随心院(京都府京都市山科区)
『遙か』で友雅さんが好きな場所、随心院は、京都の中心部を離れた山科の地にあります。
ゲームの背景として、上の文塚がよく登場しますね。
実際は、寺の建物から少し離れた木立の中にあるので、うっかり立ち寄るのを忘れてしまいそうなロケーション。
参拝の際はしっかり探してください。
友雅さんがゲームの中で説明しているように、深草少将をはじめとする当時の貴公子たちが、ここに住む小野小町あてに送った千束の恋文を埋めた塚と言われています。
この随心院は、991年に仁海が建立した曼荼羅寺を前身とし、皇族や摂家出身者が入寺する門跡寺院として栄えました。
小野小町にゆかりがあるのは、寺が立てられる前の時代です。
この地域が小野氏の本拠地だったため、小野小町もこの地に立てられた邸に住んでいたと考えられているのです。
拝観入り口の庫裡(上左)は1753年に二条家から移築されたもの。
その手前に、小野小町の歌碑が建てられています。
歌は百人一首でおなじみの一首、
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに
でした。
六歌仙の紅一点だった小野小町は歌人として名高かったものの、現代に伝えられている歌はわずか十八首と言われています。
随心院は、併設の小野梅園に咲く「はねずの梅」で有名です。
「はねず」は薄紅色を指す古い言葉。三月末に満開を迎える遅咲きの梅を、こう呼んでいます。
そして、『遙か』のゲームの中で紹介されているように、石楠花もこの寺の名物。
中庭(上左)に、背の低い日本原産の石楠花が何株も植えられていました。
鷹通さんの好きな石楠花は、ここに取りに来ましたね。
上右は本堂に続く表書院と呼ばれる建物。
寄進したのは、二代将軍徳川秀忠の妻、江が、前夫の豊臣秀勝との間にもうけた娘、天真院尼とのことです。
庭側から見た本堂(上左)。
小野小町を巡る逸話として最も有名なのが、友雅さんも言及していた「深町少将の百夜通い」です。
小野小町は自分に求婚した深町少将の気持ちを確かめるため、「百夜通い続けてくれたら、想いを受け入れる」と告げた。
少将は毎夜邸を訪れ、小町に榧(かや)の実を一つずつ渡す。
しかし、九十九日目の夜、降る雪と病のために少将は命を落としてしまった。
小町は供養のため、邸の周りに榧の実をまいたという。
真偽はともかく、本堂の手前の部屋にはこの榧が展示されています(上右)。
文塚の傍らにある榧の木は、このときにまかれた実が育ったものと言われているそうです。
本堂から眺めた庭園(上)。
随心院の本堂は、関が原の合戦の前年に建てられた優美な寝殿造りの建物です。
女性にちなむ寺だけに、どこか優しげな風情があります。
『盤上遊戯』でここにやってきた鷹通さんは、
「こちらは寺院とはいえ、どことなく華やかな印象を受けますね。友雅殿が好んで訪れるというのも頷けます」
「風雅で美しい場所だと思いますよ。ですが、あまりに華やかで私には似合わないかもしれませんね」
などと言いますが、う~ん、ちょっと気持ちがわかるかも(笑)。
このお寺の門前には、『遙か』ファンの間では有名なお蕎麦屋さん、「萬寿亭 橘」があります。
地白虎ファンならぜひ入りたいお店ですね!
2001年の『遙か』スタンプラリーの際には、もちろん友雅さんのスタンプが置かれていました。