掌(たなごころ)を重ねて ( 2 / 2 )
気を漲らせた声と同時に、先ほどよりはるかに強烈な光が天空から降り注ぎ、地面を貫いた。
怨霊の咆哮が響き渡り、苦しげにうごめく影が光の向こうに浮かび上がる。
あかねはその影に向かい、祈りを込めて封印の言の葉を紡いだ。
「めぐれ、天の声。響け、地の声。かの者を封ぜよ!」
ベールで覆うようにまばゆくきらめく気が広がり、影が輪郭から消えていく。
咆哮は止み、最後に数度揺らいだ後、怨霊は空気の中へ完全に溶け、消滅した。
安堵のため息をつくとすぐに、まずあかねが、次に鷹通と友雅がイノリへと駆け寄った。
「イノリくん!」
「イノリ、大丈夫ですか?!」
「私の声は聞こえるかい」
つらそうに目を開くと、イノリはにやりと笑って見せる。
「……来てくれたんだな、あかね。ちぇっ、本当はオレが倒したかったのに」
「イノリくん……」
「よく足止めしてくれました、イノリ。たった一人で」
体中の擦り傷や切り傷が、彼の必死の奮闘を示していた。
イノリのケガをざっとあらためた友雅は、近くで腰を抜かして動けなくなっている「子分」に声をかける。
「君、イノリの姉上に、土御門でしっかり手当てをしてからお帰しすると伝えてくれまいか。
深手は負っていないので、心配はないと」
「わ、わかった」
「立てるかな?」
「当たり前だ! お、オレはイノリの親分の一の子分だからな!」
築地塀に手をつき、へっぴり腰で立ち上がると、
「ありがとな、貴族のおっさん!」
と言い残して、少年は駆けていった。
「…!…」
「あ」
「……悪いな、友雅」
気まずそうに見守る三人に微笑んで見せると、友雅はイノリの腕を取った。
「何がだね? さあ、馬を近くに繋いであるから、そこまで私が背負っていこう」
「ああ、友雅殿、それなら私が」
あわてて進み出た鷹通を、友雅は一瞥する。
「…申し出はありがたいが、鷹通、君は今日は大人しく神子殿に手を引かれていなさい」
「!!」
「と、友雅さん!」
「左近衛府から邸に戻る途中、ただならぬ様子で走る君たちを見かけたのだよ。
さては道ならぬ恋に悩んで、出奔でもするのかと後を追ってみたのだが…」
「「!!」」
「別に八葉と神子は『道ならぬ』じゃねえだろ。
『道ならぬ』っていうのは、オレの姉ちゃんとイクティダールみたいな…」
友雅に背負われたイノリが、苦しげにつぶやいた。
「おっと、やぶへびになってしまったか。悪かったね、イノリ。
では神子殿、鷹通を頼んだよ」
「は、はい…」
「友雅殿っ!」
鷹通の抗弁には耳を貸さず、友雅はイノリを背負うと小路に消えていった。
「「………」」
しばらく無言で見送った後、二人は同時に互いに声を掛ける。
「神子殿」
「鷹通さん」
「あ、申し訳ありません。どうぞ、神子殿」
「いえ、鷹通さんこそ」
鷹通は一つうなずくと言葉を続けた。
「先ほどの怨霊、いつもに比べて強すぎました。
おそらくは、呪詛の種の影響を受けたのではないかと」
「私もそう思います。捜すのを手伝ってもらっていいですか?」
「もちろんです。今日は目のほうは頼りにならないので、気配を追いたいと思います」
「ありがとうございます!」
* * *
ほどなく、鷹通が見つけた呪詛の種に、あかねが触れて浄化を終えた。
近くの神社の手水で手を清め、土御門に戻ろうと歩き出したとき、あかねがおずおずと手を差し出す。
「…神子殿」
「念のためです。友雅さんにも頼まれたし」
「いえ、友雅殿は」
からかっただけです…と言おうとして、恥ずかしそうにうつむくあかねの様子に気づいた。
わかっていて、それでも心配して手を引こうとしているのだろう。
「…では、お願いいたします」
「は、はい」
あかねの手を包み込むように握った後、鷹通は細めの道を選んで歩き出す。
「あ、そうか…!
さっきは夢中で気づかなかったけど、手をつないで歩くの、鷹通さんが恥ずかしいですよね!」
鷹通の配慮に気づいて、あかねがあわてて言った。
「私は何も。
神子殿が導いてくださるのなら、あまり歩いたことのない道を行くのも一興かと思いましたので」
穏やかな笑みを見て、これは鷹通ではなく、自分を周囲の視線から守るための気遣いなのだと悟る。
「……わかりました。ええと、右に水たまりがあります。左によけましょう」
「承知しました」
「その先に小さいくぼみが……」
* * *
「あの……さっき友雅さんが言っていたことなんですけど」
しばらくして、あかねが口を開いた。
「はい?」
「道ならぬ恋……とか。こちらでは、そういうことが多いんですか?」
目を見開いた後、鷹通は少し考えて答える。
「…貴族の世界では、家同士の都合で婚姻が結ばれることが多いですから、
心に思う方がいても添うのが難しいのは事実です。
相手への想いを抑えかねて、『道ならぬ恋』に身を焼く方もいらっしゃるかもしれませんね」
「…鷹通さんも?」
「え?」
「やっぱりお家の都合で結婚するんですか?」
驚くほどまっすぐ見つめられて、鷹通は思わずつないだ手を固く握りしめる。
「私は……」
あかねはハッと我に返って真っ赤になる。
「ご、ごめんなさい、いきなりこんなこと聞いて」
「いえ。そうですね、神子殿とお会いする前ならそうだったかもしれません」
「え…?」
「母のことや義母のこと……。神子殿とお話しするうちに、
貴族社会の歪みにあらためて気づかされました。
難しいかもしれませんが、私は愛しい方と添い遂げたい。
その方を幸せにしたいと強く思うようになりました」
「鷹通さん……」
「…今はまだ、つないだ手を離さずにいる方法を考えあぐねている状況ですが」
「え?」
「あ! いえ! その、比喩です! 別に今、手を離したくないというわけでは!」
同じく真っ赤になった鷹通を見て、あかねはちょっと寂しげな笑みを浮かべた。
「そ、そうですよね…」
うつむくあかねの横顔に、鷹通は心の中で言葉を継ぐ。
(そう。今は……まだ)
とっくに通いなれた土御門の邸のそばに着いているにもかかわらず、二人のつないだ手は門をくぐる直前まで離れることはなかった。
そして、離した直後。
門の段差に派手に蹴つまずいた鷹通を助け起こすと、あかねは自室まで有無を言わさず手をつないで連行したのだった。
「まさか本当に手を引かれてくるとはね」
友雅が呆れたように言い放ったのは、その後のこと。
「あかね、鷹通の母ちゃんみたいだな」
イノリの止めの一言に、鷹通は深く深~~く落ち込んだという。
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