近藤勇生家跡(東京都調布市)
現在の調布市野水1丁目に、近藤勇局長の生家、宮川家はありました。
当時の建物は調布飛行場建設の際に取り壊され、今では、1943年まで使われていたという井戸(上)が残るのみです(下左は跡地に立つ碑)。
宮川家は石高七石一斗二合の農家で、当時の上石原村では中間的な階層だったとか。
豪農ではなかったようですが、敷地面積は7000平方メートルにおよび、母屋、蔵屋敷、文庫蔵、納屋等が立ち並んでいました。
宮川久次郎の三男に生まれ、勝五郎と名付けられた後の近藤勇は、1848年に天然理心流の門人となります。
写真上右は生家跡に建つ近藤神社。
昭和初期に東京一円の有志たちによって建立されました。
その後荒廃し、一時は別の場所に移されたものの、生家跡が1977年に市の史跡に指定されたのを機に、元の場所に移されたそうです。
生家跡の向かいには、近藤道場撥雲館(下左)があります。
この道場は近藤さんの甥で、天然理心流宗家を継いだ勇五郎さんが使っていました。
何度か取り壊しの危機に遭いながらも、門人たちの熱意で移築され、現在に至るそうです。
この勇五郎さんは、処刑後板橋の刑場に埋められた近藤さんの首のない遺体を、肩の鉄砲傷を目印に探し出し、龍源寺に葬りました。
近藤さんの無言の帰還を、一族の人たちは野川にかかる相曽浦橋(上右)で迎えたと伝えられています。
*『BARAGA-鬼ki』ポイント
近藤さんが故郷について語るのは、流山に駐屯した際。
「歳さん、流山はいい所だな…川もあって、山もあって、なんか多摩にいるようじゃないか」
薩摩の一隊が詮議に来たため、斬り合いに持ち込もうとする土方さんを
「そんな事したら、ここが戦場になる…多摩に似た、この、のどかな村を荒らすわけにはいかねぇじゃねーか」
と諫めます。
ほんのこれだけの台詞なのに、近藤さんがどれほど故郷を愛していたかが伝わってきました。