BASARAゆかりのスポット巡り


月山富田城址(島根県安来市)

 

陶氏を厳島で討ち取った元就は、尼子氏との対立を深めます。
1558年には石見銀山を奪取され、敗走。
尼子氏の代替わりの動揺を突いて、1562年に尼子領へと兵を進めました。

尼子氏の本拠地は月山富田城で、実は元就は以前、大内氏に従ってこの城を攻めたことがありました。
その際の敗北から学び、実に周到な城攻めを行います。

尼子氏の内部対立をあおるとともに、糧道を完全に断ち、城外で粥の炊き出しを行って兵たちに投降を勧めるなど、上と下から崩壊を誘ったのです。
難攻不落、「天空の城」とも呼ばれた富田城は、1年半後に落城しました。

すべて策のうち……だったのかな。

上の写真は麓の大手門跡近くに残る当時の石垣です。

 

富田城はもともと、源頼朝が出雲の守護に佐々木義清を任命したことから始まったと言われています。
全盛期は尼子家三代の戦国武将が治めたころ。

山城だけに麓から三ノ丸までの道はかなり険しく(上左)、ひーひー言いながら登りました。
お天気のいい日のハイキングには最適ですが。
上右は三ノ丸から二ノ丸へ続く丘です。

  
山頂にある勝日高守神社(上左)。
そして、尼子家の家臣として有名な山中幸盛の像(上右)。

彼は講談などに山中鹿之助として登場する武将で、この富田城で敗れた後、尼子家の再興のため奔走しました。
その苦難に満ちた日々の中で、三日月に向かって「願わくは、我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったという逸話がよく知られています。
残念ながら、彼の祈りも空しく尼子家は滅んでしまいますが。

 


本丸からの眺め(上左)
遠く海まで見渡すことができます。
長い長い戦いが終わった後、元就もこの場所に立ったことでしょう。
ということでこっそり記念写真(上右)。

血みどろの攻防戦の後、1566年に元就が奪い取った富田城は、1600年の関ヶ原の戦いを経て徳川方の堀尾氏の居城となります。
しかし、出雲を支配するには山奥にありすぎるということで、新たに松江城が建てられ、1611年に移住。
以後この城は忘れられていったとのことです。