風声 ~魔法のベルが鳴るとき 忍人・譲編に寄せて~ ( 3 / 5 )
冷たかった雪はやがて溶けて大地を潤す川となり、草木が芽吹くための糧になる。刺すような凍てつく風は、いつしか花の香を乗せて柔らかに頬をなでて過ぎてゆく。
厳しかった冬が終わり、ようやく春が訪れようとしていた。
まるで中つ国の復興を待ちかねていたかのように桜の蕾もほころび、今日の即位式に美しい彩りを添えていた。
忍人は今までに感じたことがないほど満ち足りた気持ちで、桜を眺めていた。
即位式の為の衣装に身を包んだ千尋は、今まで見たどの姫よりも美しく、国を取り戻した誇りと、未来への希望で、内側からも光輝くようだった。
橿原宮に詰め掛けた中つ国の民も、この美しい女王に心酔し、即位の言葉を待ちきれない様子だった。
中つ国を取り戻す過程で、忍人の魔剣も破魂刀から生太刀へと変化を遂げていた。
失えない、と気づいた日から自分は変わり、だからこそ己の命を削り続けてきた魔剣も神剣へと変じたのだろうと、忍人は思っていた。
今なら、かの世界の少女に、胸を張ってもう一度同じ言葉を言える自信があった。
そして自分の大切な人に、この式が終わったら…伝えたい言葉があった。
千尋の声が聴こえてきた。
式も、これでもうすぐ――
「狙え!」
「今ここから矢を放てば、女王を暗殺できるぞ!」
まさか!と振り向いた視線の先に、恐ろしい光景が見えた。
どこから入り込んだのか、この橿原宮の内宮で刺客がまさに今、千尋を狙って矢を番えていたのだ。
忍人の全身の血が逆流して凍りついた。
長かったこれまでの戦いが一気に忍人の脳裏を駆け巡った。
生太刀に変じたはずの神剣が唸りを上げていたが、忍人の耳には届かなかった。
破魂刀と共に戦場を駆け抜けた日々が、忍人の日常として染み付いていたからかもしれない。
自分の命を失ってでも守りたいと願う業は、消そうと思っても消せるものでもないのかもしれなかった。
心残りは……ひとつだけ。
だが、多くの命を奪った自分には、それで、いいのかもしれない。
この美しい世界、待ち望んだ春を、誰にも邪魔はさせない!
たとえ――
この命に代えても!
知らず、忍人は叫んでいた。
「貴様ら…!中つ国女王に――千尋に、指一本触れるな!」
桜が…悲しげにひとひら舞い落ちたのを見たような気がした。
気がした、というのは……
不本意ながら、抜刀して目の前の刺客を切り裂こうとした、まさにその時、忍人の視界が突如暗転してしまったからだ。
まさか、この瀬戸際に発作――!?
と焦ったのは一瞬、自分に黒い布が被せられ、動きを封じるようにぐるぐる巻きにされてしまったと気づくのに時間はかからなかった。
油断した!と気が狂いそうなまでに焦る忍人の耳に、聞きなれた声がした。
「全く…無茶は感心しませんね」
「どうやら間に合ったみたいやねえ。ええ子やから、そこで大人しゅうしててな」
言葉はおっとりとしているが、布越しに彼等の隠しきれない緊張と殺気が伝わってきた。
「――人の恋路を邪魔する輩は!」
「ふふっ…龍神に変わってお仕置きですよ」
次の瞬間、ぎゃあああ、と断末魔の叫び声があたりに響き渡った。
簀巻きにされた忍人が、もがいてどうにか布から首だけ出してみれば、あたり一面、もうもうと煙が立っていた。
煙を吸い込んだ忍人が盛大にむせこんだ。
「ぐっ!?一体何が起きた…ゴホッ、ごっ…げほっ!なっ、何だこれは!」
目からも涙が出たが、何とか視界をたぐれば、先程の刺客達が苦しみもがきながら床にのたうっていた。
煙の中、得意げに小さな包みを見せびらかす二人の姿があった。
「何って、譲君直伝の特製スパイスと塩コショウですよ、忍人」
「おまけに暗闇付与もお見舞いしておいたで~!」
「…お前達……!?」
「ふふ、感動で言葉もでえへん?」
「感謝して下さってもいいんですよ?」
「っげほっ、…その前に…そのふざけた格好は何だ!!げほげほっ」
忍人が見たものは、服装こそは、黒い文官服を着込んだ男と見慣れた軍師の二人だったのだが、彼らは頭からすっぽりと袋のようなものをかぶり、あまつさえ残り布を首から靡かせていたのだ。
「正義の味方」
「愛の使者です」
「……答えくらい統一しておけ!!!夕霧!柊!」
「あらばれた」
「おかしいですね、変装は完璧な筈なのですが」
「打ち合わせが足りひんかったやろか。ほな『通りすがりの異邦人』にしておこか?」
むせこみながらぐったりと脱力する忍人の元に、ばたばたと足音が近づいてきた。
「それで、ばれないと思うほうがおかしいですよ」
風早が、手際よく、煙を吸い込まないよう口元を袖で覆いながら、布から忍人を引っ張り出した。
一緒についてきた武官達が刺客達を取り押さえる、と、一瞬の隙を狙って、逃げ出そうとする影があった。
「っ!逃げるぞ!」
「まだ凝りへんの?お仕置きどすえ!」
夕霧が懐から出した包みを刺客めがけて投げつければ、見事に彼の者の後頭部に命中して、あたり一面スパイスとコショウが飛び散った。
刺客は苦しげにくしゃみ鼻水を繰り返し、すぐに取り押さえられたが、残念な事にこの包みの欠点は、取り押さえる方も周りの者もくしゃみ鼻水まみれになるところであった。
「へくしょ!へくしょん!逃げるな!」
「くそう…!っくしょい!ちくしょい!」
「…皆さん真面目やのに、笑えるのが困るわあ」
「ほら、やはりこの変装が正解でしょう」
がくり、とうな垂れるしかない忍人を誰かが強く引っ張った。
「…っ」
「忍人さん…っ!忍人さん、忍人さんっ!!大丈夫ですか!?怪我はないですか?」
「千尋…」
女王姿の千尋が、真っ青な顔で駆けつけてきたのだ。
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