望美レポート
「ねえ、将臣くん、私、すごいもの見ちゃった」
「お前、それを報告するためにここに来たのか?」
カウンターに身を乗り出して話す望美を呆れたように見ながら、将臣はガス台の上でココアを温めていた。
湘南の海辺にほど近いカフェバー。
ここは将臣のバイト先の一つで、調理から接客までてきぱきとこなす彼は店長の絶大な信頼を得ている。
幸い店の中に客の姿は少なかった。
(まあ、少しくらいなら、相手をしてやってもいいか)
湯気の立つココアをカップに注ぎ入れ、生クリームを浮かべるとカウンターにトンと置く。
望美は「わあっ」と歓声を上げて手に取った。
「だって将臣くんたら、学校には遅刻してくるし、昼休みは男子と一緒だし、放課後はすぐバイトだし、ゆっくり話してる暇なんてないじゃない! だからお店に押し掛けることになるんだよ」
「ご来店ありがとうございます、お客様。そういう理屈なら、これからもなるべく学校では話さないようにするか?」
「もう! 幼なじみから搾り取ってどうするの!」
両手でカップを支えて、フウフウ吹きながら飲んでいる姿は小学生のころから変わらない。
変わらないのになんでこっちは、前と同じ気持ちで見られなくなっちまったんだろうな。
心の中でため息をつくと、「それで?」と、将臣は先を促した。
「あのね、今朝はクラスの用事でいつもよりかなり早い電車に乗ったの」
「へえ。だから5時間目に沈没してたのか」
「そう、ぐっすり……って、気づいてたなら起こしてよ! 先生に『おはよう』って言われてすごく恥ずかしかったんだから」
「あの距離で起こすには譲の弓がいるだろうが!」
閑話休題。
「コホン……それで駅に行ったらね、ホームに譲くんがいたの。朝錬に行ってるのは知ってたけど、いつもあんなに早い電車に乗るんだね」
「お前が知らないのに俺が知るかよ。その時間は完全に夢の中だ!」
「で、声をかけようと思ったんだけど、何かおかしいことに気付いたの。『あれ?』って。同じホームにいる人の様子が変だったの!」
「???」
「K女子高とか、S高校とかの女子が、せっかく来た鎌倉行きの電車に乗らないんだよ。おかしいでしょ? 学校あっちなのに」
望美が挙げた高校は、すべて江ノ電の鎌倉駅を経由して乗り換えた先にある。
極楽寺駅のホームには鎌倉行きの列車も藤沢行きの列車も止まるが、彼女たちが乗るべきなのは明らかに鎌倉行き。
一方、譲や望美が通う鎌倉高校へは、藤沢行きの列車で向かう。
「それで、藤沢行きの電車が来たら、その子たちがみ~んな乗り込んだんだよ。譲くんを囲むみたいにして!」
「はあ~ん……」
何となく話が見えてきた。
毎朝早い時刻に決まった電車に乗る譲は、追いかける側としてはターゲットにしやすい。
自分の学校に向かう前に、せめて同じ列車に乗ろうと「ファン」の女子たちが押し掛けているのだろう。
有川兄弟は中学のころから人気があって、自分も譲も同級生はもちろん、他校の生徒からまでラブレターを送られたり、告白されたりしてきた。
それでも当時はたいてい望美と一緒だったので、通学時間にそういう目に遭うことはなかったのだが……。
「それでね、冬のこの時期って外と中の温度がすごく違うじゃない? だから電車に乗ってすぐ、譲くんが眼鏡を外したの。曇っちゃうから。そうしたら、車内から『はあ…っ』て、声にならないため息がいっせいに上がったんだよ! びっくりした~!! 写メしてる子とかもいて。ねえ、あれって撮影する音を消したりできるんだね?」
「まあ、そういう細工がきくとは聞いたことがあるが……」
車内の状況を思い浮かべて、将臣は頭が痛くなった。
もちろんほかにも客は乗っているのだろうが、大量の女子高生がいっせいに譲を見てため息?
異様だ。異様すぎる!
あいつ、そんな中でいったいどういう顔してるんだ?
「なのに譲くんったら、まったく気付かないの! 単語帳真剣に見てて、ときどきマーカー引いたりして、勉強に夢中」
「……あ、そ」
「あの集中力があるから、部活をやっててもしっかりいい成績取れるんだね。私、本当に感心しちゃったよ」
「ま……な……」
譲が女子に目もくれないのは、今に始まったことじゃない。
その唯一にして最大の原因が、今、将臣の前で盛大に感心しているわけだが。
それにしてもおかしい。
俺の知っている譲なら……
「それで、お前は降りるまでずっと譲を観察してたのか? 声もかけずに?」
「……のつもりだったんだけど、最後の最後でバレちゃった。鎌倉高校前で降りるとき、私、押されて倒れそうになったの。そうしたらたまたま譲くんがそばにいて、腕を支えてくれたんだよ。すごい偶然!」
(いや、それ全然偶然じゃないからっ!!)
将臣は心の中で叫ぶように突っ込むと、深~~く納得した。
あの譲が極楽寺駅に望美が来たのを見逃すはずがない。
何せ「望美センサー」を標準搭載している(と、将臣は信じている)のだ。
たぶん、彼女が近づいてこないので、自分も気づかないふりをしたのだろう。
単語帳に顔を埋めている間だって、望美の一挙手一投足をすべてキャッチしていたに違いない。
……周りの女子の様子にまったく気付かないというのは、本当かもしれないが。
「でも驚いた~。弓道の選手ってあんなに人気があるんだね~」
頬を上気させながら、望美が言う。
自慢の弟がモテモテだと知って、喜んでいる姉……という風情。
「弓道の選手だからかどうかは知らねえがな。中身を知らずに眺めていたら、まあ、結構イケメンなんだろ、譲も」
「中身を知らずにってどういう意味?」
「俺も知りたいな。どういう意味だ? 兄さん」
カフェのドアを開けるなり、譲が険しい顔で尋ねる。
出たっ! 滅多に来ないくせに、また望美センサーが反応したのかっ!?
「お前、女子にはめちゃくちゃ冷たいじゃねえか。告白してきた女の子、何人泣かせた?」
「人のこと言えるのかよ。兄さんだって同じようなもんだろ」
譲は通学鞄をスツールに置くと、望美の横にちゃっかり腰かける。
「ば~か、断り方にもいろいろあるんだよ。お前みたいににべもなく断ったら、このカフェに来てくれる客がいなくなっちまうだろうが!」
「告白してくる女子に営業活動するなんて、いやらしいな」
「頼もしいと言え」
「そっか~、二人ともすごくモテるんだ……」
望美が心底感心したようにつぶやいたので、兄弟はギクッと身を縮める。
しまった、口ゲンカする場所を間違えた。
「将臣くんと譲くんに彼女ができちゃったら、私、一人で寂しくなるな~。自分でも早く彼氏を見つけなきゃだめかな」
ガタッ!と譲が立ち上がったので、弟が失言する前に兄が口を開いた。
「ば~か、お前みたいに恋愛方面に信じられないくらい鈍くて疎い奴が、今さら焦ったって無駄に決まってるだろうが」
「ええ? そうかなあ?」
「そうですよ、先輩! だいたい俺は、先輩を一人にしてほかの女子と遊びたいなんて思ったことないですから!」
(うわ、譲、どさくさに紛れてものすごい本音を言いやがって)
注文も聞かずに譲の前にブレンドコーヒーをドン! と置くと、将臣もさりげないふりを装って続けた。
「まああれだ、恋愛感情とかそういうものは、時期が来れば自然に生まれるもんじゃねえのか」
「う~ん、そうなのかな。じゃあ、いつかは素敵な出会いがあるんだね」
((いや! 出会いはもうとっくに済んでるからっ!!))
有川兄弟の心の叫びにはまったく耳を貸さず(当たり前)、望美はうっとりと虚空を見つめた。
高校で一番人気のある二人を前にしてもまったく何も感じないこのスルースキルは、のちに白龍に見出されることとなる。
「じゃあ約束だよ。私に彼氏ができるまで、譲くんも将臣くんも彼女を作らないこと!」
「「…………」」
「あれ? 駄目?」
「いえ、その、そう……ですね…………」
「下手すると50年後にもここで三人そろってくだまくことになるな」
「もう~、どういう意味よ! 将臣くん」
「とにかく、先輩は心配することありませんから。俺は絶対に先輩を一人にしたりしませんから」
「ありがとう、譲くん」
「……まあ、な。望美に抜け駆けするつもりはねえよ」
「うん、約束だよ!」
ニコニコとご機嫌で笑う愛しい少女を見ながら、実は有川兄弟は心の中で
「お前/あなたの抜け駆けもあり得ねえ/ませんから」
ときっぱり宣言していた。
何せ、望美の下駄箱や机に不埒な輩が手紙を入れていないかは、早朝に登校する譲がチェックしているし、将臣は将臣で同級生を中心に「望美の奴がさ」と、「俺の彼女だから手出すんじゃねえぞ」オーラを出しまくっている。
江ノ電の駅で後ろから羽交い絞めにしたり、江の島で手をつないだりとスキンシップによるアピールも怠りなく、とどめに兄弟そろって望美と手をつなぎ、七里ガ浜を歩いたりしているのだから、ほかの男子がアプローチする余地などまったくなかった。
(お前の彼氏は、俺か譲かの二托しかあり得ないからな!!)
こんなときだけは抜群のチームワークで、目配せを交わしあう兄弟だった。
「先輩、もう一杯ココア飲みますか? パフェのほうがいいかな」
「え? でも今月はお小遣いがピンチで……」
「もちろん譲のおごりだろ」
「ええ、俺と兄さんのおごりです」
「おま……!」
「わ~い! じゃあ、このジャンボパフェ!」
「……先輩、夕飯食べられなくなりませんか?」
「大丈夫だよ! 別腹別腹!!」
「くそ、原価率高いのを頼みやがって」
望美と有川兄弟の楽しげな会話は、波音をBGMにその後も長く続いたのだった。
この冬、一人は別の時空に三年の時を隔てて押し流され、もう一人はライバルだらけの環境の中で、「素敵な出会い」をさせないように神経をすり減らすことになる……。
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