道の守護神猿田彦命と豊玉姫命と合祀したのが始まりとのことです。
逢坂関の記念碑の先にあるのが、関蝉丸神社上社(上)。
もともとあった街道の社に、後に蝉丸が祀られるようになったようですが、よく手入れされた境内から、今も地元の方の信仰を集めていることがわかります。
JR大津駅のそばにある関蝉丸神社下社(上)。
境内を京阪京津線が横切っていて、ちょっと鎌倉を思い出してしまうロケーションです。
上右は境内にある拝殿。
そして、ほかにも見所はいろいろあります。
紀貫之が、「逢坂の 関の清水に影みえて 今やひくらん望月の駒」と詠んだことで有名な関の清水(上左)。
先ほどご紹介した歌に登場する「逢坂山のさねかづら」の実物(上中)。
昔はつるから取った粘液を、整髪料に使っていたとか。
そして、国の重要文化財となっている「時雨燈籠」(上右)。
六角形の石灯籠で、簡素な作りながら鎌倉時代の特色をよく表している貴重なものなのだそうです。
こちらの境内には、謡曲「蝉丸」のあらすじの解説もありました。
延喜帝は幼少時から盲目だった第四皇子、蝉丸の宮を僧形にして逢坂山に捨ててしまう。
蝉丸は琵琶を弾いて侘しさを紛らわしていたが、やはり延喜帝の皇女である逆髪の宮が、正気を失って逢坂山に迷い込んできた。
美しい琵琶の音色に惹かれて偶然再会を果たした二人は、互いの運命を嘆きあった後、別れていく。
なんとも哀しいストーリーですね。
関は出会いと別れを象徴する場所なので、こういう伝承が生まれやすいのかもしれません。