風声 ~魔法のベルが鳴るとき 忍人・譲編に寄せて~ ( 1 / 5 )

 



君の声を聴かせて。
風に乗せて遠くまで、届けるから。
それはきっと彼のところまで届くはずだから。

君の、本当の声を聴かせて。




中身が入れ替わっていた忍人が元に戻り、ようやく普段らしい彼の日常が戻ってきた。
…筈なのだが。

「可愛かったなあ~あの忍人さん。うちのお茶も文句一つ言わんと、お行儀よう飲んでくれはって」
「ええ本当に、あのような純粋な弟が欲しかったですね。何を言っても『はい』と答えてくれる忍人、にっこり微笑んでくれる忍人…」

うっとりした表情で、口々に言い合う夕霧と柊に、ついに忍人の我慢が切れた。

「だから、それは俺ではないと言っているだろう!不本意だ!」

「じゃあ、その姿はいったい何やの?」
「その姿で言いますか、忍人?」

ぐっ、と忍人は言葉に詰まった。
今、忍人は『えぷろん』なる布を身に纏い、天鳥船の厨房で、ひとり料理に精を出していたのだから。

忍人が異世界で譲という少年に入れ替わったのと同じく、こちらでは譲が忍人に入れ替わっていた。
譲はかの世界での皆が口をそろえて言っていたように、確かに料理を得意としていたようで、ここでも工夫して様々な物を作っていたらしい。
そしてよりによって、忍人の師君である岩長姫の好みにあう物を考案して、めもとやらに、その作り方を書き残してあれば、後はもうお決まりの結末が忍人を待ち構えていた。

「…仕方あるまい。俺がいない間、迷惑をおかけしてしまったからな。
 飲みたい、食べたいと言われれば作るしかあるまい」
「ふふ、素直やないねえ~」
「どういう意味だ?」

怪訝そうな顔をした忍人に、夕霧が、めもの一つを持ち上げて面白そうに揺らした。
忍人は一瞬バツの悪そうな顔をしたが、すぐにふいと横を向いてしまった。

「…師君のついでだ」
「おやおや。我が君がご所望の酒粕ちーずけーきのついでに…、が正解ではないのですか?」
「そうそう。まずはお酒を濾さな、材料が手に入らんもんねえ」

言いながら、にやにやと忍人を眺めるこの困った闖入者に対する答えは――

「今すぐ出て行け!貴様らも料理の材料にされたいか!!!」

それでも悪びれた様子もなく、夕霧と柊はくすくすと笑いながら去っていった。
厨房に残された忍人は、はあはあと肩で息をしながら、呟いた。

「まったく…困った…奴らだな」

だが、内心では彼らを見る目が変わってきているのも事実だった。

夕霧が煎じたあの恐ろしい味の薬草茶を、どうやら譲は真面目に飲み続けていたらしい。身体と心が入れ替わる前と、今では明らかに体調が変わっていた。
味はともかく、確かに効用はあるらしいと認めた忍人は、元に戻った今も、しぶしぶ夕霧の茶を飲み続けている。

そして星の一族であるという譲の悪夢も僅かながら共有した。
未来が必ずしも明るいものでない場合――そして見たとおりの事が現実になったら…正気と狂気の狭間をただように違いない。
柊のおかしな言動も、今まではただふざけているだけだとしか思えなかったが、少し…分かるような気がしたのだ。

もちろんこのような事を本人達に言ったら、つけあがるだけに決まっているので、言うつもりなどない。
だが…何かはしたくなったのだ。

そう思ってはじめた料理は、意外にも重労働だった。
譲は忍人ほどの鍛錬をしていなかったのか、少し動いただけで息があがった。

「この身体もまだ元に戻っていない…か。それとも…」

いつも腰から下げている二振りの魔剣は、今は作業の邪魔になるので壁に立てかけて置いている。
忍人の命を削り、しかし戦場では他の何よりも忍人の命を守るもの。
異世界での少女に、自分が言った言葉をふと思い出した。

己が死ななくても、確実に守れるとわかれば、きっと変わる――…

果たして自分は、これでいいのだろか。
国を取り戻すのが、悲願だったはずだ。
けれど、今の忍人には守りたいものが増えていた。

すべてを守りたいと願うのは、俺の傲慢なのだろうか……

呼吸を整えて、忍人はまた作業に戻った。