語られざる想い ( 1 / 2 )

 



「いつか本当の気持ちを伝えることはできるのかしら」

黒く豊かな長い髪を風になびかせながら、一ノ姫はつぶやいた。

「本当の気持ち?」

横に寝そべっていた羽張彦が、身を起こして問い返す。

「どなたがどなたに、ですか?」

柊が穏やかに問いを重ねる。

天盤盾(あめのいわたて)で、三人は熊野の海を見下ろしながら語 り合っていた。




「……母様が、二ノ姫に……」

「陛下が?」

「二ノ姫様に?」

口々に言われて、一ノ姫は苦笑する。

「そんなに意外かしら」

「それは……なあ」

羽張彦は、同意を求めるように柊のほうを見た。

「風早がいつも言っておりますから。
『陛下は二ノ姫様を疎まれて、宮の片隅に追いやり、ほとんどお会いにさえならない』と」

「……そうね。それは事実だわ……」

長いまつげを伏せて、一ノ姫はため息をついた。




チリチリと一ノ姫の髪飾りが揺れて涼やかな音をたてる。

長い間、沈黙が続いた。

「……何か、知っているのか?」

羽張彦の声には、いたわるような響きがあった。

温かいまなざしを受け止めた後、一ノ姫はようやく口を開く。

「……二ノ姫は……よくも悪くも『本物』なの」

「本物?」

「……あなたなら、わかるのじゃなくて? 柊」

突然話を振られた柊は、柔らかく微笑んだ。

「私が知っているのは、竹簡に記された難解な詩句だけですから。
読み解いたところ で、それが未来を示すとは限りません」

「あなたはとうに読み解いているはずよ。
そこに二ノ姫のことは記されているのでし ょう?」

「…………」




「竹簡はともかく」

二人の間に割って入るように、羽張彦が言った。

「『本物』っていうのはどういう意味なんだ? 
それじゃまるで、陛下や一ノ姫が『 偽物』みたいじゃないか」

「それは……! ……本当に、羽張彦はいつも一番痛いところを突くのね」

「そうか?」

「ええ。羽張彦にはかないません」

柊はやれやれというように頭を左右に振った。




「……中つ国を治めるのは、龍神を呼ぶことができる神子の血筋の者……。
遙か古からそう決まっているわ。
けれど、今の女王の主な役目は政を行うこと。
巫(かんなぎ)の役割は弱まっているでしょう?」

「確かに、平和な治世がこれだけ続けば、龍神の声を聞く必要もないな」

「ええ」

一ノ姫は少し哀しげに微笑んだ。

「私も母様もそう思って、自分たちの役割を果たしてきたわ……」

柊は彼女の様子を見て、後を引き継ぐように話し出す。

「風早から聞きました。
二ノ姫は公の祭祀の場で『私には龍神の声が聞こえない。龍神は何と言っているの?』とお二人に尋ねられたのだと」

「え? それは最近のことか?」

驚いた羽張彦が身を乗り出した。




「いいえ、もう何年も前。
それがあの子が口にした最初の言葉だったと言ってもいいわ。
二ノ姫はとても言葉が遅くて、声が出ないのではないかと思われていたぐらいだから。
なのに儀式が最高潮のとき、よく通る声でそう問いかけたの……」

「……それは……廷臣たちも顔色を失っただろうな」

「異形の姫が託宣のごとく口を開いたのです。
『中つ国は龍神の加護を失った』と、他国にまで伝令が走ったと聞きます」

三人の間に沈黙が落ちた。

祭祀の場も同じように、水を打ったように静まり返ったことだろう。

金色の髪と蒼い瞳をもつ二ノ姫を取り囲んで。




「……だから、なのか。陛下の二ノ姫への態度は」

「『能力のない、王族としての資格をもたない姫』。
そう扱わねば、廷臣たちの不安 を拭えなかったのですね」

羽張彦と柊の言葉を肯定するように長いまつげを伏せると、一ノ姫はそのままうつむ いた。

宮の片隅で、葦の原で、小さく身体を丸めて泣き続けている幼い少女。

「ごめんなさい。龍神の声が聞こえなくてごめんなさい」

必死に謝る二ノ姫を、忌まわしい物でも見るように睨みつけ、背を向ける女王。

宮に出入りしていれば、誰もが見かける光景だった。