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くしゃみ ( 4 / 4 )

 



忍人の部屋に入ってから、すでに数時間が経過していた。

寝台の傍らで、顔を真っ赤にしながら千尋はうつむいている。

さっきから頭の中を巡るのはずっと同じ言葉。

(ど…ど…どうしよう~~!?)

果物と水には手が届くので、まだ何時間かは持ちこたえられる。

だが、どうにもこの状況が恥ずかしかった。

千尋は自分の腕の先をもう一度見つめる。

華奢な白い手。

その手が、忍人の大きな手にしっかりと握られている。

(もう~~! 痛くはないけど全然離してくれない~!!)




こんなに長時間、男性に手を握られるなど初めての体験だった。

ましてや相手は、これまでほとんど触れたこともない虎狼将軍。

恥ずかしがるなと言われても無理な話である。

(……でも…)

忍人の変化に、千尋は気づいていた。

部屋に入った当初より、呼吸が穏やかになり、熱も下がり始めている。

何より千尋の手を握った後、表情が明らかに和らいだ。




(岩長姫のところにきてすぐに熱を出したって言ってたよね。それで、最初の「犠牲者」が羽張彦さんで……)

忍人が門下に加わったのは、わずか12歳のころだと聞く。

千尋はその当時を想像してみた。

(…それってもしかして……)




「まあ、本音の部分は『母恋し』でしょうね」

忍人が眠る場所からほど近い一室で、柊が言った。

「あの幼さで、家に帰りたいとか、母上に会いたいとか、口が裂けても言わない子供でしたから」

やれやれという身振りで首を振る。

「無理はしていたと思いますよ、実際」

柊に豆茶を差し出しながら、風早が相づちを打った。

「それで、高熱で意識を失ったときに、付き添っていた羽張彦の手を握ったんでしょう。…母上とはかなり違う感触だったと思いますが」

「それはどうでしょう」

突然、部屋の隅にいた道臣が口を挟んだ。

柊と風早が同時に視線を投げる。

道臣は苦笑しながら続けた。

「いえ、忍人は案外、羽張彦だとわかっていたんじゃないかと思うんですよ。彼はよく忍人の面倒を見ていたでしょう? 顔に出さなくても、忍人のほうも慕っていたのだと思います」

「確かに……弟のように可愛がっていましたからね」

風早が目を細め、遠い光景に思いを馳せる。




「道臣、羽張彦と風早までは理解できますが、その次に手を握られたのは私ですよ? あのころから今に至るまで、私は忍人に好かれたことなどないと思いますが」

柊が皮肉っぽい口調で言った。

「そんなこと…!」

風早の言葉を、道臣が引き継ぐ。

「そんなことありませんよ、柊。釆女が近づいても、手を握られたりしなかったし、私も何度か様子を見に行きましたが、『犠牲者』にはなれませんでした。忍人はちゃんとわかっているんですよ」

「…道臣」

一瞬、柊は素の顔を見せてつぶやいた。




「……だとしたら、起き抜けのあれは何なのでしょうね?」

「ああ、確かに」

「あなた方から聞いたときには、葛城にいたころの習慣かと思いましたが…」

「道臣、あの堅物が、母上にあんな風に可愛がられていたとでも?」

「俺はちょっと感動したな。あの忍人が」

「風早、柊、そんなことを言っているうちに、そろそろ起きる頃合いじゃないですか」




「キャーッ!!!!!」

と、千尋の声が響き渡る。

同門3人はすぐに部屋を飛び出した。

真っ赤な顔をした千尋が部屋から駆け出してくる。

「千尋!」

「!! か、かざは…、わ、わた、…!!」

「どうか落ち着いてください、我が君。忍人はあなたを母上と間違えているのですよ」

「千尋、子供のすることだと思って許してやってください」

「はは…?! こども…って、で、でもっ、わ、私…」

ポロポロッと千尋の両瞳から涙がこぼれる。

「千尋?」

「我が君?」

「初めてだったのに~~っ!!!!!」

と叫びながら、千尋は走り去った。

その後ろ姿を三人は呆然と見送る。




「……初めて?」

「……私の場合、頬…でしたが…」

「俺も……。ほっぺにチュッと…」

「……やはりわかっているのじゃないかな」

道臣がつぶやいた次の瞬間、風早と柊は忍人の寝室に駆け込んだ。

「「!! 忍人~~っ!!!!」」




翌日、将軍のくしゃみはすっかり治り、自分たちの抜け毛が原因かと沈み込んでいた狗奴たちを安心させた。

ただ、その頬が心なしか腫れている理由は、誰も聞くことができなかった。




閲兵する忍人を2人の兄弟子が睨みつけている。

「まったく! 千尋にビンタを食らうのは当たり前です! 俺の大切な姫のファーストキスを…!」

「しかも本人は我が君の唇の感触を覚えていないと言い張っているんですからね! 今度という今度は見損ないましたよ!」

「…柊、見損なう観点がずれていませんか?」




その後しばらく、忍人と千尋はなかなかお互いの顔を正視できなかったという。




 

 
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