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視線の先 ( 2 / 6 )
「まあ、神子様、私にこれを?」 翌日の土御門殿。 「お誕生日おめでとう!」と差し出した竹籠を、藤姫は感に堪えないというように押し頂いた。 「や、やだな藤姫ちゃん、オーバーだよ」 「おおばあ?」 「大げさ…という意味でよろしかったのですよね、神子殿」 鷹通さんがそっと助け舟を出す。 「は、はい、そうです。ダメだな私、つい使っちゃう」 コンっと自分で自分の頭を小突いた。 鷹通さんと相談しながら選んだのは、竹や布を使った愛らしい籠。それに藤や山吹、素朴な形の薔薇をフラワーアレンジメントの要領で飾り付けた。 高価なわけでも、珍しいわけでもないが、普段、外を出歩くことのない藤姫に、自分が生まれた季節の息吹を伝えたかったのだ。 「まあ、何と愛らしい。このような花が野辺には咲いているのですね」 うれしそうな笑顔を見ながら、先刻の鷹通さんとの会話を思い出していた。
「きれいな花畑! 藤姫ちゃんをここに連れてきたら喜ぶだろうなあ」 鷹通さんが案内してくれた、花盛りの野原を前に私は言った。 「そう…ですね。けれど左大臣家の姫君ともなれば、そう自由に外出することはできませんから」 少し困ったように応える鷹通さん。 「本当に? 街を歩いたり、野原でお弁当食べたり、川で水遊びしたり、そんなこともできないんですか?」 薄々気づいてはいたけれど、こうして言葉にされると衝撃的な事実。 私が普段これだけ自由に出歩いているのも、「龍神の神子」という特殊な立場だからこそなのだろう。 「この世界の貴族の姫とはそういうものなのです」 「私には耐えられないな、そんなの」 ぽつりとつぶやいた言葉に、鷹通さんはなぜか辛そうな顔をした。 「あ、すみません!」 私は必死で言い繕う。 「別に非難してるわけじゃなくて、そう、私の世界でも王子様とかお姫様とか、特殊な立場の人はあんまり気軽に外出できないかな。よく考えれば、藤姫ちゃんもそういう身分なんですもんね」 あははと笑う私をしばらく見つめていた鷹通さんは、静かに言った。 「神子殿も、そのようなご身分なのですよ。ましてや、こちらの世界に残られたりすれば……」 「え?」 瞬間、怯えが顔に出たのだと思う。鷹通さんはすぐ穏やかに微笑んだ。 「大丈夫です。神子殿が自由にのびのびとできる世界に早く戻れるよう、私たちも力を尽くしましょう」
帰り道は、二人とも言葉が途切れがちだった。 私は、「この世界に残れば」という言葉の意味を考えていたし、鷹通さんも何か考え込んでいるようだった。 この世界に残る……それは、帰れない可能性が高いということだろうか。 今まで無我夢中で走ってきたけれど、帰れなくなるなんて考えたことがなかった。もしそうなったら、私はどうすればいいのだろう。 はしゃぐ藤姫の言葉に相づちを打ちながら、あの時の困惑を思い出して、知らず知らず視線をさまよわせる。 すぐに気遣わしげな鷹通さんの瞳とぶつかった。どうやら、さっきからずっと見つめていたらしい。すっと視線を流して、「あちらへ」と合図された。 「では藤姫、私はそろそろ失礼いたします。本日はおめでとうございました」 鷹通さんが丁寧に挨拶をして立ち上がる。 「藤姫ちゃん、私、そこまで送ってくるね」 と、あわててその後を追いかけた。
「先ほどは、不用意な言葉で神子殿のお心を乱して申し訳ございませんでした」 土御門殿を離れると、すぐに鷹通さんは深々と頭を下げた。 「いえ、そんな、謝ってもらうようなことじゃないし…」 焦って腕をブンブン振り回す私。 それをじっと見てから、「いいえ」と首を振って鷹通さんは続けた。 「神子殿が元の世界に帰られるため、どれだけ必死に努力されているか、恐ろしい鬼や怨霊などに立ち向かっておられるか、私はもっと真剣に考えるべきでした。先ほどの言葉は、決してあなたがお帰りになれないかもしれないとか、そういった意味で言ったのではないのです。どうかご心配なさいませんよう」 「え…? じゃあ……」 戸惑う私に鷹通さんが少し哀しそうに微笑んだ。 「…ほんの……世迷い言です。あなたは元の世界に帰るべきお方。私はそれを少し……忘れた振りをしておりました」 「あ……」
不意に、何かを胸に撃ち込まれた気がした。 そう、今まで何の疑問もなく望み、口に出していた「元の世界へ帰る」こと。それは、この世界との訣別を意味している。何よりも、鷹通さんとの永遠の別れを。 私の驚きと困惑を包み込むように手を取り、鷹通さんは言った。 「どうかご安心ください。一命を賭しても、あなたを必ず元の世界にお帰しいたします。あなたの幸せは彼の地にある。ならば、あなたをそこにお帰しすることが、私の何よりの望みなのです」 手のぬくもりと柔らかい微笑み。 そして、何かを振り切るような言葉。 私は一言も返せずに、鷹通さんの後ろ姿を見送った。
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