紅葉の庭 ( 1 / 3 )
天井の模様をすっかり覚えてしまった。
目を開けるたび、見えるのはいつも同じ風景なのだ。
どこにどんな節穴があって、木目がどんなふうに流れているか、きっと絵に描くことだってできる。
ふうっとため息をつくと、花梨は片手に力を入れてみた。
一瞬、茵(しとね)の上に持ち上がった腕が、すぐにパタリと力なく落ちる。
呪詛によって縛られていた、四神を解放する戦いの後の疲労はすさまじかった。
丸一日昏々と眠り続け、ようやく意識が戻ってからも、腕一つ自由に動かせない状態が続いている。
「……私……どうなっちゃうんだろ。まだ玄武を解放しただけなのに……」
「……神子様?」
そのとき、御簾の向こうから紫姫が囁く声が聞こえた。
彼女はこの数日間、献身的に花梨の世話をしてくれている。
その頑張りは痛々しいほどで、花梨は自分のことはともかく、紫姫をゆっくりと休ませてやりたいと、強く願っていた。
「なあに、紫姫?」
花梨がしっかりした声で応えると、安堵のため息が洩れる。
「あ、お目覚めでしたか。実は、幸鷹殿がお訪ねくださいまして……」
「幸鷹さんが?」
「はい、お見舞いの品だけを置いて帰られるとおっしゃっているのですが」
「え、待って! 紫姫、こちらにお通ししてくれる?」
花梨がそう応えるのを期待していたのか、紫姫は微笑みを含んだ声で
「はい、承知いたしました」
と言うと、衣擦れの音とともに遠ざかった。
「……しかし、女性の寝所に」
「幸鷹殿、神子様のたってのご希望ですから」
しばらく後、押し問答をしながら幸鷹と紫姫の声が近づいてきた。
「幸鷹さん!」
花梨はできるだけ明るく呼びかける。
「! 神子殿」
「すみません、まだ起きられなくて」
「いえ、私こそ、このような時にお訪ねして申し訳ございません。泉水殿や彰紋様から見舞いの品を託されましたので、お届けがてらご様子がうかがえればと……」
幸鷹が、御簾の向こうに座る気配がした。
どうやらそこを動く気はないらしい。
「紫姫、幸鷹さんに中に入ってもらって」
「いえ、私は」
「幸鷹殿、神子様のお召しですよ」
「けれど」
「あの〜、私、もうずっと天井しか見てなくて。幸鷹さんの顔、見せてもらえませんか?」
花梨の言葉に、幸鷹は一瞬声を失ったようだった。
「……神子殿」
「さ、幸鷹殿、中へどうぞ」
紫姫が再度促し、御簾が上がる。
今ではすっかり馴染んだ、侍従の香りが近づいてきた。
衣擦れの後、ようやく気遣わしげな幸鷹の顔が視界に入る。
「こんにちは、幸鷹さん! すみません、無理言っちゃって」
「いえ、神子殿。さぞかしおつらいことでしょう」
「ううん、大丈夫です。それより、あの……」
鉛のように重く感じる手で、必死に幸鷹を手招きした。
「?」
幸鷹が花梨の口元に耳を寄せると、
「あのね、紫姫は私の看病でずっとつきっきりだったみたいなんです。幸鷹さんからちゃんと休むように言ってもらえませんか?」
と囁く。
幸鷹は一瞬目を見張った後、納得したように柔らかく微笑んだ。
「承知いたしました。では、少々失礼しますね」
御簾のそばに控えていた紫姫は、幸鷹としばらく話した後、自室に下がっていった。
いったいどうやって説得したのか、その辺りは検非違使別当の企業秘密なのかもしれない。
とにかく、ほかに人気のなくなった部屋で、幸鷹は再び花梨の枕辺に腰を下ろす。
「ありがとうございます、幸鷹さん」
「……あなたという方は……」
「?」
花梨が、次の言葉を促すように目を大きく開くと、幸鷹は苦笑を浮かべた。
「いえ……それで、お体の具合はいかがですか」
「気持ち悪いとか、頭が痛いとか、そういうことは全然ないんです。ただ、体中の筋肉が過労状態っていうか、全身がものすごく重くて」
「……なるほど」
幸鷹は花梨の額に触れ、熱がないことを確かめた。
次に手を取り、「痛くはないですか?」と尋ねる。
「はい」
「もう3日、こうしていらっしゃるのですね」
「はい。最初の1日は、ずっと眠っていたみたいですけど」
「…………」
幸鷹はしばらく考え込むと、花梨のほうに向き直った。
「神子殿、少しずつでも体を動かすようにしないと、関節や筋肉の機能が低下してしまうかもしれません。僭越ながら、お手伝いをさせていただいてもよろしいですか」
「? はい」
花梨の返事を聞くと、幸鷹は衾を静かに剥がし、横たわったままの背中と膝裏に腕を差し入れた。
「?!」
「少し我慢してください」
言うなり持ち上げ、御簾をくぐって簀子縁へと出る。
秋の彩りに満ちた美しい庭が、花梨の眼前に現れた。
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